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這い寄る蔓の先に①

 藤と一緒に歩いた道を思い出しながら歩く道は、以前と変わりない。道行く人々が俺を奇妙な眼で見るのも、変化はなかった。  会う人会う人が恐れおののいて逃げ出してくれたなら、手っ取り早く原因が分かるだろうに、などと思いながら、大納言の牛車に出会った四辻に出る。  そして気が付いた。  俺、ここからの道、知らないじゃないか。  迂闊だった。これは困った。どうしよう、どうしようもない。  辺りを見回してみる。モブ風の人々は多くいたが、貴族風の人や牛車などは道を通っていなかった。  暫く考えた後、丁度通りかかった男性に声をかけてみる。 「すみません、源大納言卿の屋敷はどちらですか」  前合わせの上着に、下は短めの袴だろうか、戦国時代の足軽風の衣装に見えなくもない衣装を着たその男は、声をかけられるとぎょっとした後、怪訝そうな表情で上から下まで俺を見回した。 「ああ、私は修験者でして、大納言卿に呼ばれて屋敷に向かう途中なのですが、場所が分からなくなってしまって」 「ああ、そうなのか」  俺の説明を聞いて少し納得したのか、男は大納言の屋敷への道を話し始めた。  そんなんで納得するのかよ、などと突っ込みを入れたくなったが、彼の話を聞く内にそんな気持ちもどこかへと吹っ飛んでしまった。  いや、彼の話の内容に、ではない。彼の話し方に、だった。  目の前の男の話は、ちゃんと理解できる。普通に、現代日本語で俺の耳に入ってきている。しかし、その言葉と口の動きが、ずれるのだ。  まるで、アフレコに失敗したアニメを見ているような、そんな感覚だった。  な、なんだこれは。  男の口の動きが気になって、話の内容が入ってこない。男は一通り説明を終えると、「わかったか?」と訊いてきた。  それすらも、微妙に、気を付けてみていないと分からないくらいではあったが、微妙にずれている。 「あ、ああ、ありがとう。助かりました」  俺がそう伝えると、男は何事も無かったように立ち去って行った。俺はその後姿を見送りながら、状況についていけない頭に苛立ちを覚える。  しばらく考えて、もう一人別の人間に声をかけてみた。やや年配の女性だった。少し話をしたが、状況は同じだ。  それからしばらくの間、俺は辺りを通る人間に手当たり次第声をかけてみた。  そして得た結論。  聞こえてくる言葉と口の動きが合っていない。  でも、なぜだ?   と、その時、少し離れたところで二人の男性が言い合う声が聞こえた。近づいてみると、年老いた男性と若い男が言い合いをしている。二人ともが直垂と袴、羽織っているのはドテラだろうか。 「は? じじい、何を言ってるかわかんねえんだよ!」 「とりあえず家に戻れと言っておるんじゃ!」 「はあ?」  老人は、歯がほとんどない口で一生懸命に、若い男に家に帰れと伝えようとしている。しかし、若い男の方は、聞き返すことしかしていなかった。  やり取りを見ていると、どうも若い男は本当に老人の言葉が聞き取れていないようだ。  しかし、俺には老人の言葉ははっきりと聞こえる。少ししゃがれた声ではあったが、モゴモゴ、フガフガ、そんな言葉には全く聞こえなかった。 「家に帰れと、このご老人は言ってるんだよ」  俺は若い男にそう伝える。すると男はびっくりした様子で俺の方を見た。 「あんた、じじいが何言ってるのかわかるのか?」 「あ、ああ。もちろん」  それからしばらく老人と若い男、どうも祖父と孫の関係らしかったのだが、二人の間の『通訳』をした。  俺は、老人がしゃべる一語一語を、口の動きと照らし合わせてみたが、この口の動きからはおよそ想像がつかないような現代日本語が、俺の耳には届いていた。一方、若い男には、老人の言葉ははっきり聞き取れないらしい。  『通訳』を終えると、二人は俺に感謝を述べた。俺は返事もそこそこに、元来た道へと戻り始める。 「おい、若造。どこへ行くんだ」  そう叫ぶ老人の声を無視して、俺は歩き続けた。周囲の景色なんて見えない。ただ頭の中に今までに見た光景がグルグルと回っていた。  綺美はどうだ。そんなことはなかった。  藤はどうだ。いや、そんなことはなかった。  桐は? ほとんど話をしてないからわからない。  大納言は? 違和感は感じなかった。  後は? 思い出せない。丹波の姫君、命婦、相闍梨……  いや、しかし、こんな違和感を感じたことは今までになかったはずだ。  気が付かなかった?  いや、そんなことはない。じゃあ、なんだ、これは。  俺は周囲をゆっくりと見渡した。  確かに、見た目は平安時代風の世界だ。ルースが言うには、似て非なる隣の世界。言葉が昔風ではなくても、不思議ではない。不思議ではないが、口の動きと声が合っていないのは、それ以前の問題だ。  考えろ。考えろ――  ふとあることを思いついた。俺は、まだうろうろしていた老人の方へ走り寄る。 『すみません、源大納言卿の屋敷への道を教えてくれますか?』  老人は、突然の質問にキョトンとした表情で「お、おう」と返事をすると、大納言の屋敷までの行き方を俺にゆっくりと説明し始める。  まじか――  しゃがれた声の老人は、俺がした『英語での問いかけ』に、不思議がることもなく答えたのだった。

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