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第27話 その夜のこと(*)

 髪にそっと指先を差し込まれる。  後頭部の皮膚の薄いところへ指の腹を押し付けられただけなのに、ゐ号の中心は簡単に上を向いてしまった。八尋に欲情していることを悟られるのが恥ずかしくて、身体が強張る。  ゆっくりと唇が重なると、慎重な舌が口内へ差し入れられ、甘いと感じるほど長く貪られた。八尋の匂いが濃くなってゆき、もう抵抗せずともよいのだと悟ると、ゐ号の身体は素直に拓いていった。 「はぁ……っ」  口づけの合間に空気を吸おうとすると、喘ぎ声のようになってしまう。八尋の美しい眸がまっすぐにゐ号へと向けられているのが、狂いそうになるほど嬉しく、正気でいられなくなる。 「そなたの匂いが好きだ、すずめ」  八尋はゐ号の名を呼びながら、するりと頭髪を撫でていた手をうなじへと下ろした。 「こうして覗き込むだけで、そなたが濡れるのがわかる」 「ぁ……っ、へい、か……っ」 「触れるたびに感度を増す身体も、俺に欲情してくれるところも」 「……っ」  言いながら八尋の空いた方の手が、ゐ号の下腹部を布地ごと軽く押す。びくり、と反応してしまい、ゐ号は頬を染め、俯いた。 「そなたを前にすると、俺は獣になってしまう」 「わたしも──わたしもです。わたしも、獣です……」  恐るおそる腕を伸ばし、八尋の着衣に包まれた逞しい胸部へ掌で触れる。八尋もまた息を詰めた気配がして、葛藤を抱えているのがゐ号だけではないことがわかった。 「すずめ」  そっと眦に口づけを落とされる。 「すずめ」  鼻の頭に、同じように口づけられる。 「すずめ」  名を呼びながら、今度は額に同じように口づけを与えられる。 「すずめ、そなたが、好きだ」 「ん……」  何の衒いもない言葉だった。本来ならば、受け入れ難いそれこそが、八尋の真心だと今はわかる。八尋から言葉と口づけをされただけで、ゐ号は心の器から、悦びが溢れ出るのを感じた。たくさん与えられたその悦びに見合うものを、ゐ号も返したいと思う。そのために何をすべきか、答えのない白い紙に手探りで目印を求めるようなものだった。が、きっとこうして手を伸ばす先に、答えがあるはずだと信じる。  そうして八尋の背中に腕を回した。  ボタンを外され、中途半端にシャツと下着だけの姿に剥かれてしまう。腰布を引き下ろされ、八尋の前に昂りが晒されると、ゐ号は息を止めた。 「こんなにしているのか」 「っ……」  羞恥から膝を閉じかけるゐ号の脚を両側に開き、閉じられないよう、八尋が脚の間に腰を入れる。 「そなたが欲しい、すずめ」 「み、御心のままに……っ」  心臓が狂ったように暴れ回り、ゐ号は呼吸の仕方を忘れて、喘いだ。先端の切れ目を八尋の視線が灼く。とろりと透明な蜜が盛り上がり、垂れてゆくさまを八尋に見せてしまっていた。 「さ、きほどから、静まれと念じておりますが、わたくしには、制御が難しく」  何かを喋っていないと、正気が保てない気がする。 「あ、あさましい欲から、御目を汚す無礼を、お許しください……っ」  そう哀願してしまうと、恥じ入るゐ号に、八尋は口角をわずかに上げた。 「俺も同じだ。教えただろう? すずめ。こうなることの、どこをあさましいなどと思うのだろう」 「わ、たくしは……欲深いのです。伽役にすら嫉妬を抑えられず、陛下に嫌われた時のことを考えると、焦りでおかしくなりそうになるのです……。こんな心持ちになることが、到底許容できず……」 「そなたが傍にいるだけで、俺も熱くなることを知っているだろう?」 「ぁ……」 「そなたとともに寝て以降、伽役たちを解放する手段を、ずっと考えていた」 「解放……?」 