26 / 55

第26話

「困るなあ、勇者くん。リアをいじめていいのはぼくだけなんだけど」 「ぎゃあー! 出たー!」  反射的に逃げようとしたリアを、ミシェルがすかさず捕まえる。  いつから居たのか、どこから来たのかも分からない。魔王は気付いていたようだが、あえて何も言わなかったらしい。 「なんだミシェルか、久しぶりだな」 「このぼくにそんな口をきくのは、リアかきみか魔王くらいのものだよ、まったく」  ミシェルがわざとらしく呆れたように肩をすくめる。しかしその目をすぐに魔王に向けて、やけににこやかに笑った。 「魔王、勇者くんを連れて、早めに魔力を一つに戻したほうが良さそうだよ」 「城に戻ってたのか?」 「少しね。王都ではなぜか、すでにきみたちが裏切り者であると確定していた。本当におかしな話だ。ぼくが前に聞いたときよりも事態は悪化している」  ミシェルの言葉に、勇者の表情が曇る。 「……城に、ガイルとユリアスは居たか? 彼らは何を?」  勇者にしては、弱い声だった。魔王はそれに違和感を覚えたが、勇者をじっと見つめるだけで何も言わなかった。 「……いいや、居なかった。……勇者くん、きみも落ち着くまでは魔王と一緒に隠れていなさい。ひとまず魔力を魔王に戻して、不測の事態に備えておいて」  シンと、場に沈黙が落ちた。勇者は固い表情のまま、それでもコクリと一つ頷く。  魔王はなんとなく、そんな勇者の腕を引いた。特に意味はない。ただ暗い顔をしているように見えたから、どうにかこちらを見ないかと、そんなふうに思っただけだった。  思ったとおり、勇者は驚いたように魔王を見た。魔王はそれで満足だった。しかし勇者を離さないまま、目だけをミシェルに向けた。 「王子よ、これを持っておけ。貴様の魔力が正しければ、離れていてもこの石を通じて会話をすることが叶うだろう」  魔王が差し出したのは、大きめの紫の石が艶めくネックレスである。 「なるほど、逐一報告をしろと言うことかい」 「俺様を失って痛い目を見るのは人間側だ。……黒幕にも伝えておくといい」 「……そうだね。誰かが分かれば、すぐにでも」  勇者の目が伏せられた。しかし魔王に掴まれていないほうの手はしっかりと、赤い帽子のツェリェと繋がれている。ツェリェはヒィヒィ言っていた。よほど勇者が苦手なようだ。 「俺様たちは先を急ぐ。行くぞ、勇者」 「……ああ」  勇者はまるで拗ねてでもいるように、面白くなさそうに唇を尖らせていた。  二人がミシェルたちと離れた頃にはすでに、日は傾きかけていた。  そのため少し歩いたところで、魔王は「今日はここで休むか」と腰を下ろす。ミシェルやリアのところに泊まって出なかったのは、目に見えて元気がなくなった勇者に、魔王が珍しく気を遣ったからかもしれない。  魔王はすぐに、氷点下になる山に備えて、勇者と小人に魔法をかけた。小人は気付いた様子だったが、勇者はやっぱり気付かなかった。 「おい小人。貴様、何か食糧をとってこい」 「横暴だ! 横暴だ!」 「いいから行け。俺様が本気になればこんな山一瞬で吹き飛ばせるぞ」  魔王の言葉に、小人は何度も「横暴だ!」と言いながら、それでも山の奥に消えていった。逃げ出すことはないだろう。小人は魔王も勇者もどちらも苦手としているし、魔王の恐ろしさも理解はしているはずである。逃げ出せばどうなるのか、それこそ山を吹き飛ばされる可能性があることを思えば、それを選ぶはずがない。 「それで、今度はなぜ落ち込んだ」  暗くなってきたために、魔王は勇者と自身の真ん中に火をおいた。魔力で燃える炎だ。木も何もなくても、尽きることなく燃え続ける。  勇者は特にそれに驚くこともなく、ただパチパチと燃えている赤を、ぼんやりと眺めていた。 「……知っているか、魔王。ミシェルは眠っているリアに一目惚れをしてキスをしたあと、棺に閉じ込めて城に持ち帰ろうとしたらしい」 「気持ちが悪いな」 「そうだ、気持ちが悪い。……ミシェルはリアのことになるとネジが外れるんだ」  魔王が手を伸ばした。不思議そうに見ていた勇者はしかし、魔王が「三十分」と呟くと、それの意味を理解する。そうして特に抵抗もなく、勇者は魔王の隣に座った。 「まあいい。疲れたのなら寝ていろ」  魔王が勇者の肩を抱き寄せて、ふぅと小さく息を吐く。  魔王は何も聞かない。勇者がはぐらかしたことにも気付いていながら、決して強引に踏み込んでくることはない。 「……なあ、魔王」  だから、なのかもしれない。  そんな魔王だからこそ、勇者は甘えてしまうのだろうか。 「……男の恋人が居たと言っていたが、どんな人だったんだ?」  勇者の肩に置かれていた魔王の手がピクリと揺れる。勇者は気付いたが発言を取り消すわけにもいかず、ただ答えを待つしかできなかった。 「……どうだったか。もうずいぶん昔だからな、忘れた」 「ふ、そうか。お前らしい」 「薄情だって言いたいのか」 「いいや。……お前は情に厚いから、その一途さにも納得だ」  ずいぶん昔に終わった話なら尚更に、「まだ語れるほどでもない」というのは、勇者にとっては「一途」と同義だった。  魔王はなんだかんだと勇者の面倒をよく見てくれている。厄介だ迷惑だと言う割には本気で邪険にもしないし、巻き込まれているのにキスをして魔力の供給までしてくれるのだ。魔王は勇者からすれば、充分に優しい男である。 「……たわけたことを」 「ふふ、照れるなよ。褒めてるんだ」 「いいから寝ろ。気が向いたら魔力を与えておいてやる」  勇者が笑うと、魔王は照れたように勇者の頭を抱き寄せた。勇者は分かっている。魔王は「気が向いたら」なんて言ったけれど、きっと勇者に忘れずに魔力を与えてくれる。  魔王の温もりに安堵して、勇者は大人しく目を閉じた。  ――勇者は確かに落ち込んでいた。  けれど今はなぜかその一途さに、胸の奥が鈍く痛んだ。  

ともだちにシェアしよう!