65 / 110

人として、死神として⑧

「ルース!」  あの時と同じ後ろ姿。  助かった。そう感じた後に、一つだけ違うものに気が付いた。  ルースの手の甲には、鉤爪が付いている。 「ルシニア? なぜアナタがここにいるのよ!」  アンフィスと呼ばれた男は、イライラした表情を隠そうともせず、ルースを呪い殺さんとばかりに睨みつけた。キザ男のイケボで放たれるオネエ言葉はなかなかの破壊力だが、ルースが動じる様子はない。 「すまないね、アンフィス。彼を傷付けないでくれるかな」  オクターブの高いルースの声は、しかし少しばかりの震えが混じっていた。 「なぜアナタがそいつを庇うのよ。アナタの依代じゃないでしょ。それに、アタシのテリトリーに入っていいなんて許可した覚えはないわ。出て行って頂戴」 「ボクは、彼に呼ばれたからここにいるんだよ。それに彼はそもそも『依代』じゃない」 「はあ? どういうことかしら。依代でもない人間が、なぜ魂を連れて……」  俺を指さしながら、ルースを問い詰めようとしていた男の言葉が、途中で途切れた。  男の視線がルースから俺へと移される。 「ルシニア、まさか、まだこんなことをやってるの?」  依代って何ですか? こんなことってなんですか?  ルースの登場で少し心に余裕が出たからなのか、そう訊きたい気持ちにはなったが、残念ながら、口を挟める雰囲気ではなさそうだ。  ルースは、男の問いかけには答えず、黙っている。 「ちょっと、人間!」  ルースの登場以降、その辺の置物同然の扱いだった俺の方に、チャイナだかアオザイだかを着た男が視線を向けてきた。 「な、なんだよ」 「アナタ、この男に何か飲まされた?」 「へ? えーっと、お茶を……」 「やっぱり」  ダークグレーの肌をした男の視線が再びルースへと注がれる。 「アナタ、自分が何してるか分かってるの?」 「……もちろん、分かってる」 「分かってるなら、なぜこんな、人間を騙すようなことを続けてるのよ」 「ち、違う、騙してるんじゃない」 「違わないわよ。どうせ何も知らせずに、コイツに無理矢理飲ませたんでしょ!」 「い、いや、ち、ちが……」 「アタシタチのゲームに、無関係な人間を巻き込むのはルール違反だと、あれほど言われているはずなのに、いつまでそんなことをやってるつもりなの、ルシニア、答えて」 「ボ、ボクは……」  ルースの声のトーンがさっきとは少し違うものになる。声にはさらなる震えが混じり、ルースが何か恐怖のような感情を抱いていることを物語っていた。  俺からはルースの表情は見えない。しかし、その恐怖はダークグレーの男の言葉に向けられているのが分かった。  その恐怖を起こさせているのは、男の言葉に少しずつ加えられていく、ある感情だ。 「ルシニア……アナタ、壊れてるのよ。体だけじゃなく、心まで。治さないと」  その言葉には、攻撃的なものとは全く正反対の、哀れみの感情が含まれていた。それこそがルースの恐怖の対象だったのだろう。その言葉を聞いた途端、ルースは前かがみになって、自分の両手で顔を覆ってしまった。彼の手から鉤爪が、融けるように消える。 「ちがう……ちがう……そんなんじゃ……」  そのルースに、男がとどめの言葉を叩きつけた。 「どう違うのよ。自覚がないなら、アナタがやってきたことを、この人間に今ここで全部教えてもいいのよ?」  その瞬間、ルースの心が悲鳴を上げたように感じた。 「ルース!」  俺はそう声をかけたが、ルースはこの場から溶けるように姿を消してしまった。 「お前、何したんだよ」 「あら、私はただ本当のことを言っただけよ」 「ルースが傷付いてたじゃないか」 「自分のやっていることをばらされて傷付くの? どれだけやましいのかしら」 「そうじゃない。ルースが壊れてるだなんて、機械みたいに」 「偉そうな口を利くわね、人間。アナタに何が分かるのよ? あの子が今どういう状況なのか、あなた分かって言ってるの?」  そう言われると、ルースについて俺はほとんど何も知らないことに気付き、返す言葉を失ってしまった。  それと同時に、目の前のチャイナ服男が、決してルースの敵ではないことにも気が付く。 「でも、俺はルースに頼まれて、魂集めを手伝っているんだ。まるでルースが魂を集めていないような口ぶりだったけど」 「だから何も分かってないって言ってるのよ」  目の前のキザな男は呆れたと言わんばかりの口調で、きわめてキザな動作で肩をすくめた。 「彼、魂を集めてなんかいないわ」  ……なんだって? 意味が分からない。 「じゃあ、俺が手伝ってるのは、何なんだよ」 「まったく、なんでアナタがルシニアに付き合ってるのかも分からないけど、少し話をしておかなきゃいけないようね」  ルースがいなくなると、男はさっきの様子とは打って変わって、冷静な物言いをするようになった。いや、ルースを問い詰めている時でも、心の中では冷静だったのだろう。 「な、何の話だ」  俺がそう訊くと、キザ男は少しだけ考えた後、一言つぶやいた。 「とりあえず服着なさい、人間」

ともだちにシェアしよう!