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その為に生き、その為に死ねるような恋をしよう①
迷いが消えた眼で、再び前を見据えた。視界の中には、相変わらず、たくさんの光点が瞬いている。
周囲を見回すと、すぐそこに見慣れた自分の家の玄関のドアが見える。俺はこの空間に入ってから、ほとんど動いていなかったのだ。
視線を動かしてみる。
少し離れたところに、綺美がいる世界への扉である、あの持仏堂の格子戸が見える。
さらに視線を動かした。
一見何もない宙空をしばらく見つめる。不連続な絵のパラパラ漫画を見るように、視界の映像が揺らぎながら変化した。
そして、見つけた。
さほど遠くない場所にある、繭のような白い光の塊。
「こんな、近いところにあったのか」
前にルースを探したときは、多分通り過ぎてしまっていたのだろう。四次元的な方向感覚が俺にないにしても、それ以上に、あの時は俺自身が『見ようとしていなかった』のかもしれない。結局、能動的に行動することで負う責任から俺は逃げていたのだ。
今は見える。ルースの『城』。神様の『墓場』
ルースの気配は感じない。でも、あそこにルースがいるという確信を感じる。
『城』をまっすぐ見据え、俺は宙を蹴る。ゆっくりではあったが、方向を違えることなく進むことができた。
みるみるうちに、視界に映る白い光の繭が大きくなっていく。俺はその前までくると、全身に意識を向けて、体を止めた。
「ルース」
中へと声を掛ける。声は聞こえるはずだ。
この光の繭は、視覚的障壁にしかなっていないはずだった。誰も来ない空間で、物理的壁を作る必要が無かったのか、それとも、作ることが不可能なのかはわからない。
「俺だ、コノエだ」
もう一度声をかける。
名乗る必要はなかっただろう。しかし俺は、自らの存在を宣言するために、そうした。
しかし、それでも返事はない。
俺は決心して、光の繭の中へ入ろうとした。
「来ないでくれ」
やっと聞こえたルースの声。俺を拒絶する、声。
「ルース」
「お願いだ、来ないでくれ」
「じゃあ、なぜ、ここにいるんだ。ここから外へ行けば俺と会わずにすんだはずだろ」
暫くの間、沈黙が流れる。俺は答えが返ってくるまで、待ち続けた。
「お願いだよ……」
ルースの声は、嘆願にも似た悲痛さを帯びている。しかし俺は、もうルースから逃げるつもりはない。
「ルース、俺はお前を」
「やめて……」
「やめない。俺はルースを」
「やめてくれ! 違う、違うんだ……ずるいのは……ずるいのは、コノエじゃない、ボクの方なんだ。だから、やめてくれ」
「何言ってるんだよ。ルースの言う通りだった。俺が逃げていた」
「違う、違うんだ。愛してもらう資格が無いのは、ボクの方だ。分かってる。誰かを愛する資格も、ボクには無いんだよ」
「そんなこと無い」
「ある! あるよ。だって、ボクは」
そこで一拍、躊躇いが入る。
「壊れてるんだ」
絞り出すようにルースがつぶやいた。
「何言ってるんだ。ルースは壊れてなんかない」
「壊れてるさ! なのに、ボクは、コノエに自分の価値観を押し付けようとしてしまった。壊れた価値観を、コノエに無理強いしてしまった……」
もう、結末からも逃げようとは思わない。それがどんなものであっても、受け入れる覚悟はしてきたのだ。
俺は光の繭の中へと足を踏み入れる。ルースが、部屋の中央に仰向けの状態で浮かんでいた。どこから持ってきたのか、レースで作られた白い薔薇を両手で持ち、それを虚ろ気な様子で見つめている。
ふと気づく。ルースの周りを無数の紅い水玉が取り巻いている。それがなんなのか、一瞬分からない。それらはゆっくりと広がるように移動しているようで、その動きの元をたどっていく。
その紅い水玉は、ルースの左手首からトクントクンとあふれ出ていた。
「何してるんだよ!」
宙を蹴る。ルースの体が見る見るうちに近づき、俺はその手首を握る。紅い水玉が、俺の着ている服に暗赤色の斑点を作っていった。
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