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第3話
「……どこだ? ここ」
同じく魔法陣に入っていた魔王も隣に立っていた。勇者と同じことを思っているのか、魔王の表情もどこか固い。
周囲には木々が見えた。どこまでも広がる緑と、どこからか聞こえてくる動物の声。考えるまでもなく、森の中に居るのだと一目で分かる。
「座標が読めないが、魔界域からずいぶん離れたのは間違いないだろう。ここは魔族の気配が薄い」
「おい、お前これまで最強だのなんだの言っておいて、こんなところでポンコツを発揮か」
「貴様にだけは言われたくないな。……先ほどからうまく力を使えないんだ。俺様にもわけが分からん」
力がうまく使えない、という言葉に、勇者がふと自身の手を見下ろした。
そういえば、体が軽い気がする。どこからか力が湧いてくる感覚もあり、今ならば魔法さえ使えてしまいそうだ。
「えい」
勇者がおもむろに、近くの木に向けて手を振りかぶった。
するとごうっと風が吹いて、周辺の木が大きな音を立ててなぎ倒されていく。
「……お!?」
「お? じゃあない! 貴様、本当に俺様の魔力を奪ったのか!」
今のは間違いなく魔法だ。魔術書を開いても、魔法陣を展開してもいない。勇者にも理屈は分からなかったが、自身の体の奥深くからそれが発生したということだけは分かった。
そうして、ようやく本懐を遂げた勇者が感慨にふける間も無く。魔王はようやく焦ったように勇者の襟首を捻りあげると、ぐっと顔を近づけてまくし立てる。
「どういうことになるか分かっているのか!」
「どういう?」
「阿呆め! 貴様、魔族を統制できるとでも思っているのか! 到底無理だ、奴らは共生はすれど、人間には決して従わない! 世界が荒れるぞ!」
「な! そういうことは僕が魔法陣を展開する前に言っておけ!」
「少し考えれば分かるだろうが! それに、貴様の魔術が完成するとは思ってもいなかった。どうせ失敗するとばかり」
「天才を前に失礼だぞ!」
勇者を放すと、魔王はぐったりとその場に座り込んだ。唐突に力が抜けたのだ。この勇者を相手にしていると、どうにも気が抜けて仕方がない。斜め四十五度をひた走る勇者のその思考回路が、魔王にはいつも理解できなかった。
(それにしても、本当に力が……?)
無くなったのかが気になり、勇者が魔術書を開いているのを尻目に、魔王はたわむれに手の平を仰向ける。
あまり期待せずに力を入れてみれば、自身の顔ほどまでの炎が立った。
ぼっと一瞬だ。しかし魔王はしっかりとそれを見たし、近くに居た勇者も目撃した。二人はまん丸にした目を見合わせて、もう一度魔王の手の平へと視線を戻す。するとまたしても、そこに炎が立った。
「どういうことだ!」
「すごい! これはすごいぞ魔王! 僕も魔王、お前も魔王!」
「そんなわけがあるか!」
立ち上がって怒りをあらわにする魔王をよそに、勇者は「これはどういう現象だ? そんなことはどこにも記されてないのに」と、わくわくとした表情を隠しもしない。魔術書をペラペラとめくっているのはきっと、自身が記した可能性を一つ一つ確認しているのだろう。
魔王は、自身の中から力がなくなった感覚、というものは確かに感じていなかった。だから勇者はまた失敗したのだと思ったし、それなら秩序も乱れないと余裕でいられたほどである。
しかし、勇者は間違いなく魔法を使った。微力ながら魔力の流れも感じたから、魔術ではないのだろう。
(どういうことだ……?)
「仮説を立てよう」
魔術書を流し見ていた勇者が、まだ落ち着かない様子の魔王を見て満足そうにニヤリと笑う。
「まず、僕の術式は成功していた。だけどその術式の展開の途中に転移術式が展開したために中途半端に終わり、お前の力が僕の方に半分だけ移ってしまったんだ」
「……そういえばいろいろあって忘れていたが、ここはどこだ」
「知らない」
「知らんだと。貴様が飛ばしたんじゃないのか」
魔王はもうあらゆることが重なりすぎて、とうとうがくりと肩を落とす。
「僕の知る限り、あんなでかい魔法陣を描くような者は存在しない。それにあの場には確かに僕とお前しか居なかった。つまり僕たちは、誰か力の強い者に嵌められたんだろう」
「やけに落ち着いているじゃないか」
「嬉しいからな!」
過程はどうあれ、結果的に「成功した」ということが勇者にとっては嬉しいのだ。
今回ダメだったのなら、次回同じように挑めば良いだけである。だから勇者は誰がここに自分たちを転移させたのかも、誰に嵌められたのかも興味がない。これまでの連敗記録がとうとう覆されるという今のほうがもっとも重要だった。
「貴様の仮説が当たっていたとして、どうするんだ? 半分じゃあ俺様は倒せないぞ」
「簡単だ! もう一度同じ魔術を使えば良いだけだからな! ……ふふふ、その前にお前に猶予をやろう。僕は少しお腹が空いたからな。一度城にでも戻って腹一杯にご飯でも食べてくる」
「相変わらずマイペースだな……」
しかし転移術式を組んで城に戻るにしても、半分とはいえ魔族の気配を漂わせている者に精霊が力を貸すとは思えないのだが……じっくりと見つめていた魔王の考えを否定するように、勇者の足元に魔法陣が光った。まだその魔力が体に馴染んでいなかったらしく、精霊たちも気付かないまま、勇者は無事転移したのかその場から姿を消した。
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