64 / 110

人として、死神として⑦

 憂鬱な頭で風呂から上がる。昨日は風呂に入らなかっただけに、気分とは裏腹に、体はさっぱりした状態にはなった。部屋の冷たい空気も、温まった体には反対に気持ちいい。  かといって、気持ちが上向くわけでもなければ、事態が解決するわけでもないのだが。  今は考えても仕方がない、か。  ルースからのアプローチがない限り、全てはお手上げ状態だ。  つかみかけた幸せは、邯鄲の夢でした、チャンチャン。  はぁ……鬱すぎる。とりあえず、最強モード(という名の現実逃避)に入ろう……  俺に残された手段は、もうこれしかない。 「ふう、極楽極楽!」  バスタオルで髪を拭きながら、独り言を言ってみた。虚しさが反復横跳びをしている。 「そんなに、気持ち良いものなの?」 「そりゃそうだ。日本人で良かったと思う瞬間だな。とりあえず混乱した頭をリセットするには最適だ!」  リセットなんてできてない。スムージィもびっくりのグチョグチョ状態。もはやペースト。 「アタシには理解できないわね」 「えー? 人生の七分の五は損してるぞ!」  人生で得したことなんかないけどな。 「ふうん。それじゃあ、これが最後になっちゃうのが残念だわね。十分堪能したかしら?」  ……バスタオルを動かす手を止めた。  俺は誰としゃべっているんだ?  バスタオルの隙間から覗いてみる。  目つきの悪い、黒い男が、俺を睨んでいた。  いや、正確に言うと、グレーだ。ダークグレーの肌。顔も、服から出る腕も、足も、ダークグレー……こんな肌の色、ゲームかアニメの世界でしか見たことが無い。おまけに髪の毛までダークグレーかよ。それが軽く波打ちながら腰あたりまで伸びている。  それに対して、着ている服は真っ白だった。純白の……チャイナ服か、アオザイか。目の前の男は、自分の体と服で見事なモノトーンを生み出していた。  切れ長の目。そこから覗く瞳は金色に光っていて、爬虫類を思い浮かべてしまう。  「お前、誰?」  姿形は人間だ。顔のラインはシャープで、まともな色をしていれば『いけ好かないキザなイケメン野郎』とでも思ったに違いない。  だが、しかし、俺の頭の中では、警告のサイレンがけたたましく鳴り響いていた。  人外の匂いがプンプンするのだ。いや、人外の匂いしかしない……  だが悲しいかな、どれほど警戒したところで、誰何する以外にできることは思いつかない。 「聞く必要はないわよ。アナタ、死ぬんだもの」  イケメン顔とイケボ、そのどちらにも似合わぬオネェ言葉が口から出てくる。しかし内容は……ほら、やっぱり人外っぽい。  相闍梨の仲間だろうか。蹴られた時のことが蘇る。あの時は運よく防げたが、幸運が何回も続くと思うほど、幸運な人生を送ってきた記憶は俺にはない。  いや、マジちょっと待てよ。そりゃ、死んだほうがましかとは思ったが、それは今じゃないと思うぞ。  ルース! ルース! 助けには、来てくれないよな……  震えそうになる足を抑えるのが精一杯だった。とりあえずの対処はといえば、『時間稼ぎ』しかない。 「名前ぐらい教えてくれてもいいだろ」 「時間稼ぎをして、誰か助けに来てくれるの?」  どうして人外はこうも鋭いのか。いや、もしかして俺って、分かりやすい人間なのか? 「あ、え……そうだな、冥途の土産にしようかと思って」  もはや何を言っているのか自分でもわからない。 「『依代』のくせに面白いことを言うわね」  言葉とは裏腹に、顔は全く笑っていない。面白かったら笑えよ。笑ってくれよ…… 「ヨリシロって、なに」  思わず聞き返した俺の言葉に、男が眉をひそめる。  反応アリ。これは突破口になるんじゃね?  そう一縷の望みを持った俺を、誰が責められるだろうか。  しかし現実はといえば、事態をさらに悪い方向に加速させただけの様だった。 「あからさま過ぎる時間稼ぎは不愉快だわね」  そういうと男は、宙に右手をかざす。光と共に現れた得物を握ると、こちらにゆっくりと体を向けた。  やっぱり、人間じゃなかったか……  絶望すら、もう感じない。  男の右手には、金属の棒が幾つか繋がった鞭のようなものが握られている。ジャラという音が、この後に与えられるだろう激痛を俺に想像させた。 「ちょ、ちょっと待て。何のことだか本当にわからない。何かの間違いだろ」  俺は男を制止するように、右手のひらを相手に向ける。 「知らぬ存ぜぬで通すつもり? なら、アナタの後ろにいる魂は何なのよ」  俺を睨む目つきの悪い女が、俺に後ろを見ろとでもいうように合図を出す。  俺はゆっくりと振り向いた。  目の前に、女性がいる。ただし、体の向こう側が透けて見えていた。 「うわあ!」  驚いて尻餅をついたが、半透明の女性は何も言葉を発することなく、ただ俺を見つめている。  よくよく見て、彼女に見覚えがあることに気付いた。 「た、丹波……の姫君?」  彼女がそれを聞いて微笑む。 「な、なにこれ。光の玉から進化したのか?」  俺は丹波の姫君を指さし、チャイナ男に聞いた。 「魂を連れて呑気に一人でほっつき歩いてるなんて、アナタいい度胸ね。でもね、ここはアタシのテリトリーなの。見逃すわけないでしょ」 「いや、こ、これは、頼まれて……」 「あら、そうなの。へえ。でも、そんなことどうだっていいのよ? 誰の依代だか知らないけど、アナタを消せば一件落着なんだから」  獲物を狙う爬虫類のような目で微笑むと、男は金属の鞭を両手に構えた。  いやいやいやいや、こ、こんなところでは死ねない。  ルースに、綺美に、会えなくなる。 「このまま終わりじゃ、俺の人生なんだったんだよ!」 「さあ?」  こんな部屋の中じゃ、逃げも隠れもできないじゃないか…… 「じゃあねえ」 「いやだあ!」  ヒュンという風切り音とともに、男の鞭が俺の首に食い込み、俺は激痛と窒息の中、意識を失っていく……はずだった。  しかしその鞭は、金属が激しくぶつかり合う甲高い音とともに床に落とされる。  俺と男の間に立ちふさがった、黒いゴシック衣装の死神によって。

ともだちにシェアしよう!