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第14話 戦場

「円陣を組め! あと少しの辛抱だ! 付け入る隙を見せるな!」  怒号が飛び交う中、八尋の周りを囲む親衛隊員たちが徐々に削られてゆく。どっと騎馬同士のぶつかる音と、馬の嘶きが聞こえる。泥、土、草いきれの混じった不潔な風が血の匂いを運んでくる。土煙の中、中王国旗が傾きゆくのをゐ号は目にしていた。 「伍条隊長! 左翼が……!」  伝令に出ていた隊員のひとりが、馬を駆り、戻り際に叫んだ。 「左翼はもう駄目です! 異民族軍と極東帝国軍の挟撃を受け、青龍将軍及び麾下玉砕! 敵軍の一部が中央まで食い込み、朱雀将軍の部隊が応戦中も、体制を立て直す余力無しとのこと! 残兵ことごとく散り、再編不可能! よって援護の必要非ず! 撤退をしますか……っ?」 「引けば総崩れになるぞ! 友軍をここで待つ! 総員、死守せよ! 陛下! お出になられぬように! くれぐれも我らから離れぬよう!」 「伍条! 俺はいい! 隊員を前に出すな! これ以上削られてはかなわん……っ!」  騎馬の疲労が濃くなってゆく中、八尋を囲んだ親衛隊員の一部が堪えきれずに混戦を抜け出し、敵の壁を斬り込みにかかる。何とかして敵の包囲網を突破せねば、生きて帰れる保証がないからだった。  しかし、前衛を入れ替えながら波状攻撃を仕掛ける敵陣営は、面前へ突出してきた少数の精鋭をあっという間に馬ごと潰した。 「怯むな! 押し返せ!」  伍条が檄を飛ばし、八尋を中心に据えて円陣を組み直す。迫りくる敵と斬り結びながら、いつまでこの極限状態が続くかわからず、集中力を切らさぬようにするのが精一杯だった。ゐ号もまた、円陣の最前列で敵を倒しながら、歯を食いしばって耐えていた。  極東遠征に旅立った時は、こんな窮地など予想だにしていなかった。なぜ、こんなことになったのか──ゐ号はただ、仲間のひとりでも多い生還を願いながら、剣を振るい続けるしかない──。 『その作戦では、負けますぞ!』  作戦会議で気炎を吐いたのは、中王国軍きっての豪傑と謳われる将軍、青龍だった。朱雀、白虎、玄武とともに、中王国軍の双璧の左翼後陣を任されている青龍は、伍条と同じく先王時代から中王国に仕える古株の騎士のひとりだ。性格は豪快にして実直。二代の王に仕え、幾つもの軍功を立てている戦の寵児は、戦場の青き鬼神とも呼ばれた。 『我らが動く以上、王は中央にいてもらわねば。百歩譲って戦力を分けるならば、数は五百以下、首魁は八号にしていただきたい。国の要はわかりやすい場所で、我らの士気を高めるのが主要な務め。数で勝てる相手に、危険を冒してまで、逐次小戦力を投入するは愚。こちらが撃破される局面をわざわざつくる必要はありませんぞ!』  正論であった。今回の戦で、中王国軍は数で相手に勝る上、兵の練度も士気も高い。現に、先日ぶつかった極東帝国軍との国境線沿いでの戦いは、中王国軍の完全なる勝利に終わった。  にもかかわらず、引き直したはずの国境線を再び削り取りにきた極東帝国軍に、いわば灸を据える形での、再戦だった。 『だが、少な過ぎる……』  八尋が頤を撫でながら言うと、斥候のひとりが帰還した。 『申し上げます! 敵主力部隊周辺に友軍はありません! 主力の数は約三万、騎馬二万、歩兵一万です!』 『ご苦労だった。開戦に備えよく休むように』  八尋がねぎらいの声をかけると、朱雀が進言した。 『やはり思い過ごしではありますまいか。数で勝っていることがはっきりした以上、先陣を切り、敵を叩き潰し、戦闘意欲を削ぐのが定石』 『しかし、妙といえば、今回の布陣は確かに妙だ』 『おれもそう思う』  白虎と玄武が呟き、意見が割れたまま、八尋に衆目が集う。  周辺を偵察させたが、風はいつもの西風で、弓矢の飛距離も、軍勢規模も、中央国軍が優っている。だが、以前、負けた時と同じ布陣を、以前の半分程度の兵力で再現する意味がわからなかった。  用心深い者は罠を疑ったが、確証がない。 『親衛隊側の意見もくれ。これをどう見る? 伍条』 『は』  伍条が状況を分析した結果を詳らかにする。 『結論から申し上げると、用心すべきかと。相手は極東帝国です。何度もぶつかったことのある相手であればこそ、こたびの布陣は奇妙としか思えない。敵に考える頭があれば、同じ轍を踏む真似は避けるはず。ここは威力偵察部隊を出し、確たることが判明するまで様子を見るべきと存じます』  散々親衛隊の中で揉んだ案だった。確証はないが、用心するに越したことはない。