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第4話

 取り残された魔王は一人、もう何度目かになるため息を吐いた。ずっと騒がしかったために、やっと落ち着けた心地だった。  ――勇者が来るといつもこうだ。魔王は静かに暮らしたいというのに、勇者はいつだってその日常を壊してしまう。しかも本人は無自覚で、荒らすだけ荒らしてすっきりとしたら帰るのだからなかなかタチが悪い。  勇者はとんでもなくマイペースだ。それも、他人のことをまったく気にしない、正真正銘のものである。 (……あいつが来るとだいぶ疲れるな……)  魔王は勇者が最初に訪れるまでは、ひっそりと暮らしていた。誰も寄せつけないよう、誰とも接触をしないよう、一人で生きていこうと決意までしていたほどである。もちろんその頃から複雑な魔法をかけて城を隠していた。誰が来ることも、本気で避けていたからだ。  それなのに、勇者は難なく唐突にやってきた。  忘れもしない、あの日も魔王はやる気もなく、力なく王座に腰掛けていた。何を考えていたわけでもない。ただ「座っていてください」と言われたから、仕方がなくそこに居ただけである。  本当に、何もかもがどうでも良かった。無気力だった。そんな魔王の耳に、突然ガラスの割れる音が聞こえた。  頭上からだった。そちらをすぐに振り仰げば、天窓を突き破った勇者が降ってきた。  飛び散るガラスと、驚いた勇者の顔。  時間が止まったかのような一瞬を経て、勇者はそのまま魔王に激突した。  それが、魔王と勇者の出会いだった。 (……ひとまず、どうにか戻るか)  らしくもなく感慨にふけってしまったなと、魔王は軽く頭を振る。  勇者にはいつもペースを崩される。もう他人に振り回されるのはたくさんだと避けているというのに、そんなことは関係ないとでも言うように、いつも魔王を捕まえる。  それが、どうにも苦手だった。魔王はもう、同じ轍を踏むことはしたくないのだ。  ――なんて、そんなことを考えながら、一歩を踏み出したときだった。  遠くから叫び声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。それを探して魔王は辺りを見渡していたのだが、すぐに近づいてくる声が頭上から聞こえてくるのだと気がついた。  ハッと上空を見上げる。  すると、驚いた顔をした勇者が、魔王に向けて落下していた。 「うわああああ! 魔王! キャッチキャッチ!」  勇者が必死に両手を伸ばす。それを受け取るように魔王もそちらに両手を伸ばして、抱き留める形で魔王はそのまま倒れこんだ。 「ぎゃああ! 痛い!」 「やかましい! 受け止めてやっただけありがたいと思え!」  後頭部と背中をしっかり強打した魔王は、すぐに治癒魔法を自身にかける。そうして自身の上に乗っかる勇者を見て、なんとなく、本当になんとなく、彼にも治癒をかけておいた。 「はー、驚いた。まさか座標を間違えるとはな!」 「得意げに言うな。というか下りろ、重い」 「なんだと! 僕は美しく聡明で、羽のように軽いだろうが!」  確かに勇者は美しい容姿だった。人間界の基準であるために魔王にはあまりピンとこないが、実は人間界に居れば十人が十人振り返るような容姿をしている。  綺麗、というよりは童顔で可愛らしいイメージだ。とはいえ小柄というわけではなく、華奢というわけでもない。しっかりと成人男性の体つきをしているために、女と間違われたことは今までに一度もなかった。  勇者は当然、自身の容姿が群を抜いていることには気付いていたし、それに自惚れて生きてきた。彼に自信が溢れているのは、その優れた外観のせいでもあるのだ。  勇者はなんだかんだと言いながらも魔王の上から退くと、服についた土を払う。魔王がかけた治癒には気付いていないようだった。 「それで、何で戻ってきたんだ。飯を食いたかったんじゃないのか」 「ああそうだ! 大変なことになっていたんだよ!」 「大変なこと?」  勇者は思い出したようにびくりと肩を揺らすと、うっそりと立ち上がり、土を払う魔王を睨むように見つめる。 「僕たちが共謀して世界を貶めようとしていると、城はその話題で持ちきりだった!」  しっかりと数秒、その場には間が落ちた。  はて、何の話をしているのか。魔王には心当たりもないが、どうやら魔王は勇者と共謀していることになっているらしい。 「……何の話だ?」 「だからー! ほら、お前の力が僕の方に半分移ったから力が弱まっただろ!? それで暴れ出した魔族たちもいたみたいで、もうとにかく大変なことになってるんだって!」 「貴様のせいだろうが」 「うぐっ……何も言い返せない……!」 「今回も浅はかな作戦だったようだな。分かったならその力を早く返せ。そうするよりほかはないと貴様にももう分かっているだろう」 「わ、分かってるよ。だから戻ってきたんだからな。……しかしもったいないなあ。せっかくうまくいったのに」  ぶつぶつと言いながらも、勇者は渋々魔術書を開く。何の抵抗もなくその方法を探し出そうとするということは、勇者はきちんと力を元に戻す術も用意はしていたようだ。  それにしても、力を戻すために戻ってきた、とは……魔王から見れば、城に行って自身の立場が危ぶまれていたために逃げてきたようにしか思えない。 (……すべてにおいて早計だな)  ひと呼吸おいて考える、ということが苦手そうな勇者には良い薬だ。勢いのまま行動すればどうなるのか、今回のことで思い知っただろう。いつも痛い目に遭ってはいたはずだが、今回ばかりは学習せざるを得ない状況だ。これで大人しくなってくれるのが一番である。  魔王はぼんやりとそんなことを思いながら、しかし勇者が大人しくなれば自身の周囲はまた静かになるのかと、頭の片隅でその可能性も思い浮かべる。  望んでいたはずのそれに寂寥を覚えるのは、どうしてなのか。一瞬そんなことを深く考えそうになったけれど、魔王は振り払うように一度強く首を振った。

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