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危険な香り④

 まだあどけなさが残る少年の細い手。  やや圧迫感は感じるものの、まだ苦しいというほどではない。振り払えば簡単に払いのけられるだろう。 「桐」  そう言葉をかけた瞬間、桐は今までなかったような強い力で俺の首を押した。  俺はたまらず後ろへと倒れてしまう。桐は俺の上にのしかかり、さらに強く俺の首を絞め始めた。 「おい、桐、それじゃさすがに苦しいよ」  まだ窒息というほどではないにしろ、流石に息が苦しくなり、俺は桐に声をかける。そして、手を伸ばすと、彼の頭をぽんぽんと軽くたたき、そして彼の頬を慈しむように手で包み込んだ。  しばらくの間、その状態が続く  と、彼の目から怯えが消えた。  しかし、怯えの代わりに彼の瞳に映ったものは、言いようもないほどの悲しみであり、それが涙となって一粒、俺の頬へと零れ落ちた。  表情のない顔から、ただ涙だけが溢れ、そしてさらに一粒二粒、零れ落ちる。 「桐、なぜ泣くんだ?」  俺は桐の涙を拭おうと手を伸ばしたが、彼はそれから逃げるように立ち上がると、藤と同じように奥へと消えてしまった。  その後ろ姿、俺はただ茫然と見送ることしかできない。  藤と桐。このさびれた屋敷に住む、言わばメイドともいえる彼ら二人の心の中は、俺にはどうにも理解できそうにない。ただ、ふと、もう以前とは異なる関係になってしまったような気がした。  ※ ※  することが無くなり、仕方なく厨を出る。綺美の寝所のある北の方に向かったのだが、その入り口で、なぜ藤と話そうとしたかを思い出した。  俺がいなかった間に、何か変わったことがなかったかを聞こうとしたんだっけ。  でも、なんか、聞くのは無理そうな気配だ。 「綺美」  入り口から中へ、そう声をかけてみたが反応がない。しかし、奥の帳の中には人の気配があった。 「綺美、入るよ」  声をかけた俺に対して、綺美の言葉が強い拒否の口調で返ってきた。 「入るでない!」  綺美……さっきのことを気にしているのだろうか。  綺美、藤、桐。  三人とも、どこかしら様子がおかしかった。  なんだろう、折角この世界に居ようと決めたのに、不穏な空気を感じずにはいられない。  その心配が杞憂であることを祈って、綺美のいる部屋の中へと入る。 「宮様」  帳の中へ向かって、声をかけた。  寝所には入ったものの、流石に帳の中までずけずけと入るのは憚られたからだ。 「入るでない」  くぐもった声で、中から返事が返ってくる。 「ごめん。でも、心配だからほっとけなくて」  帳を通して中をうっすら見ることができるが、綺美は布団代わりの衣の中にもぐってしまっているようだ。 「中に入ってもいいかな?」 「まな!」  綺美の返してきた言葉はさすがに意味の分からないものだったが、その口調からは『ダメ』というニュアンスがひしひしと伝わってきた。 「どうして?」  綺美をできるだけなだめようと、俺は意識して優しい声で言葉を繋いでいく。 「コノエが我を嫌うようになる。それを、見とうはない」 「嫌いになんかならないよ」 「偽りを言うでない。あのような、はしたなきことをしたる我を、嫌いになりしぞかし」  不愛想な声の中にも少し震えるものがあって、危ういバランスの上に精神を保っている……そんな感じだ。 「んー、ちょっとびっくりはしたけど、まあ、宮様に押し倒されるのも悪くはないかな」  場を和ませようと少し冗談を入れたつもりだったのだが、綺美はさっきの『醜態』を思い出してしまったようだ。 「死にたい! 死にたい!」  そう叫ぶと、綺美は大きな声で泣きながら、被っていた衣を一枚一枚、帳に向かって思い切り投げつけ始めた。

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