俺の目の前では、いつもの黒いブラウスと袴風のボトム――ロングキュロットというべきだろうか――姿のルースが、うれしそうにフレンチスタイルのランチを食べている。 　ルースがどうしてもと言うので、大学近くにあるこのフレンチカフェ『ステファニー』に入ったのだ。値段はそう高くはないが、こんなところ大学の四年間で一回も入ったことなかったのに。 　学生棟からここまで、俺はルースと腕を組んで歩いてきた。ルースの少し人間離れした容姿と相まって、俺たち二人はどう見ても目立ちに目立っていたのだが、もう大学に来ることもないと思うと、二人に向けられる人々の視線は気にならなかった。人々がむける奇異の目の中に、羨望の色が見てとれたのも、その思いを強くしたようだ。 　ただ、ルースが上に羽織っていた毛皮のコートには少なからず動揺していた。なぜならそれは、俺がルースに借りていた、あのセーブルのコートだったからだ。 　そんな俺の動揺を知ってか知らずか、ルースは一つ一つの料理に感心しながら、食材がどうだの調理法がどうだのと講釈を垂れている。 「そんなに料理に詳しいのに、ハムエッグの味付けも知らないんだな」 「あれ？　美味しくなかったかい？」 「わさび味のハムエッグなんて聞いたこと無いぞ」 「ちゃんと味わって食べてくれたかい？」 　そう言われて気が付いた。 　俺は、ハムエッグは塩コショウで味付けするものと思い込んでいた。だから、ルースの作ったハムエッグを碌に味わうことなく、わさびの刺激を我慢するということだけを意識して、胃袋に収めてしまっていたのだ。 　ゆっくり味わっていたら、もしかしたら、美味しかったかもしれないのに。 「ごめん、折角ルースがあんなに苦労して作ってくれたのに、急いでてあまり味わってなかった」 　ルースに頭を下げる。 　俺の脳裏には、慣れない料理に悪戦苦闘しつつ、俺の為に健気にも美味しいハムエッグを作ろうとしているルースの図が浮かんでいた。 　結構可愛げもあるなぁ…… 「ん？　ボクは苦労してないよ」 　食べる手を止め、ルースが不思議そうに俺を見る。 「へ？　いや、失敗作がいっぱい置いてあったぞ」 「ああ、あれ。あれはね、フィ……」 　そこまで言ったルースの口を、後ろに立った人影が手でふさいだ。 「世の中には、言わなくてもいいことと、言ってはいけないことがあるのよ、ルース」 　ダークグレーの髪と肌。妖しく笑いながら、ルースの耳元でそう囁いたフィスは、そのまま隣に座って、店員にコーヒーを注文した。 「フィス、なんでここにいるんだよ」 　斜め向かいに座ったフィスに、俺は疑いの目を向ける。 　もしかして、俺たちの後をずっとつけてきたんじゃないだろうな。 「私のテリトリー内でカミアンと眷属がうろうろしてれば、居場所なんかすぐわかるわよ」 　そういうものなのか。 「もしかして、その格好で歩いてきたのか？」 　フィスは、朝と同じく、真っ白なアオザイ――チャイナ服かと聞いたら、すごく冷たい視線で『アオザイよ』と訂正されたのだ――の上下を着ていた。一応男性用らしく、ボトムはズボン風になっている。冬用なのだろう、袖も丈も長く生地は厚手のものの様だったが、体のラインは決して太くはないが、しっかいとついた筋肉の盛り上がりがくっきりと現れている。 　というか、どこで買うんだよ、その服。 「ええ、そうよ。何かおかしいかしら？」 　やや暗い店内ではそれほど気にならないが、フィスの人間離れした肌の色とアオザイ姿はどうみても外国人コスプレイヤーか宇宙人だった。 「おかしいというか、目立つというか」 「どうせ、このフィス様の美貌に人間どもは釘付けだわ。目立つことからは逃れられないのよ、アタシ、罪な存在ね」 　俺は、フィスの答えを聞いて頭を抱える。一方ルースはというと、全く気にする様子もなくフレンチを美味しそうに食べ続けていた。 　ルースが満足した後に三人で店を出たが、余りにも目立ちすぎる二人を連れて歩くのは、さすがに拷問に近い。 　そう思ったのだが、ルースが『自分の仕事』をしなければと言い出した。 「しばらくボクも魂集めに専念するから、コノエは命に気をつけておいてね」などと意味不明なことを言い残して、ルースがいち早くどこかへと行ってしまう。 　おいおい。 　その場に残されたのは、俺とフィス。俺の命を狙うのはこいつが一番じゃないのか―― 「なによ」 「あ、ああ、そうだな。えっと、フィス、ありがとう」 　俺は、まだ傍にいたフィスに礼を言う。フィスは不思議そうな表情で俺を見返した。 「礼を言われるようなことなんかしてないわよ」 「朝ご飯、作ってくれようとしたんだろ？」 　俺の言葉を聞いて、フィスは顔をしかめた。そしてそのまま視線を横にそらす。 「別にアナタの為にやったわけじゃないわよ」 「ありがとう」 「ふん。貸しにしといてあげるわ」 　そう言ってこちらをチラッと見たフィスの金色の瞳に、何かふと違和感を感じる。あの、『渇望』が見えたような気がしたからだ。 　しかし、よく確かめることができないうちに、フィスもどこかへと消えてしまった。 「まさかな。それにしても、大衆の面前で随分遠慮がないことで」 　俺は苦笑したが、特段誰かが騒ぎ出すようなこともなかった。思うほど人間は、他人のことなど気にしていないのかもしれない。ただ日常だけがどんどんと進んでいっているようだ。 　とりあえず俺は、家に帰ることにした。