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第4話 渇望

 やけに喉が渇き、ゐ号は眠ることもできずにいた。  午後は極東帝国からきた使者へ返事をする、大事な日だった。かの国の使者は武官としても名を馳せる剛勇だ。謁見の間で、万が一にも騒ぎが起きたら、と考えると、とても軍装を解く気になれなかった。  しかし、八尋の命令は絶対である。ゐ号は嘆息とともにやっと上着を脱ぎ、顔を三回、洗った。試しに熱を測ったところ、平熱を二度以上も上回っていた。どうやら本格的に風邪を引き込んだらしい、と純白のシャツの襟を解く。呼吸が少し楽になった気がして、そのままボタンを二つほど外した。  呼気が熱い。  ふと鏡を見ると、映り込んだ自身の首筋に、ほんの薄くではあるが、拳大ほどの朱い紋が浮かび上がっているのに気づいた。 (これ、は……)  虫に刺されたにしては大きすぎる、複雑な文様だった。刹那、花街で昔、似たようなものを見た記憶が蘇ってきた。 (まさか──劣紋……っ?)  稀にではあるが、優種には「劣種堕ち」という原因不明の現象が起こり得る。劣種堕ちした優種はもはや優種ではなく、劣種、しかも子をなすことのできない劣種であることが多かった。  劣紋を持つ劣種は、うなじの他に、身体に浮かんだ劣紋自体を噛まれないと正式なつがいになることができない。いくらうなじを噛んだところで、劣紋が無事なら、他の優種とつがうことができる。その特徴から劣種堕ちは不吉とされ、劣紋は別名、好色の紋と呼ばれていた。複数の主に仕えるとの意味で「あれは劣紋持ちだ」と形容されることもある。  だから、花街にいる劣種堕ちたちは、自分の劣紋をひた隠しにして客をとった。  劣紋はいわば劣種堕ちの証拠で、極めて珍しいことから、医学的な研究対象とみなされることもあった。  ゐ号は優種であるからこそ、その価値を認められ、八尋に選ばれてここにいる。いわば、優種であることが、ゐ号の存在意義だった。優種であるからこそ、今の地位を得ることができ、優種であるからこそ、八尋に仕えることができている。 (──それが、こんな……っ)  試しに紋のある首筋を擦ったが、取れない。皮膚の内側から浮き出るように、心なしか劣紋は擦るほどに濃くなってゆく気がした。  喉の渇きが激しくなり、身体がいつもより重い。そして下腹の疼くような感じ……。  時折、色めいた気持ちになり、催したりした時も、ゐ号は自慰などせずに放っておく主義だった。八尋などとは比べようもなく、そういった方面へは疎い。それが常態だったせいか、発情期を繰り返す複製体たちを一段低く見ていた。  しかし、意識し出すとその熱は、途端に持て余すほどに膨らんでゆく。 「っ」  吐く息が熱い。  身体が重く疼く。  気付いてみると、これでよく立っていられたものだと思う。視界が回り、胃の辺りに熱がこもり、荒れ狂う。複製体に訪れる発情期を何度も見てきたゐ号は、彼らが抑制剤に頼るのにあまり良い印象を持っていなかった。意志の力で抑え込めるのではないか。そう軽蔑を持ってさえいた。  それが、どうだ。  腹に溶岩を入れているような、危うい熱が生まれ続ける。出したい、と思うだけではない。入れられたことすらないのに、後ろを大きなものでかき回されたくなる。 (こ、のまま、では……っ)  ゐ号はどうにか意志の力を総動員し、再び軍装をきっちりと着込むと、喘ぐようにして立ち上がった。

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