特に八尋の命を預かる立場からの意見が慎重論に傾くことが多いのは、致し方のないことだった。 『俺は反対ですぞ。開戦時期を延ばしてまで援軍のくる猶予を敵に与えるは愚策。相手の用意が整うのを待ってやる必要はない。相手が三万ならば、開戦時期を早めるべきです。一瞬でかたをつけ、さっさと凱旋すべきです。陛下』  結局、意見が割れた結果、青龍をはじめとする早期開戦派の主張が通り、王道である数の優位を生かす作戦が採用された。慎重派の主張に、確たる裏付けが得られなかったせいであった。 「後方に敵! 数、およそ五百! 異民族軍の模様!」 「くそっ、いつまで続くんだ!」 「左翼弓隊、矢をつがえ! 陛下をお守りしろ!」  弓隊の指揮者が手を振り下ろすと同時に、矢の雨が敵陣へと飛びゆく。  しかし、折から吹きすさぶ西風に乗り飛んできた異民族軍の矢の雨が、同時に中央国軍にも襲いかかった。 「く……!」  結論から言えば、情報戦で中王国軍は負けていた。八尋をはじめ、伍条、ゐ号ら、親衛隊たちが覚えた違和感の通り、先だっての負け戦と同じ布陣を少数の軍勢で敷いた極東帝国軍には、援軍があった。彼らは周辺で遊牧を生業とする異民族と協定を結び、共同戦線を張り、削り取った兵の首の数と引き換えに金を与える約束を取り付け、共同戦線を張ったのである。  そのため、普段は大人しく戦闘を見守っているだけの異民族が極東帝国軍の増援となり、中王国軍へ牙を剥いたのである。  異民族軍は軍と呼べるかも難しい雑多な集団をなし、極東帝国軍とぶつかる中王国軍の横腹を左斜め後ろから突いた。凹型に布陣していた中王国軍の左壁後方が崩れ、青龍将軍が戦死するほど、その攻撃は苛烈を極めた。  異民族は元々、中王国と僅かながらも交易をし、何世代も前から和平を主とした交流を続けてきた。重ねて、三万の極東帝国軍に対し、十万の中王国軍がぶつかった時、極東帝国軍は、なぜかまだ補給用の荷馬車を引いていた。機動力が落ちたところを十万の軍勢が包囲し、食らいついてゆくさまは、はじめ蜘蛛が捕食した餌を食べとかしてゆくようだったという。  しかし、荷馬車だと思っていたものが、幌を被った極東帝国軍の騎馬部隊だとわかると、形成はにわかに逆転した。三万だと思っていた軍勢が、いきなり三倍の九万に増えたのだ。おまけに極東帝国軍の本陣から狼煙が上がるや否や、いつもはもっと北の寒い地域にいるはずの異民族が大挙して襲い掛かってきた。  青龍のいた左翼後方の一角が崩れると、雪崩を打ったように、たなびく御旗を目印に一撃離脱を繰り返しながら攻め込んでくる異民族軍に対し、八尋を死守するべく、多くの仲間が斃れゆき、事態は困窮を極めた。八号の指揮する威力偵察隊が帰り着く前に開戦に踏み切ったことが、裏目に出てしまったのである。  親衛隊を中心に、八尋の盾として奮戦すること小一時間。やっと疲弊の色を滲ませはじめた異民族軍と、膠着状態に持ち込むことができた。 「怯むな!」 「あとひと押しで敵が引くぞ!」  戦の流れが変わるのを見て、仲間が互いを鼓舞するように声を上げる。異民族軍は騎馬が主体で機動力が高い。数も多いし、誰が首魁かはっきりしないので、頭を叩けば終わるという種類の戦とはいかなかった。再三にわたり突撃と離脱を繰り返され、崩れゆく中王国軍と、戦力を削り合う持久戦の様相を呈しはじめたその時、南西にやっと、中王国の御旗が翻る騎兵隊が現れた。地平にたなびくその影が、烈然とした速度で異民族軍の後方へ食い付こうと迫る。 「味方だ! 八号! 陛下はここです!」  思わずゐ号が叫んだ。  その時──異民族軍の矢が西風に乗り、どっと親衛隊員のど真ん中に雨のように降り注いだ。 (しまっ……!)  ほんの半瞬ほどの判断の遅れが招いた隙を突かれた。ゐ号の操る騎馬の体表を、その矢の一本が刺し貫いた。  騎馬が暴れ出し、前足を高く上げる。咄嗟に受け身を取ろうとしたものの、ゐ号は均衡を崩し、腰から地面へ激突するかに思われた。 「く……!」  刹那、どっと後方から馬体をぶつけらたような鈍い衝撃がした。どうにか均衡を取ろうとしたゐ号は、気がつくと見覚えのある蒼穹色のマントに包まれ、視界を塞がれていた。 「すずめ……!」  振り払われたマントが、矢の雨を薙ぎ防ぐ。  かと思うと、腰を抱かれ、ゐ号は八尋の牝馬に拾われていた。 「怪我はないか、すずめ……!」 「陛下……っ? なにを……っ!」  隊列が乱れ、円陣の一部が綻んだ。八尋が前に出すぎたのだ。