34 / 55
第34話
――意外と傷は浅かった。
小人を抱えて勇者を探しながら、魔王はふと思う。
イリスと再会してしまえば、もっと嫌な気持ちになるものだと思っていた。けれどそんなことはなく、無傷とは言わないが、特別落ち込むほどでもない。
勇者を探さなければと気が急いていたからだろうか。いや、途中で勇者のことを思い出したからかもしれない。
魔王の気持ちはたしかに、勇者を思い出したときに少し軽くなったのだ。
「あ! あそこ! 魔王様、あそこ!」
横向きに抱えられていた小人が、一生懸命指をさす。
そこには、膝に手をついて息を整えている勇者の姿があった。
「どうした勇者!」
慌てて魔王が駆け寄る。これまで走っていたのか、勇者の息は乱れているようだった。
魔王が勇者の肩に手を置くと、やや乱暴に弾かれた。勇者が魔王を見上げる。その瞳はどこか怯えているようにも見える。
「……勇者?」
相手が魔王だと分かったのか、勇者はすぐに安堵の表情を浮かべた。
「なんだ……お前か、驚かせるな」
「こちらのセリフだ。一言くらい声をかけてから出ろ」
「む? ツェリェには言って出たぞ。なあ?」
「伝えた! 伝えた!」
「ああ聞いた。だが説明が足りない。……いつ戻るのか、どこに行ったのか、用事は何なのかもきちんと教えて行け」
「細かいな……」
魔王は優しい。勇者はそれをよく知っている。
かつては迷惑だと言っていた勇者相手でもこんなに必死に探してくれた。それだけではない。これまでにもたくさん、勇者に対して気を配ってくれている。
きっと恋人にはもっと甘やかな優しい態度を見せるのだろう。
「……お前の恋人だった彼は大変だな。こんな束縛男が相手なら、自由にも出来なかっただろう」
トゲのある言い方をしてしまうのは仕方がない。
勇者は今、とんでもなくすさんでいた。それに加えて魔王が現れたものだから、止められなかった。
「何を言うか、俺様は束縛なんかしない。……それより次の街に急ぐぞ。ここにはダンタリオンが居た。また貴様を連れ去るかもしれない」
「……ああ、スレイグか」
つぶやいて、勇者が何やら難しそうに眉を寄せる。しかし魔王はそれどころではない。何を気軽に名を呼んでいるのかと、それに対してどうしようもなく腹が立った。
「貴様、あいつに何をされたか忘れたのか」
「忘れてないぞ、僕は天才なんだ。記憶力には自信がある」
「それならなおのこと、もう少し危機感を持て。危うくあいつに犯されるところだったんだぞ!」
「……犯され……? 湖畔でか?」
考えごとをしていた勇者は、聞き捨てならない単語が聞こえて思考を止めた。そうして魔王を見つめてようやく、魔王が怒っていることに気付く。
「覚えているんだろう? よく思い出せ、俺様が着く前、何をされていたか」
「……着く前……そういえばお前、いつ来たんだ? 僕が倒れた頃にはもう居たな」
「…………は?」
「僕はスレイグとは話していただけだぞ。そうしたら三十分経ったらしく力が抜けて……顔を上げたらお前が居た。だからお前とキスをしていたよな?」
勇者に嘘を言っているような素振りはない。むしろ魔王がおかしいとでも言いたげに、不思議そうに見つめるばかりである。
そうして勇者は思い出したように「ああそうだった。幻覚を見せられていたんだ、お前とキスをしているつもりでいた」と言葉を付け足した。
そこでようやく魔王も思い出す。魔王から見ればスレイグと勇者に見えていたが、勇者はもしかしたら魔王を相手にしていると思っているのではないかと、魔王だって勇者が幻覚を見せられている可能性を思い浮かべていたのだ。
しかし半信半疑だった。正直そうであってほしいという願望もあった。だから今こうして聞くまではすべてが曖昧で、むしろスレイグに心を許している可能性にばかり気を取られて怒りすら覚えていたのだが……。
(……な、なんだそれは……)
あのときの仕草も表情も、すべてスレイグに向けられていたかもしれないと少しでも思っていたから、魔王は心底腹立たしいと思えていた。
けれど魔王の願いどおり、あれらが魔王に向けられたものだったと分かれば話は変わる。
「……魔王? 顔が赤いぞ、大丈夫か」
「今の俺様に触れるな。……まあいい。今はとにかく先を急ごう。早くこの状況をどうにかしなければ、人間界も大変だ」
「魔王様! 魔王様! 鼻は掴まないでください!」
焦ったように歩き出した魔王は、小人の鼻を掴んでいた。しかし気付かず足を進める。小人はひたすらついて歩き、ずっと「鼻を返して、離して」と訴えていた。
「そのことなんだが」
勇者の言葉に、魔王が足を止めた。
勇者は一歩も動いていない。なんとなくその距離感が寂しくて、魔王は一歩、勇者へと踏み出す。
「どうした?」
「……たった一つ、あっただろう。手っ取り早く魔力をお前に戻す方法が」
それは、最初に二人で「無理だ」と拒否をした方法である。
魔王は思い当たり、今度こそ動きを止める。突然何を言い出したのか。別の方法を探そうと、最初に二人で決めたはずである。
「……僕はお前と一緒に居て、お前が優しい奴だと分かった。セックスをするのにも抵抗はない。それで何もかもが終わるのなら、それが一番だとも思う」
「……いきなりどうした。何かあったのか」
――魔王が勇者を見つけたとき、勇者は何かから逃げていたような様子だった。それを思い出して、魔王は勇者の憂いを探る。
「……貴様、何を理由に宿を出た? 今までどこで何をしていた。どうして突然そんなことを言い出したんだ」
「喜ぶといい。この美しい僕を抱けるんだ。これは栄誉なことだぞ」
「茶化すな」
魔王の言葉が鋭く落ちた。けれど勇者は変わらない態度で、口元を力なく緩める。
「早く終わらせたい。それでいいだろ。魔力が一つになれば、お前だって頻繁に僕にキスをしなくても良くなるんだぞ。願ったりじゃないか」
「それは……そうだが」
軽い足取りで、勇者が魔王の元へと歩む。そうして魔王の手を取って、きゅっと指を絡めた。
「今日はこれで次の宿に行こう。あと、もうすぐ三十分が経つから、そちらも頼んだ」
勇者が穏やかに笑う。魔王はその笑顔が、あまり好きだとは思えなかった。
ともだちにシェアしよう!