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第48話
「忘れたのか、勇者。俺様は最強だ」
「……? ああ。そうだな」
「貴様になんぞ守られなくとも、俺様は一人でどうにでもできる」
そこでようやく、魔王が勇者の思惑を知ったのだと理解する。
犯人は分かっている。どうせミシェルが漏らしたのだろう。彼は魔王と通信ができる状態だったし、リアがともに居ることを思えば、口を出すことは分かっていた。
「そうだ、お前は一人でも大丈夫だ。……だからこれは、僕が勝手にしていることだ。今まで迷惑をかけたからな。お前も言っていただろ、厄介ごとばかりだと。だからせめて少しでも、」
「余計な気は回すな。不要だ」
勇者の体がふわりと浮かぶ。それにバランスを崩しながらなんとか持ち堪えていると、勇者は気がつけば魔王の元へとやってきていた。
「魔王、ノアから離れろ! お前がノアをたぶらかしたんだ! お前さえいなければ!」
「貴様、誰に口をきいている」
魔王の背から、骨張った漆黒の翼が広がる。瞳は赤く光り、腕からは黒の鱗が見えていた。
「この魔王に歯向かうならそれも良い。だが忘れるな、貴様なんぞ一捻りで殺すことができる。情は無い。慈悲も、躊躇いも無い。次の瞬間には地獄に叩き落とす。理解した上で牙を剥け」
魔王は浮いている勇者を横抱きにすると、その腕の中に落とした。
ガイルは何も言わなかった。ただ悲しそうに勇者を見つめて、何かを言いたげに唇を震わせるだけである。
「もー最悪! 筋肉ばっかりー!」
何やら荒れた言葉が聞こえた途端、砲撃が強く変わった。攻め入っていた兵士たちの動きも過激になる。そういえば何が起きているのかと勇者が改めて見渡すと、軍勢が王宮に攻め入っている様子が見えた。
イリスの姿もある。うんざりしたような顔をしていた。
「……な、なぜ彼が、ここに……」
勇者は軍勢を操るイリスを見つめながら、呆けた様子で魔王に問いかける。
「……イリスに協力を求めた。俺様一人でも王城一つくらい占拠はできるが、貴様のことを救い出すのならかかりきりにもなれないからな」
「そんな! ……彼の気持ちも考えろ!」
イリスが「最悪」と言うのも理解ができる。なぜ恋人が別の男を救いに行く協力をしなければならないのかと、そんな気持ちでいっぱいなのだろう。
「下ろせ! 離してくれ!」
「こら、暴れるな」
「いいから離せ!」
勇者が魔王の胸元に手を添えると、そこに魔法陣が浮かび上がった。魔王はすぐに勇者の意図を察して、魔力で防ぐ。
「魔王、」
「いいから暴れるな!」
魔王が声を荒げると、勇者は怯えたように口を閉じた。
「もう貴様の言うことはきかない! 貴様は嘘つきだ! 俺様には何一つ話さない! 勝手に自己完結して勝手に死を選ぶような視野の狭い男の言葉なぞ、聞くに値しない!」
「なっ……僕のように美しく聡明な人間に視野が狭いだと!? 全世界が否定するぞ! バッシングの嵐だ!」
「ああそうだ、貴様は美しい」
突然の肯定に、言葉を続けようとした勇者が押し黙る。
今までどれほど言っても、魔王は勇者の言葉を肯定したことはなかった。呆れてばかりだったはずだ。それがいきなりまったく逆の反応をされたのだから仕方がない。
勇者は目をまん丸にして、自身を睨むように見下ろしている魔王を見つめていた。
「多少抜けていて馬鹿な部分もあるが、そのくらいがちょうど良いだろう。あまり出来すぎると可愛げもない。猪突猛進で何も考えていないときもあるな。あと、意味不明なことを言い出すことがほとんどだ」
「お、お前、上げて落とすとはどういう……」
「だが、貴様は綺麗だ。そんな姿に、俺様は救われていた」
魔王はずいぶん、穏やかな表情をしていた。状況には決してそぐわない。それでも勇者は見惚れてしまって、目を離すことができなかった。
「好いた男が居ると言ったな」
一瞬だけ、魔王の視線がガイルへと流れる。
「――そいつではなく、俺様を選べ。これからはずっと、この俺様だけに願えばいい。貴様の望みを、どれほどでも叶えてやろう」
「……何を言ってる……?」
「貴様を攫いにきた。ともに魔界に来い。二度と人間界の地は踏ませない」
魔王がイリスを呼ぶ。すると軍勢は幻のように消え失せて、呆然とした王宮の兵士たちだけが取り残された。
兵士たちは一斉に魔王に目を向ける。
「よく聞け、人間ども」
魔王の声はよく通る。唐突に訪れた静寂には、充分すぎるほどの声だった。
「勇者は魔王の花嫁だ。殺すことは許さん。今後、勇者を追いかけて魔界に来るものが居れば、魔王直々に人間界を滅ぼすだろう」
魔王の言葉が重たく響く。その場に居た誰もが動かない中、やけに軽快な足取りで一人の男がやってきた。
「ではこうしましょう、魔王アンセル」
ミシェルは普段と変わりなかった。隣には引きずられるようにリアも居る。そんな二人はいつも通りなために、周囲は特に不思議には思わない。
ミシェルの表情だけはどこか浮いていた。王宮が荒れていることなど何も見えないのかと思えるほどには、いつもと変わらないからである。
「勇者ノアを、人間と魔族の和平のためにあなたに永遠に捧げます。勇者を失うのは人間側にとっても痛手です。それほどまでの人物を捧げることで、こちらの誠意を見せましょう」
「――良いだろう」
まるで用意された台本を読み上げたかのような言葉ではあったが、誰もが不審には思わなかったようだ。とりあえず丸くおさまったと、兵士たちはその場にへたり込んでいた。
ミシェルが収拾をつけるのは早かった。後から出てきた国王を置いてけぼりにして、的確な指示でその場をおさめた。リアは森から連れてきていた小人たちとともに、精霊の力を借りて城の修復に務める。ガイルはただ、何も言わずに俯いているだけだった。
そんな光景を見つめて、勇者はようやく魔王を振り返る。
勇者は状況について来れないのか、呆然としていた。そんな勇者を見て、魔王は楽しそうに笑っていた。
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