「だが、今は、そなたとのことに集中したい」 「あ」  ゐ号の首筋にある劣紋を甘噛みされると、甘い痺れが全身に広がる。八尋はゐ号の胸の飾りに触れ、とろりとなるまで捏ね回した。 「あ……ああ……っ、陛下、へ、いか……っ」 「そなたはここが好きであったな。こうして愛するだけで、出してしまうほどに」 「あぅ……っ! あ、あ……っ、お許し、くださ……っ」  びゅく、と身体を震わせて、ゐ号は次の瞬間、何の前触れもなく達した。  つがいを得て、発情期がこなくなれば、煩わしく懊悩するほどのあの愉楽からは、解放されると思っていた。  しかし実際は、八尋に少し見つめられ、軽く触れられるだけで、息をするのも忘れるほどの快楽に溺れ、身体の奥が潤みきってしまっていた。  ひとりだけの絶頂の余韻に、息を切らしながら、ゐ号は少しさみしさを抱いた。与えられるだけ、ひとりで気をやるのでは、どこか物足りない気持ちになる。八尋によって中に注がれる悦楽を知ってしまったあとでは、それに比する快楽を、見つけられない。 「陛下、くださ……い……、中に、はやく、なか、に……っ」  ねだりがましく八尋に縋り、背中に爪を立ててしまう。あれが欲しいと、はっきりとした欲望を覚えたゐ号がせがむと、八尋は一瞬、色に満ちた表情でゐ号を睨んだ。 「まだ、そなたのすべてを感じていないのに、もう挿入れと申すか」  我がままだと言われたようで、身が竦む。ゐ号が我を失い震えると、その両膝の裏に手を差し込んだ八尋が、そのまま両脚を持ち上げた。 「あぁ……っ!」  八尋の目の前に、天井を向いた幹と、濡れそぼり慄く後蕾が晒される。 「や……! だめ、っです……っ! あぁっ! ああ……っ!」  上向いた先端を舌先でくじるように舐められただけで、ゐ号は爪先をぎゅっと丸めてがくがくと腰を震わせた。 「そこ……っ、そんな、入れな……っ、入らな……ぃっ、ひぅ、ぁあぁっ!」  鈴口に舌をねじ入れられた衝撃で、再び絶頂に上り詰めたゐ号の片脚を下ろすと、片方の膝を八尋の肩にかけ、後蕾を圧迫が襲った。 「は、ぁ……っ、待っ……いま、いった、から……っ」  そのまま強く押し込むことなく、後蕾に先端を擦り付けて、何度も襞を乱されるようにして、蕾を蹂躙し続けた。ゐ号の呼吸の整うのを待つように、にち、くち、と音を立てて八尋は己が屹立を行き来させる。遊ばれてでもいるようで、ゐ号が甘える声を出すと、やっと八尋はゐ号へと覆いかぶさってきた。 「挿入るぞ、すずめ……」 「んっ、ぁっ……きて、くださ、い……、──ぅ、ぁ、あぁっ……!」  八尋の腰つきにねだりがましく寄りかかるようにしてしまう己が信じられなかった。けれども、もう誤魔化すのは止そうと心に決める。八尋が求めてくれるのなら、それらにすべて、応えたかった。これほどまでに、求めてくれるなら、求められるゐ号でいたかった。  濡れた音をさせて、八尋の最初の一撃が穿たれる。それが自由を与えてくれることを、もうゐ号は知っていた。優種だから、劣種だからと区別をすることに何の意味もない。褥に入り、睦み合う時は、誰もが欲情に突き動かされ、蕩けるのだ。 「あっ、あ! き、きて……っ! もっと、深……く、ぅぁ、ぁんっ!」 「すずめ、すずめ……っ、そなたは、なぜ、こうも……っ」 「あ、あっ、へい、か、へ、いか……っ」 「名を」 「──……っ」 「やひろと、名を」 「ん、あ、で、も……っ」  ゐ号が最後の躊躇いを見せると、八尋はそのまま動きを止めた。 「あ……あ……っ」 「八尋と」 「あ、んっ、でも……っ」 「どうか、呼んでくれぬか、──すずめ」 「あっ、あ……ぁ……っ」  沈黙ののち、そっと閉じていた瞼をゐ号は開いた。  