鮮やかな藍色の裏地に金の織糸で中王国王家の紋章の縫われたマントが、最前線にいきなりたなびいたのを見た敵は、やにわに獲物を得た獣の如く活気付いた。 「おやめください! お戻りくださいっ!」 「そなたをこのままにはしておけぬ!」 「わたしのことなど……っ」 「駄目だ! 生きて帰れと申したではないか……!」 「陛下……っ」  ゐ号が必死に叫ぶが、八尋は青い顔を崩さず、そのまま前線で敵と斬り結びはじめた。 「囲めっ! 囲め!」  伍条が声を枯らして指示を飛ばす。 「陛下っ! お下がりください!」  疲弊した敵に合わせて軍を引こうとしていた伍条が、突出した八尋のすぐ横へと躍り出る。 「お下がりください! 八尋様! お立場をお忘れか! 王よ!」  伍条がかろうじて剣戟を躱しながら、八尋の服の襟を掴む。と同時に雷神のような怒声を上げ、自ら最前列に躍り出ると、悪鬼の如き働きをした。  一瞬、八尋とゐ号、伍条を中心に空白の遊びができる。そこへ味方の弓隊が雪崩れ込み、騎馬に踏まれるのもかまわず敵方へ矢を打ち込んだ。 「御旗はここぞ! 囲め!」  伍条の剛声に兵らが必死で八尋を囲もうと躍り出る。 「ゐ号! お前は陛下とともにあれ!」 「はっ!」  どっと空白地帯に中王国軍が雪崩れ込んできたのを受け、どうあってもその壁を崩せないことを悟ったのか、やっと異民族軍が引く気配を見せはじめた。  流星の黒馬に騎乗する八尋のマントは黒いが、中が八尋の眸と同じ、蒼穹色に染め上げられている。その外套の中に半ば包まれるようにして、ゐ号は血が滲むほど唇を噛み締めていた。  八号の部隊が異民族軍の尻を食う頃には、中王国軍本陣は再び厚くなり、もう極東帝国軍でもおいそれと手出しができない状態にまで戻った。  軍勢を立て直し、戦はそのあとも続いたが、本陣に斬り込まれることはなく、やがて極東帝国軍も異民族軍も、次第に戦力を削られてゆき、消耗戦の様相を呈していった。  青龍将軍を失した戦いはかろうじて中王国軍の勝利で終わったが、損害は、少なく見積もっても二割を超えていた。日が沈み、戦場から後方の補給部隊のいる本陣へと帰還すると、やっとゐ号は八尋の馬から降ろされた。 「すずめ……」  ばし、と音を立て、伸ばされた八尋の手を、ゐ号が振り払った。手が痛い。周囲が見守る中、振り返ると八尋が傷ついた顔をしていた。 「っどういうおつもりですか……!」  だが、不敬の罪で裁かれようとも、ゐ号はぶちまけずにはいられなかった。 「……怪我はないか、すずめよ」 「わたくしはどうでもよいのです! 御身にお怪我はっ……?」 「ない」 「ないなら大人しくしていてください! 皆の邪魔にならぬよう! あなたは国王なのですよ! 我らがどれほど……っ!」  死地へ赴いた仲間への悔恨が形を変えたものだった。普段ならば、急いで止めに入るはずの伍条も、ゐ号の癇癪を黙したまま、割って入るに適当な機会を伺っている。 「そなたは平気か?」 「おやめください! ご自身の立場をお忘れか!」  差し伸べられた八尋の手を再び振り払い、そこでゐ号は言葉を止めた。何を言っても、失われた命は戻らない。どう後悔しても、どれほど足掻いても、生きるということに、二度目はないのだ。それは、八尋もわかっているはずのことだった。 「──身体が動いた。もう二度とせぬ。許せ」 「っ……」  戦場であるにもかかわらず、己の命を顧みず、ゐ号を助けたのだ、この王は。ふつふつと湧き上がる複雑な衝動が怒りとなり、噴出する前に、にわかに目の前が曇り、気がつくと涙していた。  八尋の目が大きく瞠られる。 「すず……」 「ご命令ならば従います……! しかし、二度とこのようなことのなきよう、誓ってください! それと……っ、わたしをあだ名で呼ぶのは止めていただきたい! 隊の士気にかかわります……!」  滲む声でそれだけ言うと、ゐ号は俯き、震えた。これは八つ当たりだ。ゐ号にもわかっていた。多くの兵らが命を賭して守り抜いた八尋の命。その命に守られた己のふがいなさを、許すことができなかった。  やがて伍条がゐ号の肩を叩いた。激情をぶつける場をなくしたゐ号が鼻を啜り涙を拭うと、その頭をそっと撫でて言う。 「概ね、ゐ号の言うとおりですよ、陛下。あなたは王であらせられるのです。非常時であればこそ、私情を挟むのはおやめくださらなければ」 「……すまなかった。皆も、心配をかけた。許してくれ」  八尋は、殴られたかのように沈黙したあと、滲むような声で、ただそう呟いた。

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