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這い寄る蔓の先に⑨
「そうなの?」
ルースの答えに、俺は後ろに張り付いている藤に聞いてみる。
「一対一なら、ルシニアはカミアンの中でも最強の一人です」
一対一なら――藤の言葉には、それほどの恐怖が含まれているようには感じない。「なら」という語尾が、その原因なのだろう。
厨の軒先の外でこちらをじっと見つめるルースは、俺でも分かるほどの強烈な殺気を発している。勿論それは俺に向けられたものではなく、俺の後ろに震えながら隠れている藤に対してのものなのだろう。
しかし、ふと思う。今後、ルースの殺気が俺に向けられるということが絶対にないと言い切れるだろうか。
「ルース、眷属とは何だ? 従者なのか? それとも奴隷か何かか?」
「……協力者、だね」
「じゃあ、ルースにとって俺は何だ。俺はルースにとって、ただの協力者なのか?」
「ち、違うよ」
俺の問いかけに、ルースがここに来て初めて動揺を見せた。
この手だな。
正直、藤を庇ういわれなど、俺にはないかもしれない。でも、何かが引っかかってる。それは、『ゲーム』のルールが分からないからなのだろうが、このまま二人が戦うのを黙ってみているのは、何か良くないことを引き起こしかねない――そんな気がしたのだ。
はっきりとは分からない。何かが分かりそうで分からないもどかしい感覚。
でも――ここは、ルースを引かせよう。
ごめん、と心の中で謝りつつも、俺はずるい手でルースを責めることにした。
「俺はルースを愛してる。俺にとってルースは愛する恋人であり、パートナーだ。眷属とは何かなんて関係なく、藤がルースに害をなすのなら、迷わず討伐に協力するさ」
愛する人に全力の愛を。ルース、君を愛してる。だから頼む、ここは退いてくれ。
「でも、何かが違う」
そういう俺に、ルースは困ったような顔を見せた。
「コノエはソイツに騙されてる。見目で判断するのは」
「見目で判断はしてない。そもそもゲームのルールは自分で分からなきゃいけないんだよな? ルールが分かるまでは好きにさせてもらうぞ、ルース。それとも今、教えてくれるのか?」
月明りの下、ルースがぶすっとした表情を見せたのが分かった。
……すこしやりすぎたか。
ルースが一歩こちらに近づく。もう一歩、更にもう一歩、ゆっくりと近づいてきて、とうとう俺の目の前に立った。
俺をはさんで、ルースと藤がにらみ合っている。
「まあいい。今はコノエの好きにさせてあげよう、でも、いいかい、ソイツの眷属には」
そこでルースは言葉を止めた。そしてもどかし気に眉を顰める。
「やれやれ、禁忌とは面倒なことだね。ねえ、コノエ、飲んでくれよ、ボクのものを」
何を言いたかったのか、それは分かる。藤の眷属にはなるなということだ。それが禁忌ということは、ルールに関係しているのか――
って、ちょっとまて。
「こ、こんなところでか?」
一体今度は何を飲ませるつもりだ。
そう聞こうとした俺を、ルースが強引に自分のほうへと引き寄せた。
合わせた唇を割って、ルースの舌が俺の口の中へと侵入し、やや粘度のある液体が俺の喉へと注がれていく。
「飲んで」
そう囁いた後、ルースはさらに俺の中へと、自分の唾液を注ぎ入れる。俺はルースに聞かせるように、音を立ててそれを飲み込んだ。
飲み込むものが無くなったところでゆっくりと唇を離したが、目の前で俺を見つめるルースの瞳には、あの『渇望』が踊っている。
「どう? ボクの唾液は。気持ち悪くはないかい?」
「全然」
俺の言葉を聞いたルースが、歪んだ笑みを口元に浮かべた。それと同時に、瞳の中の渇望が消える。
「魂、集めてね」
ルースはそう一言だけを残し、その場から溶けるように消えてしまった。
「ふぅ」
安堵のため息が自然と出る。そして、笑った。
ルースと出会ってから今まで何回か緊迫した場面を経験したが、ルースを相手にこんなにも神経がすり減ったのは初めてだ。
全く、なぜ恋人と話をするのに、命懸けでやらなきゃいけないんだろ。
そのまま、その場に座り込む。そしてふと考える。
恋人って何だろう?
愛し合っていれば、二人は『恋人』なのだろうか。
俺にとって、ルースは何なのだろう。
そして、綺美は何なのだろう。
複数の相手を同時に愛する。その非道徳性についてはもう何も思わなくなってしまった。それを考えると、自分が本当の意味で『元の世界』を捨ててしまったのだと感じるのだが、例えば、さらに藤と愛し合うなんてことになったら、どうなるのだろう。
その時、再び良心の呵責を感じるようになるのか、それとも、大納言の様に、信念を持ち続けることができるのだろうか。
……もしかしたら、俺は『背徳者』としての自分に快感を覚えているだけではないのか?
「藤、大丈夫か?」
何がどう大丈夫なのか自分で突っ込みつつも、ルースとの『濃厚なキスシーン』を見せられて、さぞかしドン引きしている真っ最中だろうななどと想像しながら、後ろを振り返った。
しかしその想像に反して、である。
俺が振り返るや否や、藤が俺の首に抱き着いてきた。その勢いで俺は後ろに倒れてしまったが、それもお構いなしに、藤は俺の上にのし掛かったまま俺の首に縋りついている。
「ちょっとちょっと、藤」
俺はそう言いながらも、藤を優しく抱きしめ、髪の毛をそっと撫でてやった。
藤の髪は、綺美とは違い、やや甘い花の香りがする。
藤が、俺を抱く腕にぎゅっと力を入れた。
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