その視界いっぱいに広がる、透明度の高い湖の底のような眸。  その眸が濡れた色をさせているのを見て、ゐ号の中に溶けずに残っていた最後の欠片が蕩け出す。 「八尋──様……っ」 「すずめ」 「や、ひろ、さま──ぁ、あっ!」 「すずめ……っ」  嵐のように揺さぶられ、ゐ号は必死に八尋に掴まった。劣紋が火を噴いたように熱くなる。その朱い文様の上に、ごつごつとした歯型が残っている。八尋は唸りを上げ、ゐ号をかき抱くと、その上にまた歯を立てた。 「あっ」 「すずめ、そなたが、俺は、そなたが……っ」 「あ、あっ……! いく、いってしま……っ」  涙で視界がぶれたまま、八尋の面影が滲んで見える。 「すずめ、すずめ……っ、俺の雛鳥──……っ」  やがて容赦のない抽挿を経て、皮膚の膜さえ溶け出して混じってゆくような気がした。次第に追い上げる抽挿になるに従い、八尋にも余裕がなくなってゆく。 「あっ、あ! 八尋様……っ、願……っ、ねが、い……っ」 「どうした、すずめ……っ?」 「も、っと……っ」 「すずめ……?」 「奥まで……っ、飽きるまで、わたしを、抱いていて、ください……っ。わ、たし、が、音を、上げても、聞かずに……っ」  その声に、八尋は酔ったような顔のまま、何かを抑えるような表情になった。 「そなたは、俺を煽るのが、上手すぎる……っ」  いつも、八尋はゐ号に合わせてくれていた。伽役らとの行状から、八尋がどれだけ理性を持ってことに当たっているかを、ゐ号は悟っていたから、だから、もしも八尋の相手となる日がきたら、すべてを余すところなく、ぶつけて欲しいと願っていた。 「いいのか。俺が、ほかならぬそなたに、それをして……っ」  こくこくと頷くゐ号に、八尋は少し、泣きそうな顔をした。  幼い頃から国王らしく教育を施されたのであろう。八尋は節制の人であった。何時たりとも冷静な判断を求められる、そういう人生を送ってきていた。  ならば、せめてゐ号といる時ぐらいは、その枷を取り外してやりたいと思う。 「すずめ……っ」 「理性など、知りません……っ、あなたと、いきたいのです……。どうか……っ」 「く……っ」  八尋の腰に両脚を絡めると、ぱたりとゐ号の頬に、涙が落ちかかった。 「きつかったら、言うのだぞ……っ」 「はい、──八尋」  その声を聞いた次の瞬間、八尋は唸り声を上げて腰を打ちつけはじめた。  激しく揺さぶられ、内側が悦楽にびくびくと痺れる。今まで感じたことのない強い快楽に、八尋によって追い込まれてゆくのをゐ号は感じた。  初めてのことだった。  でも、少しも怖くない。  涙にくれながら腰を振り立てる八尋が、封印していた自身の感覚を追う動きへ変化するのを、ゐ号は悦びをもって感じ、それがさらなる愉楽をもたらすことを、肌で知った。 「あ、あ! ああ! あっあああ……っ!」 「すずめ、すずめ……っ、俺は、そなたを……っ」  愛というものがどんなものなのか、ゐ号は知る由もなかった。  けれど、ひとつだけ正しいことがある。  偽らないこと。  まっすぐいること。  八尋の動きが速くなる。  もうとうに限界を迎えたゐ号の中に、引き絞られるようにして、どぷりと濃い液体が、何度かにわたり、注がれた。 「好きだ──」  獣のように交わり、獣のようになり、果てた。  しかし、そこには限りなく、相手を想う心があったことを、褥の二人だけは知っていた。  くしゃくしゃになった褥の中で、ゐ号は蕩けて、身も心も生涯も魂も、すべて、八尋のものになってしまうことを希った──。

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