42 / 55
第42話
「そいつが迎えに来た。僕を選んでくれた。……だから、一緒に戻りたい」
まさかそんなことを言われるとは思ってもいなくて、魔王は言葉を失った。
心の内が、唐突に真っ白に変わる。
これまで感じていた苛立ちもすべて忘れて、胸の痛みだけが取り残された。
(好きな男……?)
迎えに来た、と勇者は言った。その言葉から、スレイグが言っていたことを思い出す。
そういえば、かつての勇者一行の剣豪と大賢者がこの街に来ているのではなかったか。
「お前にも好きな相手が居るんだろ。それなら分かるはずだ。……僕だって、彼と一緒にありたい。だから、お前とこんな関係でいるわけにはいかないんだよ」
勇者に何を言われているのかも、勇者が何を言いたいのかも魔王には分からなかった。いや、分かろうとしなかったのかもしれない。分かりたくなくて、あえて考えないだけなのかもしれない。
魔王はただ、勇者を見つめることしか出来なかった。
「早く終わらせよう。……今まで、悪かったよ」
「……なんだ、それは。まるで、別れの言葉だ」
ようやく出た言葉は、情けないことにかすれていた。けれど気にも留めていられない。魔王はじっと勇者を見下ろして、答えを待っていた。
「お前にとっては幸福だろ? まあ、この美しい僕と会えなくなるのは多少寂しいかもしれないがな。……言っていたじゃないか、迷惑ばかりかけると。そんな僕が居なくなるんだ、喜べばいい」
「何を言っている」
「もういいんだよ。僕はもうお前には関わらない。お前も、共にありたいと思う相手と寄り添えばいい」
――本当は、ここまで言うつもりはなかった。だけどここまで言わないと、勇者は踏ん切りがつけられなかった。
中途半端に終わらせると、これからもずるずると関係を続けてしまうだろう。もしかしたらと期待してしまう。そんな惨めな自分になりたくなくて、逃げることを選んでしまった。
今はすぐにでも魔王と離れて、いち早くガイルのことをどうにかしなければならない。魔王の力が戻ればガイルなんて相手にもならないのだろうけれど、それでもガイルを見捨てられるわけもない。さらに、今回のことで魔王にも裏切り者のレッテルが貼られたために、そうではないのだと人間側に弁明をする必要もある。
勇者はそうやってほかのことばかりを考えることで、失恋の傷から必死に目を逸らしていた。
「……そうか。貴様には、思う相手が……」
魔王の口から思わずこぼれた言葉は、勇者には届かなかった。それほどか細く、魔王の口の中だけで完結してしまった。
魔王の胸中は穏やかではなかった。
腹が立っているわけではない。なぜか苦しく、そして痛いだけである。
(……なんだ。そうか。……仲間の中に、きっと……)
かつて、魔王がイリスを想っていたときのように、勇者も誰かを熱く想っている。それを考えるだけで、自然と険しい顔つきに変わる。
形容し難い、行き場のない感情が渦巻いていた。気持ちが悪いほどにはっきりとしないそれは、魔王の中に留まり続けて強く主張する。
――それならどうして自分に触れさせた。どうして誘った。どうして強請った。あの態度は嘘だったのか。あの表情は、言葉は、何もかも演技だったのか。自分はまた、騙されたのか。
すべてに答えはない。だからこそ、悪いように考えてしまう。
腹の奥から、ようやく怒りが湧いてきた。何に対してのものなのかも分からない。ただ魔王は、どうしようもない怒りを持て余していた。
「……分かった。いいだろう」
低い声だった。勇者はそれに驚いて、目を見開く。
「思うようにしてやろう。貴様を抱いて、それきりだ。……二度と、俺様の前に現れるな」
本当は、魔王にだって分かっている。
勇者は薄情な男ではない。自己完結する性質があるだけで、これまでだって魔王のことを守ろうと動いてくれていた。
分かっているのだ。だけど、だからと言って、感情の暴走は止められなかった。
騙されたことのある過去が、どうしても魔王の邪魔をする。
勇者とは心を通わせていたわけでも、恋人同士だったわけでもない。それなのに勝手に「騙された」「裏切られた」と思ってしまうことに、魔王も自分で情けなかった。
勇者は泣きそうな顔をしていた。
そんな表情には、魔王の胸もさすがに痛む。けれど次には怒りを思い出して、引き裂くように乱暴に服を剥いだ。
ともだちにシェアしよう!