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キャンパスライフにさよならを⑦

 薄く開けた口の間から紺碧の舌が伸び、唇を湿らしていく。暗がりの中で、その鮮やかな色が妙に艶めかしい。  そして筋肉で盛り上がった胸を主張するように、フィスは腕を狭めた。 「フィス……」  その金色の瞳をじっと見つめる。フィスはそれを見て妖しく微笑むと、俺の頬に手を伸ばし、ゆっくりと自分の方へと引き寄せた。  軽く開けた口では粘度の高い液体が糸を引いており、紺碧の粘膜で覆われた舌が質感を持って蠢いている。軽く伸ばしたその舌が俺の口に入りそうな距離まで近づいたところで、俺は途切れていた言葉を続けた。 「いや、ごめん、無理」  フィスの瞳。獲物を狙うような眼が、たちまちに憤怒の色を帯びる。 「なぜよ!」 「いや、なぜって」 「アタシが、アタシの肌が気持ち悪いから? アタシの舌が気色悪いから? アタシの目付きが薄気味悪いから? どれよ!」  フィスは自分の身体的特徴を自虐的にあげつらい、俺を非難するように声を荒げた。 「いや、待て待て待て、そういう問題じゃない」  フィスは何を考えてるんだ? 「はっ、嘘もいいところ。人間どもがアタシを見る眼は、気持ち悪い、気色悪い、薄気味悪い、そのどれかだわ。昼間だって、そうだったわよ!」  カミアンというのは、随分と人間からの評価を気にするようだ。ルースも、そして目の前のフィスも。  なぜだろう。『神様』のプライドなのか、それとも、他に何かあるのか。  ……一応、見られてる自覚はあったんだ。 「そうじゃなくて。別にフィスに対してそんな感情は持ってないって」  ってか、お前、俺を殺そうとしてただろ。 「じゃあ、そう思うなら、抱きなさいよ!」 「だから、そんな気にはなれないって! あのな、フィス、お前男だろ」  そう抗議する俺を、フィスが睨みつける。そう、まるでこの世から消そうとでもするように。  だから、怖いって。 「カミアンに性別なんてないわよ」 「いや、ついてるし」 「ルースだって一緒でしょ。ルースとナニしたくせに」  げっ。なぜ知ってる。 「いや、あのな、ルースとちがって、フィスはマッチョだし」 「ええ、そうよ。美しい筋肉でしょ」 「俺、筋肉は苦手、無理。抱けない」  一体フィスは何がしたいのだろう。  昨日は俺を襲おうとした。今日は抱けという。  フィスは俺より二回りほど背が高く、引き締まった筋肉が全身についている。かなり鍛えたスポーツ選手のような体。  ……さすがに、無理だわ。  それを聞いたフィスの眼に現れている感情は、憤怒から憎悪へと変わった。  『呪い殺してやる』  そういう言葉が出てきてもおかしくない表情だ。 「あの子はね」  ゆらりと立ち上がると、フィスは俺を見下ろしながら口を開いた。 「前回のゲームで、アタシを裏切ったのよ」 「うら、ぎった?」  つまり、ルースとフィスは仲間だったということか。 「リバ・ゲームは、チーム戦なのか?」 「そうじゃないわ。でも、組んだ方が有利になるわね」  ルースとフィス、二人の関係はどうも複雑なようだ。仲がいいように見えたが、そんな単純なものではないのだろう。 「ルースと組んだのか?」 「ええ、そうよ。でもアタシはルースを信じてはいない。アナタも、せいぜい気を付けることね」 「俺はルースを愛してる。ルースも俺を」 「勘違いもいいところね。ルースがアナタを愛してるですって? アナタ、単に利用されてるだけよ」 「前回、何があったんだ」 「アタシを抱きなさい。なら、アナタを愛してあげる。愛されてあげる。ルースがどんな奴なのか、それも教えてあげる。リバ・ゲームが、どんなものかも」 「それは禁忌なんじゃ」 「アタシは別に、今回は勝てなくてもいいのよ。アタシはアナタを本気で愛してあげる。アナタが今まで感じたことのないほどの快楽を感じさせてあげるわ」  そう言って俺ににじり寄るフィス。俺はあることに気づき、息をのんだ。  俺を見つめるフィスの瞳の中で、あの『渇望』が苦しみ悶えている。 「フィス……君は、何に渇いてるんだ? 何が、欲しいんだ?」  思わず聞いてしまう。その瞬間、フィスが張り裂けんばかりの憎悪と憤怒にまみれた金色の瞳で俺を睨んだ。フィスに首をつかまれ、ベッドに押し倒されてしまう。 「人間風情が偉そうに! 憐れむような目でアタシを見ないで! アナタにアタシの一体何が……」  殺さんばかりに首を絞められた。意識が薄れていき、それが途切れそうになった瞬間、その力が緩められる。  咳き込み、それでも俺は一生懸命に酸素を取り込んだ。 「何すんだよ!」  抗議の声を上げ、フィスの金色の瞳を見る。そして俺はまた、息をのんだ。  どうしようもないほどの絶望が、フィスの瞳の中に満ち溢れている。 「な、な……」  なぜそんな顔をするんだよ。  そう聞きたかったのだが、声が出ない。  フィスは、自分が顔に出してしまった表情に自分で気付いたのだろう。顔を隠すように後ろを向くと俺の前から溶けるように消えてしまった。

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