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第49話
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そのまま魔界に連れ去られた勇者は、結局リアともミシェルともあまり話せなかった。小人にも礼を言えていない。それに、イリスのことだって解決していない。
勇者は魔王に横抱きにされて、軽やかに魔王城へと降り立つ。その間には何の説明もなく、魔王はただ優しく勇者を抱えていただけである。
降りたのは、魔王の部屋の広いテラスだった。
――見つめ合いながら、沈黙が落ちる。熱を帯びた視線がぶつかり、どちらともなく顔を近づけていく。
そうして、とうとう触れ合う直前だった。
「ほれ、やっぱり嫁じゃないか、若造」
突如室内から聞こえた声に、魔王はとっさに勇者を背にかばった。
「なんだ、なぜここに居る」
「わしが協力してやらなんだら人間界はもっとしっちゃかめっちゃかになっとったぞ。深く感謝せえ」
「……魔王、この人は」
「ユーグレイアを介して話しただろう。先代の魔王だ」
「先代!?」
先代と言っていたから、勇者は勝手におじいさんなのだろうと想像していた。
しかしなんと、見た目はまったく若々しい。それこそ、人間で言えば五十にも満たないような外見をしている。髪も黒くはっきりとした顔立ちで、魔王同様、人間界にくれば異性からひっきりなしに声をかけられそうな容姿である。
「ほうほう、貴様にしては良い嫁を選んだのではないか?」
勇者を舐めるように見つめながら、先代が近づく。
「見るな、減る。用件を話せ」
「ガハハハ! 貴様は相も変わらず面倒くさい男よ! なあ花嫁。今からでも遅くはない。離婚することをオススメしよう」
「……僕は別に、魔王とはそういうのではないぞ。それにこいつには恋人が居る」
勇者の言葉に、その場がピタリと動きを止める。
そうして先代と魔王が視線を合わせると、魔王は呆れたようにため息を吐き、先代は声を上げて笑った。
「そうかそうか! アンセルよ! 貴様フラれたのか!」
「やかましい。この俺様がフラれるわけがない」
「え! 魔王、お前フラれたのか!?」
だから自分を連れてきたのかと、勇者は密かにショックを受けた。
誰かの代わりになりたいわけではない。そんな悲しい役目なんか担いたくない。魔王を愛しているからこそ、勇者の悲しみも深く沈んでいく。
「違う! ひとまず、貴様は何の用だ。このとおりこいつの誤解を解かないといけないからな、俺様には時間がない。早く済ませろ」
「貴様が不能になっていた間、我が人間界を守ってやっていたというのに……。まあ良い。貴様らがいちゃいちゃと新婚旅行を楽しんでいる間に、件の旧友から薬が届いてな。渡してやろうと持ってきた」
「新婚旅行なんかしてなかったぞ。僕は魔力を持ちながら精霊の力を借りることに必死だった。惨敗だったが」
「ふっ、嫁が自由だとなかなか大変だなアンセル。しかしこの薬は不要なようだ。すでに力は戻っているらしい」
ニヤニヤともの言いたげに笑う先代に、魔王は嫌な表情を浮かべる。
「……まあ、何もないときに飲むと妙薬にもなりうるらしいからな。今日は疲れただろうから、嫁にでも飲ませてやれ。我からはそれだけだ」
先代がテラスに向かう。そうして大きな翼を広げると、一度だけ振り返り「また会おう」と残して空に消えた。
「はぁ……結局何だったんだ……」
魔王の手には薬包がある。本当にこんなもので分かれた魔力が一つに戻るのかと甚だ疑問ではあるが、先代の旧友という胡散臭い立場の人物がそう言うのであればそうなのかもしれない。
「……魔王、いいのか?」
「何がだ」
改めて二人きりになると、どこからか緊張感が張り詰めた。
「先代の魔王は、僕を嫁だと言っていた。そんな勘違いをさせていては、彼に申し訳ない」
「…………彼?」
「? 関係を戻したんじゃないのか? だってお前、彼のことがまだ好きだっただろ?」
――そういえば、以前魔王は、勇者から「一途だ」と言われた覚えがある。たしかに自他ともに認めるほどには一途ではあるから否定はしなかったが、まさかそれを「ずっとイリスのことを忘れていない一途さ」と思われているなんて、誰が考えつくだろう。
勇者は天才だ。だけど同時に鈍感で馬鹿で、天然でもある。
そんなことに今更悩まされるとは思ってもみなくて、魔王は思わず頭を抱えた。
「魔王?」
「……貴様は、思った以上に鳥頭だったようだ」
唸るように言って、魔王は突然勇者を抱き上げた。
「なんだいきなり!」
「俺様の言ったことを忘れたのか」
顔が近づくと、勇者は体を強張らせた。
真剣な顔だ。ふざけているわけではない。それが分かるからこそ、何を言えば良いのかも分からない。
「……言ったこと……?」
勇者の小さな呟きを聞き届けて、魔王はうっとりと顔を近づけた。すると次は雰囲気にのまれなかったのか、勇者が慌てて顔をそらす。
「ま、待て、僕はもう魔封じはされていないからキスの必要は、」
「俺様がしたいだけだ」
魔王が逃げた唇を追いかけて、そこはようやく重なった。
久しぶりの感触だ。柔らかくて心地が良くて、ずっとくっついていたいとさえ思えてくる。そんな感触を味わいながら、魔王は勇者の唇の隙間から舌を忍び込ませた。
今日は意識があるために、一つになった口内では勇者の舌も動いていた。魔王の動きに合わせて絡み、首元には腕が巻きつく。
「ん、ぅ……魔王……ま、て……」
「それなら離せ。貴様が離れないと待てない」
勇者の腕は緩まなかった。その強さを感じて、魔王はさらにキスを深める。
「貴様とキスをするたび、体が熱くて仕方がなかった。初めからだ。初めてキスをしたときからずっと、どうしようもなく持て余していた」
ゆったりと歩いて、広く大きなベッドにおろす。それでも勇者は離れなかった。背中にベッドの感触を受けてなお、魔王を抱きしめたままである。
「――はぁ……本当に、愛らしい。熱を帯びた貴様は、淫猥な天使だな」
勇者の服を脱がせながら、その恍惚な表情を見下ろす。
勇者はきっと、自分がどんな顔をしているか分かっていないのだろう。魔王に「待て」と言いながら、誘うような目を向けている。
そんな獲物を前にして、いったい誰が待てるというのか。
魔王の中心はすでに固くなっていた。一度だけ味わった熱を思い出せば、もっと貪りたいと本能が騒ぎ立てる。早くしろと魔王を急かす。けれど優しく触れたくて、魔王は精一杯の理性を振り絞っていた。
「……僕は、彼の代わりか」
勇者の震える唇から、あまりにも見当違いな言葉が飛び出した。
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