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第17話 辺境へ
実りの秋が訪れた。
銀杏の大木が並ぶ王城の南の庭は、枯葉が一面に散り、すっかり秋の風情だった。黄金色に染まった地面に散りゆく紅葉した葉が風に舞うのを見ていると、地上の煩わしさが半減してゆく気がする。
ゐ号が守り番に入る日まであと一週間。青龍の国葬も無事に済み、中王国全体が夏の戦を過去として捉えはじめた、そんな時期のことだった。
「視察、ですか……」
中王国東端に位置する東岩地方への視察が決まった時、ゐ号は発情周期と被るおそれがあるため、同行の辞退を申し出ようとしていた。
「そなたには元伽役のら号を付ける。だからともにまいれ。よいな」
「は……」
しかし、会議の議場で八尋にそう持ちかけられ、伍条以下親衛隊にも自動的に話が通ってしまい、ゐ号は頷くよりほかなくなってしまった。
練兵場で朱雀に命じられた仲直りの一件が、王城内のどこまで広まっているのか探る術はなかったが、最近、八尋の視線が柔らかい気がする。相変わらず、個人的な話をする雰囲気ではないが、ゐ号は八尋との捻じれた関係性を、どう修復にもってゆけばよいか、出された宿題に、ひとり悩んでいた。
東岩地方への視察は、親衛隊及び影武者の八号、そして資源省と商業省の大臣の随行が決まった。総勢八百騎余りによる三週間かけての、のんびりした旅路だった。
「青龍を故郷へ帰してやらねばな」
八尋は青龍の骨壷を撫で、そう呟いた。青龍の出身は東岩地方の西の国境付近にある、小さな町だと聞いたゐ号は、今回の旅が弔いの旅でもあることを悟った。
王都の境まで、留守を預かる朱雀、玄武、白虎の三将軍が見送りに出る中、八尋の一行は民草たちの間を縫うようにして、ゆっくりと旅立っていった。移動の最中も平和なもので、各村や街へ泊まるたびに、八尋だけでなく親衛隊をはじめとする兵士たちも、盛大なもてなしを受ける。八尋が王位を継いだ年に手をつけた富国策が実を結びはじめ、田畑が潤い産業が盛んになり、民から無理な搾取をせずとも領地が富むようになったためである。旅のどの地点でも、民たちの顔が明るく、それは先の戦で得た喪失感を癒すだけの力があった。
「ゐ号様っ。夜は、わ、わたくしと寝てくださいませ……っ」
同道したら号は最初は幾分緊張した様子であったが、ゐ号が尋ねると、あれこれ嬉しそうに知識をひけらかすのが面白く、意外と話が合った。無知蒙昧で夜伽以外の特技がないのが劣種だとの先入観はすぐに払拭され、元々知識欲の旺盛なゐ号は、ら号の頭の中を興味深く覗く楽しみを得た。
「そなたのように、伽役らは皆、様々なことを知っているのだろうか。そなたは博識で、話していても飽きることがないな、ら号」
ごまをするつもりはなく、素直にそう思ったゐ号が口にすると、ら号は頬を上気させた。
「わ、わたくしは、っ、八号様の手ほどきを最初に受けた者なのです。ですので、国王陛下とのお付き合いも、一番長いと存じます」
「そうか……陛下と」
「あっ、いえ、そのっ、でも、っ、い、今は全くお呼ばれすることもなく……っ」
どうやらゐ号が八尋の「お手つき」になったことは、伽役たちの間でも噂になっていることが、その反応でわかってしまった。ゐ号は今さら隠すことでもないので、ら号に「別に、わかっている。そなたらも大変であったろう」とねぎらい、己の中の羞恥心と嫉妬心をどうにかねじ伏せた。
「と、とんでもない……! ただ、その、わたくしどもには色々と制約がございまして、閨でのことを外へ持ち出すことは、禁じられておりますゆえ……お話しできることも、限られてしまいますが……」
「そなたと閨話をしようとは思っていない」
「も、もちろんでございます……! ですが、ゐ号様の旅先での体調管理は、元伽役である四十五人を代表してわたくしが担わせていただいております。ですので、できれば、どんなことでもお話しいただきたいのです。それが、わたくしのお役目でありますので」
あまりにも真剣に切り出すら号の様子が可笑しくて、ゐ号はつい吹き出してしまった。
「あっ、あの……っ」
顔を真っ赤にしてあたふたするら号は、とてもゐ号と同じ「核」からつくられたとは思えない、ひとりの人間であった。
「……すまない、そなたを笑ったわけではないのだ」
「は、はい! わかっております……っ」
「ただ、その、「核」とは不思議なものだな。わたしには親も、本当の兄弟もいないが、そなたのことを弟のように思ってしまいそうだ」
その時、ゐ号はただ取り繕う理由としてそう表現しただけだったのだが、旅が進むにつれ、その表現がしっくりくることがわかった。
ゐ号の言葉に、ら号はしばらく何かを逡巡していたが、やがて顔を上げると、きっぱりと頷いた。
「わ──わたくしがっ……力不足かもしれませんが、わたくしどもがついております。ゐ号様をお支えします」
そう結んだら号に、ゐ号は少し救われた気がした。ら号には悪気のない、純真なところがある。それはゐ号にはない性質だったので、羨ましく思ったりもした。
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