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第21話

   *  勇者は、湖のほとりで目を覚ました。  周囲には誰もいない。服は大きいシャツを一枚着せられているだけで、下には何も穿かされてはいなかった。  ここに来てからいくらが経ったのか。眠っていたつもりはないのだが、ぼんやりとした思考からたった今覚めた、という感覚である。目を開けたまま眠っていた、というのが正しい表現なのかもしれない。 「あれ、起きたの」  柔らかな声音が降る。それを振り仰ぐと、いつの間にかスレイグが優雅に立っていた。 「……きみはとっても聡い子だね。いったいいつから、私が悪魔だって気付いてた?」  困ったように眉を下げると、スレイグは柔らかく微笑む。嫌味はなく、毒もないように思えた。勇者は彼から目を逸らすことなく、まっすぐにじっと見つめている。 「なに、簡単な話だ。僕が天才だったというだけのこと」 「そう、そっか。面白い」  それは、久しぶりに会った旧友と懐かしい時を振り返っているかのような時間に思えた。とても穏やかに、優しく、何のトゲもなく過ぎていく。  スレイグはとても自然に、勇者の隣に腰掛けた。 「巻き込んでごめんね。……私は、きみに危害を加えるつもりはないんだ」 「ふむ。では、魔王にはそのつもりがあったのか?」  勇者の質問に、スレイグは思わず言葉をのみ込む。 「魔王は悪い奴ではないだろう。少し口うるさくてたまに挙動不審だが、乱暴をするような男ではない。……魔界での魔王のやり方が気に入らなかったのか」 「そうじゃないよ」 「それじゃあ何か嫌なことがあったとか」 「魔王は私のことなんか知らなかっただろうね」  面識もなかった、とはどういうことなのか。勇者はついパチパチと瞬いて、スレイグから続く言葉を待っていた。 「……私はね、馬鹿な男に手を貸したんだ。彼がきみを邪魔だと言ったから」 「彼? それは誰だ」 「きみは本当に面白い。私が教えると思っているわけでもないくせに」  スレイグは楽しげに笑って、湖へと目を向ける。 「愛する男がほかの男を好きだからどうにも出来なくて、私に幻覚をかけさせて、愛する男に抱かれるように私に抱かせるような愚かな男だよ。……それほどまでに愛する男だからこそ、望みを叶えてやりたかったのかな」 「そうか。つまり、お前が手を貸した男の『愛する男』とやらが、僕を邪魔と思っているということか。それは、人間界で僕と魔王が手を組んで世界を征服しようとしていると言われているあの噂と、何か関係があるのか?」 「……きみは無駄が嫌いな子だな。会話を楽しもうとは思わないのか」 「楽しい会話と無駄話はイコールではないからな」  勇者の言葉に、スレイグは笑いながら「なるほど」と楽しそうに返した。特に悪い感情が浮かんでいるわけでもない。勇者もスレイグも、穏やかに過ごしているだけである。 「本当はもう気付いているのかな。きみはとても勘がいい」 「まさか。僕はこう見えて程よく抜けてるぞ。しっかりと親しみやすさも兼ね備えているんだ」 「……ふふ、そっか。それは面白いね。……きみは、当事者なのに」  当事者? と聞こうとした勇者の言葉は、その口から漏れることはなかった。  勇者のまぶたが緩やかに落ちる。ぐらりと体が傾いて、隣に座っていたスレイグにもたれかかるように倒れた。 「……ああ、魔封じか」  スレイグは最初に眠ったフリをしていたときから、勇者が魔力を持っていることには気配で気付いていた。  勇者は現在、魔王と半分になっている。スレイグはその事情を知らないけれど、勇者は天才だと言われていることは知っていたために、魔力があると思うのにも違和感はなかった。  ついでに言えば、勇者が魔王とキスをしなければならない体質だと言っていたのを聞いて、スレイグを本当の眠り姫だと思っていた小人たちが彼らに何かをしたのだろうということにも気付いた。小人は献身的だ。眠り姫のためなら手段を選ばない。それこそ、害になるのなら勇者を殺すことだって厭わなかっただろう。そんな小人たちが何かをして、勇者が魔王を必要としていたのならば、二度目に会ったときに勇者の魔力の気配が小さくなっていた説明もつく。「魔封じをされたな」という結論に行き着くのにも、さほど時間はかからなかった。  勇者はすっかり動かなくなった。ただし心臓は動いているから、ただ弱っているだけなのだろう。魔力が生命力の源となっているのであれば、封じられればこういった状態になるのも納得である。 「……馬鹿らしいよね。彼も……魔王も」  スレイグが、小さく呟く。 「叶わない想いにばかり縛られて……振り回される者の気持ちなんて顧みない」  そうして勇者を抱き直すと、勇者の目がうっすらと開いた。体勢が微かに変わって、少し意識が戻ったのかもしれない。勇者は間近でスレイグを見上げると、弱々しく微笑んだ。 「……ま、おう……」  ふたたび勇者の目が閉じる。身を委ねているのか、安堵した様子を隠しもせず、早くキスをしてくれと強請っているようにも見えた。  ――もしかしたら、勇者がすべての元凶だからと、意趣返しをしたかったのかもしれない。  スレイグは、魔力の供給を魔王の代わりにしてやるだけだ、と思っていながら、魔王の幻覚を勇者に見せて、勇者にキスをして、奪ってやりたいと思ってしまった。  力なくスレイグにもたれかかっていた勇者を、ゆったりと横たえる。抵抗はない。まだ意識はあるのだろうけれど、魔王が相手だと思って警戒すらしていないのだろう。  唇を重ねてみても、勇者はむしろ口を開いて受け入れた。  舌が絡んで、唾液が溢れる。角度を変えて深くなるそれに、勇者はやはり動かない。まだ動けるほどでもないのだろう。わかっていながら、スレイグは勇者に着せたシャツを剥ぐ。  一枚だけのそれは、開いてしまえばすぐに肌があらわになる。あまり外に出ないのか色は白く、けれどヒョロヒョロなわけではない。華奢な骨格でもないために、その体型の細さは目立たないだけなのだろうか。  肌触りも良くしっとりとした表面を、スレイグの手が滑る。 「ん、ぅ……」  勇者が目を開けた。いつもなら、魔王はここでキスを止める。しかし今日は続けるようで、勇者が目覚めてもキスが止まらない。  肌に伝う感触に、勇者の腰がピクリと跳ねた。  触れられている。それに気付いたけれど、嫌悪感もないために抵抗もない。 「あっ……ま、魔王……?」  肌を撫でていたスレイグの手が、胸の飾りに微かに触れた。 「や、そこは……」  ほんの少し離れた唇は、追いかけてきたスレイグによって塞がれる。抗議の言葉も紡げない。しかしそんな強引な行為にもやっぱり嫌な気持ちにはならなくて、勇者は静かに受け入れていた。 「――なにをしている」  

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