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一人ぼっちのナイチンゲール⑧

 俺は、どうすればいいんだろう。  ルースを追いかけようか。  家に戻ろうか。  ここからなら、まだ綺美の世界に行けるだろうか。  進んだところで何になる。  戻ってどうする。  逃げてどうする。  再び俺に、茫然と風が吹く。  出口のない迷路。答えは無い。あるわけがない。  誰か、誰か俺に、答えをくれ。  自分で答えを出せない俺に、答えをくれ。  この宇宙のような空間を、当てもなく漂う。  自分がどこにいるのかも、何をしているのかも、  そして、何が自分のしたいことなのかも、もう分からなくなった。  綺美が好きだ。それは愛? 分からない。何のために? 分からない  ルースが好きだ。それは愛? 分からない。何のために? 分からない。  愛別離苦。いずれ必ず別れが来る。なのになぜ人は誰かを愛そうとするんだろうう。  体が何もない空間を漂い続ける。  頭の中はもう空っぽ。何も考えたくはなかった。  と……  『……した』  どこからか声が聞こえた。しかし、よくは聞き取れない。 『幸せでした』  今度は、はっきり聞こえた。  か弱くも、芯のしっかりした声が、心の中に響く。 「だ……れだ?」 『私は幸せでした。大納言様に愛されて、幸せでした』  それが、丹波の姫君だと気付いた。 「でも、君は側室の一人だったんだろ? 大納言は他にも奥さんがいたんだろ?」 『いっぱい、いっぱい、愛されました』  その言葉には、不信も、迷いも無い。 『私は幸せでした』  自然と涙が、溢れ出てくる。なぜなのかは分からなかった。 『愛し合う者のために私の全てを捧げよう。私にはその覚悟がある』  大納言はそう言っていた。  彼には覚悟があった。だから、丹波の姫君は『幸せでした』と言い切れるのだ。  俺はどうだ?  ルースの望みを受け止める覚悟はあるのか?  綺美を愛し続ける覚悟はあるのか?  二人同時に、全力の愛を注ぐ覚悟はあるのか?  そのことを誰かに非難されて、それでも二人を愛し続ける覚悟はあるのか?  そうか、俺にはその覚悟がなかったんだ。  他人に後ろ指をさされるようなことを考えていた自分の為に、言い訳を探していただけだ。  ルースの言うとおりじゃないか。  一人しか愛してはいけないなんて、俺の価値観じゃない。  俺の世界の、しかも限られたエリアの中だけの価値観でしかない。  それを普遍的なものと思い込んで、思い込もうとして、覚悟から逃げていただけじゃないのか? ――俺はルースを愛しているか?  愛している。 ――俺は綺美を愛しているか?  愛している。 ――なら、どうするんだ?  俺の愛する人が俺を愛してくれるなら、その全員に俺の全てを捧げよう。 ――それは不誠実だ。誠意の欠片もない人間の敵だ。そんなお前を、お前の世界は、許さない。  そうか。  そうだよな。  なら、そんな価値観はいらない。  そんな『世界』はこっちから捨ててやろう。 ――誰からも理解されないぞ。お前は、お前の世界の全員から、いや、『世界の外』からも、もしかしたら愛する人からさえも、謗られ、詰られ、未来永劫、軽蔑されるのだ。  別に、他人に理解されたいが為に生きてるわけじゃない。 ――何のために愛するのだ。理由も目的もない、そんなお前に未来はない。  理由? 目的?  何かのために綺美を愛するんじゃない。何かのためにルースを愛するんじゃない。    俺は、彼らの為に生き、彼らの為に死ぬ。 ――偽善だ。外道だ。お前が進むのは、孤独という名の一本道。その先待っているのは、地獄だけだぞ。  上等だ。  地獄の閻魔に会ったら、胸を張ってこう言ってやろう。  俺は、死ぬほど彼らを愛しました、とな。 ――それまで、死ぬほど苦しむがいい!  『俺の世界の俺』が、断末魔の叫び声をあげて、消えていった。  もう、迷いはない。  俺は綺美を愛してる。  でも。  ルース、君を愛している。  それを伝えに、今行くよ。

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