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這い寄る蔓の先に⑥

「なんのことですか」  驚いたとすれば、その変わりようだ。  藤が驚きを見せたのはほんの、本当にほんのコンマ数秒だった。何事もなかったように、目の中にクエスチョンマークを飛ばしながら、俺に聞き返す。  でも、そのコンマ数秒を、俺は見逃さなかった。 「とぼけても無駄だ。『愛してます』は、相手に想いを伝える時には使わない。この世界ではね。なのに、君の口は、『愛してます』とはっきり動いていた」 「な、何を言っているのか……」 「さっき、宮様にその言葉の使い方を教えたばかりだ。俺の世界の言葉としてね。どうもこの世界の言葉は、俺が使っている言葉とは少し違うらしい。昼間、それに気が付いてね。それで口元を見る癖がついてしまったよ」  俺の言葉を聞いて、藤は俺から視線を外した。 「それにこの世界の人間の言葉は、俺の耳には直接届いてないらしい。でも君の言葉は違うようだ」  藤は自分の右手で左腕を押さえる。まるで、悪さが見つかった子供の様だった。 「君は何者なんだ?」  かつて、綺美と藤の両方から聞いた言葉。まさか、藤に対して言うことになろうとは思いも寄らなかった。 「初めから、俺がこの世界の人間じゃないことが分かっていたのか?」  まるで不審者そのものだった俺を、随分すんなりと受け入れたと思っていたが…… 「初めは……」  俺から視線を外したまま、藤はポツリポツリと話し出した。さっきまでの切迫感は無くなり、代わりに諦めに似た感情が言葉に含まれている。 「異世界の人間が何をしに来たのか、不思議でした。私たちを調べに来たのかと」  なぜばれてた、とは思ったのだが、考えてみれば逆もまた然りだ。俺の言葉を聞けば、俺が違う世界の人間だということは、この世界の人間でないのなら分かるだろう。  そういえば、相闍梨にもすぐに気付かれてたな。命婦……あの女性にも。 「調べる? 何を」  俺がそう言うと、藤はあっけにとられた表情で俺をしばらく見ていたが、突然ぷっと噴き出した。 「ほんと……ほんとに近衛様は、何も知らずにここに来たのですね」 「最初に言わなかったっけ。道に迷ったって」 「いや、そうですが、まさか本当にそうだとは」  そのまま藤は、笑いをかみしめるようにクックッと息を漏らす。 「いや、そんなに面白いかなぁ」 「それはそうです。だって、何も知らされていない、ただの人間が、ルシニアの匂いをぷんぷんさせながら、無防備に歩き回っているんですから」  藤は本当におかしげに笑っている。  そう、本当に、当たり前のように……今度は俺が驚かされた。  なぜ、ルースの名前をしているんだ。 「それじゃ、え、いや、嘘だろ。藤……君は、カミアンなのか」  藤はその言葉には反応しない。しかし、その藤の無言こそが質問に対する答えということか。  俺は藤に近づき、床に落ちていた袴を藤の腰まで持ち上げると、紐を胴のところで結んでやる。後ろ側も同様にして、藤に袴を着させた。 「色っぽい恰好のままだと、襲いたくなっちゃうからな」  笑顔で藤にウィンク。すると藤はまた、笑顔に戻った。 「やっぱり、近衛様はお優しいんですね、本当に。私、貴方の敵かもしれないのに」 「藤は藤だ。人間だろうが、神様だろうが、悪魔だろうが、俺には関係ないさ」  藤の笑顔が、突然妖しいものに変わる。そのまま俺の胸に、体を預けてきた。 「私を、襲ってもいいんですよ?」  小悪魔――少年にして、大人を惑わす魅力。  俺を見上げる瞳と唇が、しっとりとした湿り気を帯び、光を反射している。 「魅惑的なお誘いだけど、遠慮しとくよ。理由の分からない告白や誘惑には、返事をしないことにしたんだ。そんな都合よくモテるなんてのは、ネット小説の中だけで十分だ。現実はそんなんじゃない。いろいろあって、俺も勉強したよ。上手い話には、必ず裏があるってね。だから、理由を説明してくれないか」  俺はわざと後ろ手に手を組んで見せる。それは二つの意味で『手を出さない』という意思表示だったのだが、考えてみれば、多分藤と戦いになったとしても、俺は手も足も出ずに負けるだろう。  ……必要なかったか。  しかし俺のしぐさに、藤は残念そうな表情の中に、少し明るさを見せた。 「ご自分の魅力に気が付かないのでは、損をしてしまいますよ。近衛様の笑ったお顔は、とても優しくて、ときめいてしまいます」 「ごめん、ちょっと体がかゆくなってくるから、やめてくれないかな」  藤の様子が以前の彼に戻ってきたのを感じ、俺は少し安心した。  さて、それでどうしよう――というか、どうなるんだろ。

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