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一人ぼっちのナイチンゲール⑥
あれだけ俺を見るのを拒否していたルースが、今はその紅い瞳で、俺を貫くように見つめている。
その瞳の中に存在しているもの――
あの狂おしいほどの渇望はその気配すら消え失せ、ただただ真っ暗な深淵のみが広がる。
揃えられた前髪が白い眉にかかっている。その眉は、悲痛な様子で歪んでいた。
「ルース……」
その必要はないはずなのに、なぜか自然と息が荒くなる。喉が、無性に渇いて仕方がない。
ルースから眼をそらそうとした。しかし、紅い瞳は俺を離してはくれない。瞳の中の深淵に広がる闇は、全く光を放とうとせず、全てをその中に飲み込もうとしている。
そしてルースは、終末の救済をつぶやくかのように、口を開いた。
「ボクが……キミを、愛してはいけないのか?」
ルースの出す一音一音が俺の心臓をえぐり、耐えがたい苦痛を与えていく。しかしルースはそれを止めようとはしない。
「キミはボクを、愛してはくれないのかい?」
俺が自ら出した『正答』を、ルースの言葉が一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
それでも俺の僅かに残った『良心』は、自分を止める最後の言葉を口に出す。
「俺なんかを、神様であるルースが好きになるわけないだろ……」
「なぜ?」
「俺にそんな価値、無い」
「その価値は誰が決めるんだい?」
「そんなの誰が決めなくても分かりきったことだろ。美しくて強い神様のルースが、モテたこともない、何をやってもうまくいかない、こんな価値のない人間の俺を好きになるわけないじゃないか。というか俺は、春からニートなんだよ!」
ニアの白いまつ毛が、悲し気に少し下がる。
綺美のように、見るからに女性のような見目をしているわけではない。かといって、フィスのように、美形ではあるが明らかに男性だとわかるような身体でもない。
女性とも男性ともつかない、見る者によって女性とも男性とも映るルースの姿。その存在が俺を惑わせる。
「それはキミの価値観だ。ボクの価値観じゃない。
それにボクは、キミが思うほど立派な神様じゃない。」
ルース。俺を、人間のクズにしないでくれ。
「お、俺は男だ、ルース」
「でもキミは、あの男性と愛し合った」
言葉が詰まる。そう、俺はもう『男同士だから』という言い訳を自分で使えなくしてしまったのだ。
「ああ、そうだ、そうだよ。だから俺にルースを愛する資格はない。だって、俺は綺美を愛している。 ルースだけを愛することは、もう、できない」
言った。
言ってしまった。
でもいい。これが、これが俺に残された最善の方法なのだ。
俺が、『人』でいられる、唯一の方法なのだ。
そう思った。そう思ったが、ルースは俺を逃げさせてはくれなかった。
「ボクはそんなことを望んでなんかいない」
「え?」
「ボクだけを愛してくれなんて、思っても、言ってもない」
「でも、それじゃ二股だ。不誠実だ。人間の……クズだ」
ルース。俺を、追い詰めないでくれ。
「それもキミの価値観でしかない。いや、それはキミの価値観ですらない、単に世界に押し付けられているに過ぎないものだ。ボクはそんな価値観なんか持っちゃいない」
ふと、そのルースの言葉に、記憶からよみがえってきた別の言葉が重なる。
『あなたとは、価値観が違ったのよ』
ついこないだまで付き合っていた彼女の最後の言葉。一体何が違ったのか、いまだに俺にはわからない。
でも、ルースの言葉はそうではない。何がどう違うのかを明らかにしている。でも、ルースが否定する価値観はまだ俺を縛り続けているようだ。
「じゃ、じゃあ、ルースはどうしたいんだよ」
「キミはボクの事ばかり聞いてくる。どうして欲しい? どうしたい? でも、ボクがして欲しいことはもう、ありのままキミに伝えたよ。ボクが『したい』ことも聞きたいのかい?」
「え、あ、いや……」
ルース、お願いだ、言わないでくれ。
「いいよ、教えてあげるよ」
そしてルースは、破滅の言葉をゆっくりと紡いだ。
「コノエ、ボクと愛し合おう」
なぜルースがそんなことを言うのか。
なぜルースが俺を愛しているのか。
そんな理由は、その事実の前にはもうどうでもいいことのように思えた。
それを聞いてしまった……聞いてしまったのだ。
ダメだ、もう後戻りできない。
拒否すれば、ルースはおろか、もう綺美とも会えなくなるだろう。
受け入れれば、俺は男の風上にも置けない、不誠実のかたまりに成り下がる。
逃げ道が……どこにも無かった。
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