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5.負けず嫌い
「っ!?」
悲鳴を上げる直前で飲み込み、後ろに飛び退く。空気が変なところに入って咽せそうになるのを、意地で飲み込んで息を潜めた。
何で居んだよ!? 何で家知ってんだよ!?
心臓がバクバクいってて煩ぇし、頭はパニック起こしかけててヤバい。残っている冷静な部分を総動員して無理矢理抑え付け、安心できる材料を探してどうにか理屈を組み立てる。
アレは、別に何でもない。ただ気持ち悪いだけの奴。あいつ自体とは初対面だし、今日一日だって一切関わってない。だからオレに用事なんてないし、別の誰かと会う約束してるだけ。出て行かなかったらおかしいって気付いて帰る。大丈夫。無視してればそのうち──。
「……鴇坂?」
ドア越しにも関わらず、はっきりと〈アレ〉の声が聞こえた。
ただの呼び掛けに、心臓が止まりそうになる。打ち消しかけた不安が這い上がり、名前を知られている恐ろしさに血の気が引いた。
「今日転校して来た宮代だ。話しをしたい事がある。」
何より、オレが目の前に居るのが分かってるような声色が酷く気持ち悪かった。
やばい。どうする。居留守……は意味ない。家知られてんなら明日も来る。つーか、それより前に教室で何かされ……いや、だから何もねぇんだって。けど、もし──。
もしも、あの気が狂いそうな感覚に襲われたら。
そう過った途端に体が竦む。ひゅっと息を吸い込んだ音で、呼吸すら忘れていた事に気付いた。急に酸素を取り込んだからなのか、悔しさからなのか、頭の芯がぼやけた。
何でこんな目に合わなきゃなんねぇんだよ。オレが何したんだよ。『何で?』と『もう嫌だ』がどんどん積もっていって、その隙間から『諦めれば楽になるぞ』って手が差し伸ばされる。
そうだよ。こんな訳わかんねぇのから今直ぐ開放されてぇよ。どんなに努力したってぶち壊されて。普通になるのも、普通じゃなくなるのも出来なくて。それでも何とかしようとしてこんな目に合うなら、諦めた方が楽だろ。
別にそれで、昔も今もこの先も「やっぱりお前は駄目だ」って言われて、蹲る事しか出来なくたって。
狭い廊下に、ダンッ、と、叩きつける音が響いた。
扉の向こうを睨み付け、壁を殴打した拳で頽れそうだった体を支える。
ふっざけんな。あんな奴に今までの努力を無駄にされてたまるか。こいつにも今までの気持ち悪い奴等全部にもクソみてぇな両親にも、やって来た事を全部無視されて見下されるのは二度と御免だ。
ひりつく拳よりも熱を持ち始めた体を引き起こし、後ずさった分の距離を詰めた勢いのまま口を開く。
「何だよ」
「急にすまない。同じクラスに転校して来た宮代だ。相談事があって来た。……先程、ぶつかるような音がしたが大丈夫か。」
「は? 関係ねぇだろ」
「無事であるならば良いのだが……。鴇坂、今から少し時間を貰っても良いだろうか。可能であれば、室内で話をさせてもらいたい。」
改めて聞いてみたら、喋り方まで気持ち悪い。何か偉そうだし、遮蔽物あるにしたって抑揚が無さ過ぎ。意味的には、こうしたいんだけど良い?って訊いてんのに、もう決まってる事みたいに聞こえんのが普通にムカつく。
「めんどくさ。そのまま話せよ」
「すまないが、他人に聞かれたくない話でな。」
少しもすまなそうじゃない、含みばかりある言葉が返って来た。ゴネるだろうなとは思ってたけど、意味わかんねぇ。ウザい。大袈裟。初対面の相手に何話すつもりだよ。
一頻り文句を並べて吐き捨てるられるようになった頭は、さっきよりずっとマシに動いてくれそうだった。それでも、逃げ場のない場所で一対一で会わなきゃならないんだと思うと、血管に冷えた水を流し込まれたみたいにざあっと体温が下がる。もう腹は決まってるのに、素直な反応を返す体が心底嫌になった。
だからこそ、手を伸ばす。
カチリ。と、鍵の回る音がやけに重く聞こえた。後悔はない。してたまるか。
「入れよ」
少し距離を取り、短く声をかけて部屋に戻る。こっちからは、扉を開けてやらなかった。
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