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第35話

     *  ――その日、勇者が目を覚ましたのは、魔王よりも少し前だった。  隣を見れば、魔王が眠っていた。そんな気の抜けた表情を見ても好きだと思えるのだから、勇者は本当に魔王を愛してしまったのだろう。  そう思うたびに、勇者は悔しいどころか、気持ちがいっそう深まっていく。  これは魔力を貯めるためだと言い訳をして、勇者は、眠る魔王にキスをした。そうして清々しい気持ちで起き上がると、着替えを始める。用事があるわけではない。だから焦ることもなく、マイペースに作業を進めていた。  そうして、部屋の外にある共同便所を使ったときだった。手を洗っていると、二人の男が大きな声で笑いながら入ってきた。 「へえ! じゃあお前本物見たのかよ! いいなあ!」 「ああ、本物はそりゃあたくましい! 勇者が裏切りもんになった今、頼れるのはやっぱりあの二人だけだよなあ」  思いがけない話題に、勇者はゆっくりと手を洗う。 「それで、その剣豪様と大賢者様はどこに居たんだよ」 「ここからはちっと離れてるが……ほら、東のほうにカザミのパン屋があるだろ、あのあたりで見かけた」 「カザミ? あのでっけー看板のとこか」 「いやあ、魔獣から守ってくださるんかねえ。あの二人がいりゃあ、たしかに心強いもんだ」  勇者はようやく手を洗い、俯き気味にトイレから出た。 (……ガイルとユリアスが来てる……?)  城には居なかったとミシェルは言っていた。まさか勇者を探すために旅にでも出ているのだろうか。  思わず早足になる。部屋に戻っても落ち着かず、そうこうしていると小人が起きた。 「なんだ? なんだ? おいらまだ眠い」  小人が、大きなあくびを漏らす。それを見つめて立ち上がると、勇者は「少し用事がある。すぐに戻るから魔王に伝えて置いてくれ」と言付けて、部屋を後にした。  外には人は少なかった。けれど念のためフードをかぶって、東へと進む。  勇者はこの街に明るくない。そのため「東のほうにあるカザミのパン屋」がどのあたりなのかが分からない。ヒントは大きな看板と、少し離れているということくらいである。 (二人がどうしてこんなところに……)  場合によっては、魔王に迷惑がかかるだろう。それだけは避けなければと、勇者は今回一人行動を選んだ。  どれほど歩いた頃か、ようやく大きなパンの看板が見えた。その頃には人も増えて、勇者はますます俯き気味になる。これでは二人を探せない。一度裏路地に入ると、フードを取って頭を振った。 「…………二人で、何してるんだ」  ため息まじりのその言葉は、誰に拾われることもなく消える。  思えば馬鹿らしい行動だ。闇雲に探したところで見つかるわけがない。分かっていたはずなのに止められなかったのは、やはり冷静で居られなかったからなのか。  勇者は魔王が好きだ。彼に恋をしている。間違いはない。  だけど初恋はどうしたって特別で、終わりもなく曖昧なままいつまでも綺麗に残っていたものだから、らしくもない行動をとってしまった。 「ノア!」  勇者が力なく座り込もうかというときに、腕を掴まれた。大通りから入ってきたのだろう、いつの間にかガイルがそこに居て、勇者をしっかりと捕まえていた。

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