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人として、死神として⑦
憂鬱な頭で風呂から上がる。昨日は風呂に入らなかっただけに、気分とは裏腹に、体はさっぱりした状態にはなった。部屋の冷たい空気も、温まった体には反対に気持ちいい。
かといって、気持ちが上向くわけでもなければ、事態が解決するわけでもないのだが。
今は考えても仕方がない、か。
ルースからのアプローチがない限り、全てはお手上げ状態だ。
つかみかけた幸せは、邯鄲の夢でした、チャンチャン。
はぁ……鬱すぎる。とりあえず、最強モード(という名の現実逃避)に入ろう……
俺に残された手段は、もうこれしかない。
「ふう、極楽極楽!」
バスタオルで髪を拭きながら、独り言を言ってみた。虚しさが反復横跳びをしている。
「そんなに、気持ち良いものなの?」
「そりゃそうだ。日本人で良かったと思う瞬間だな。とりあえず混乱した頭をリセットするには最適だ!」
リセットなんてできてない。スムージィもびっくりのグチョグチョ状態。もはやペースト。
「アタシには理解できないわね」
「えー? 人生の七分の五は損してるぞ!」
人生で得したことなんかないけどな。
「ふうん。それじゃあ、これが最後になっちゃうのが残念だわね。十分堪能したかしら?」
……バスタオルを動かす手を止めた。
俺は誰としゃべっているんだ?
バスタオルの隙間から覗いてみる。
目つきの悪い、黒い男が、俺を睨んでいた。
いや、正確に言うと、グレーだ。ダークグレーの肌。顔も、服から出る腕も、足も、ダークグレー……こんな肌の色、ゲームかアニメの世界でしか見たことが無い。おまけに髪の毛までダークグレーかよ。それが軽く波打ちながら腰あたりまで伸びている。
それに対して、着ている服は真っ白だった。純白の……チャイナ服か、アオザイか。目の前の男は、自分の体と服で見事なモノトーンを生み出していた。
切れ長の目。そこから覗く瞳は金色に光っていて、爬虫類を思い浮かべてしまう。
「お前、誰?」
姿形は人間だ。顔のラインはシャープで、まともな色をしていれば『いけ好かないキザなイケメン野郎』とでも思ったに違いない。
だが、しかし、俺の頭の中では、警告のサイレンがけたたましく鳴り響いていた。
人外の匂いがプンプンするのだ。いや、人外の匂いしかしない……
だが悲しいかな、どれほど警戒したところで、誰何する以外にできることは思いつかない。
「聞く必要はないわよ。アナタ、死ぬんだもの」
イケメン顔とイケボ、そのどちらにも似合わぬオネェ言葉が口から出てくる。しかし内容は……ほら、やっぱり人外っぽい。
相闍梨の仲間だろうか。蹴られた時のことが蘇る。あの時は運よく防げたが、幸運が何回も続くと思うほど、幸運な人生を送ってきた記憶は俺にはない。
いや、マジちょっと待てよ。そりゃ、死んだほうがましかとは思ったが、それは今じゃないと思うぞ。
ルース! ルース! 助けには、来てくれないよな……
震えそうになる足を抑えるのが精一杯だった。とりあえずの対処はといえば、『時間稼ぎ』しかない。
「名前ぐらい教えてくれてもいいだろ」
「時間稼ぎをして、誰か助けに来てくれるの?」
どうして人外はこうも鋭いのか。いや、もしかして俺って、分かりやすい人間なのか?
「あ、え……そうだな、冥途の土産にしようかと思って」
もはや何を言っているのか自分でもわからない。
「『依代』のくせに面白いことを言うわね」
言葉とは裏腹に、顔は全く笑っていない。面白かったら笑えよ。笑ってくれよ……
「ヨリシロって、なに」
思わず聞き返した俺の言葉に、男が眉をひそめる。
反応アリ。これは突破口になるんじゃね?
そう一縷の望みを持った俺を、誰が責められるだろうか。
しかし現実はといえば、事態をさらに悪い方向に加速させただけの様だった。
「あからさま過ぎる時間稼ぎは不愉快だわね」
そういうと男は、宙に右手をかざす。光と共に現れた得物を握ると、こちらにゆっくりと体を向けた。
やっぱり、人間じゃなかったか……
絶望すら、もう感じない。
男の右手には、金属の棒が幾つか繋がった鞭のようなものが握られている。ジャラという音が、この後に与えられるだろう激痛を俺に想像させた。
「ちょ、ちょっと待て。何のことだか本当にわからない。何かの間違いだろ」
俺は男を制止するように、右手のひらを相手に向ける。
「知らぬ存ぜぬで通すつもり? なら、アナタの後ろにいる魂は何なのよ」
俺を睨む目つきの悪い女が、俺に後ろを見ろとでもいうように合図を出す。
俺はゆっくりと振り向いた。
目の前に、女性がいる。ただし、体の向こう側が透けて見えていた。
「うわあ!」
驚いて尻餅をついたが、半透明の女性は何も言葉を発することなく、ただ俺を見つめている。
よくよく見て、彼女に見覚えがあることに気付いた。
「た、丹波……の姫君?」
彼女がそれを聞いて微笑む。
「な、なにこれ。光の玉から進化したのか?」
俺は丹波の姫君を指さし、チャイナ男に聞いた。
「魂を連れて呑気に一人でほっつき歩いてるなんて、アナタいい度胸ね。でもね、ここはアタシのテリトリーなの。見逃すわけないでしょ」
「いや、こ、これは、頼まれて……」
「あら、そうなの。へえ。でも、そんなことどうだっていいのよ? 誰の依代だか知らないけど、アナタを消せば一件落着なんだから」
獲物を狙う爬虫類のような目で微笑むと、男は金属の鞭を両手に構えた。
いやいやいやいや、こ、こんなところでは死ねない。
ルースに、綺美に、会えなくなる。
「このまま終わりじゃ、俺の人生なんだったんだよ!」
「さあ?」
こんな部屋の中じゃ、逃げも隠れもできないじゃないか……
「じゃあねえ」
「いやだあ!」
ヒュンという風切り音とともに、男の鞭が俺の首に食い込み、俺は激痛と窒息の中、意識を失っていく……はずだった。
しかしその鞭は、金属が激しくぶつかり合う甲高い音とともに床に落とされる。
俺と男の間に立ちふさがった、黒いゴシック衣装の死神によって。
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