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第46話

       *    独房で一人、勇者は静かに俯いていた。  正面の独房からはガイルが何かを叫んでいる。ずっと欲しかった愛の言葉だ。けれど言葉は理解できるのに、うまく頭に入ってこない。  ――勇者が目を覚ましたのは早朝だった。魔王はまだ眠っていた。そんな寝顔を見て、最後だからと触れるだけのキスをした。  幸福な朝である。魔王に乱暴にでも抱いてもらえて、そして魔王の腕の中で目覚めることができた。イリスしか知らなかったことを一気に知れて、嬉しくならないわけがない。  勇者の中にはすでに魔力は残っていなかった。確認して着衣を済ませると、そこで小人が起きたようだった。 「魔王のこと、頼んだぞ」  その言葉を残して、勇者はガイルの元に飛んだ。  早朝なために眠っていることも考えたが、二人は偶然にも起きていた。宿に突然現れた勇者を見ても驚くことなく、ガイルは「行くか」とすんなりと受け入れる。ユリアスは浮かない顔だった。ガイルのことを今もまだ愛しているからなのか、罪悪感があるからなのかは分からない。勇者のことを見ることもなく、ただふっと視線を落とす。 「僕はお前たちとは行かない。好きな男が居るんだ。彼はたくさん傷ついてきた。そして、僕をたくさん助けてくれた。今度は僕が報いたい」  そう言って別れの言葉を付け足すと、勇者は城へと戻った。  そうすればガイルたちが追ってくることはなんとなく分かっていたからだ。ガイルやユリアスのことを白日の下にさらせば、魔王への嫌疑もより晴れるかもしれない。勇者やガイルたちにうまく責任の所在を向けてもらえるかもしれない。ガイルたちは巻き込む形にはなるが、おかしくなったまま放置して終わるより、大切な家族として最後は一緒に終わりたいと思っていた。 「ノア! 好きなやつがいるなんて嘘だよな! なあ、そうだろ! 俺のことを諦めさせようとしてんだろ!」  ガイルが力強く檻を掴む。衛兵に必死に止められているけれど、それで引く様子はない。  衛兵たちから、この様子のガイルのことは上にも伝わっているだろう。おかしいということは明らかだ。勇者とは重さは違えど、きっと彼も裁かれることになる。  ――あとになって勇者が死んだと知ったとき、魔王は悲しんでくれるだろうか。理由は知らなくてもいい。気負わせるつもりもない。ただ自分が居なくなったと思って、少しでも寂しいと思ってくれたなら良い。  その頃には魔王はイリスと一緒に居るかもしれない。もしかしたら二人の談笑の合間に、そういえばさ、なんて形で勇者の話題が出てくる可能性もある。そんな話題も一瞬で終わるだろう。それでもいいのだ。勇者が少しでも魔王の心に残っているのなら、それだけで幸福だと思える。  それに、魔王には不本意なことだったかもしれないが、一度でも魔王と触れ合うことができた。  それ以上のことなんて勇者には必要ないのだ。 「ユリアス」  勇者は、ガイルの隣の独房に居るユリアスに語りかける。  彼は弱っていた。ガイルの態度に、傷ついているのかもしれない。 「……スレイグは、いい男だと思うぞ」  その言葉にユリアスは驚いたあと、すぐに「私もそう思いますよ」と笑ってみせた。 「勇者、ノア。お前の処刑日が決まった」  その報せが届いたのは早かった。早朝に城に戻ってきてからそう時間は経っていない。それほどまでに勇者が裏切ったということは衝撃的で、今回のことは重罪であると判断されたのだろう。  明日の早朝。それだけを知らせて、立場のありそうな衛兵が背を向ける。 「ノア、逃げよう! お前ならできるだろ!? 一緒に逃げるんだよ、なあユリアス! お前も力を使ってくれ!」  ガイルが隣に声をかけるが、ユリアスは反応を示さない。 「どうしてお前たちは諦めてるんだよ!」  やっぱり、ガイルの叫びには誰も言葉を返さなかった。 (……明日か)  明日にはすべてが終わる。もう二度と会えなくなる。そう考えて、「二度と顔を見せるな」と言われたことを思い出した。生きていても会えないのだ。それならば悲観する必要もない。  ――力を取り戻した魔王は今頃、魔王城で悠々自適に暮らしているだろうか。いつもと変わらない日々を送って、隣には関係を戻したイリスが居て、離れていた時間を取り戻すように、セックスでもしているかもしれない。  勇者に触れた手つきは乱暴だった。魔王はずっと苛立っていた。けれどきっと、イリス相手には違う。とても優しく、甘やかに触れるのだろう。  終わると思えば傷つくこともない。だってもう見なくていい。それなら傷つくだけ無駄である。  幸せになってほしいと、心の底から願っていた。これまで迷惑をかけたということもある。今回のことで振り回した自覚もある。だからこそ、魔王がこれから傷つくことなく笑って暮らせる未来を、心から願うことができた。 「あーあ……この僕を袖にするとはな、あの魔王……来世では絶対に落としてやろう」  誰に聞かせるわけでもなく、勇者はぽつりと言葉をこぼす。  それと同時だった。  パラパラと、独房の壁が剥がれた。地鳴りが伝わり、外では衛兵の混乱する声が交錯している。ガイルも異変に気付いて口を閉じた。ユリアスも外の様子を気にしている。  なおも地が鳴る。何か砲撃でも受けているのか、鈍い音も聞こえた。

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