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14.じわじわと

 それから、二、三日置きに宮代は『制御と調整の手助け』を要求してきた。  初日のクソ痛い光景と疲労感はかなり堪えたが、たった数回やっただけで「もう少し間を開けてくれ」なんて頼むのは癪で、しばらくは言われるがままに呼び出しに応えてやった。  ただ、回を重ねる毎に確実に。意地を張るより先に足が重くなる。  訳分かんねぇ事に付き合わされているストレスもあるし、何より体力面の負担が大きい。手伝いをさせられた当日以降も疲れが残るのに、それが回復し切らないまま次がやって来る。授業中に寝た事はなかったけど、家で勉強してる時に転寝したり、ぼーっとして何も手に付かない事が増えた。  そうする内に、予習が間に合わない日が出て来た。復習に手を抜いた日も一日二日じゃないし、やりたかった問題集は殆ど進められてない。この間なんて、バイト中に寝かけて指を怪我した。帰りに寄ったドラッグストアで、後輩に貼られたキャラクター物の絆創膏に吸い寄せられた店員の視線は、今思い出しても気まずい。  こんな明らかに疲れてますって状態なのに、大半の時間は本当に手を当てているだけで、宮代を目一杯押さえ付ける事はそれ程多くない。なのに何でか知らないが、終わった後はしばらくその場から動けないくらいの疲労感に襲われる。いざとなったら他の奴に押し付けよって考えてたが、その『他』を探している時間が勿体ない。自分の生活整えるだけで精一杯だ。  しかも最悪な事に、宮代は金に困っている様子が少しもない。もうそれなりの額を払っているはずなのに、渋りもしなければ金額を減らす交渉もせずに淡々と金の入った封筒を差し出す姿は、長期戦になる事を容易に想像させた。 「昴も自信ないやーつ?」 「……あ?」  名前を呼ばれて意識が戻ると、フォークをふらふらさせながら、やべぇって顔してるーと笑う田崎が居た。そういや、昼休みだった。 「宿題で出たとこさぁ『じゃあ似た問題だとどうなるー』とか『応用がー』とか、絶対その場で解かせるじゃん、あの先生。日にち的におれら当たるよねー」  どうすっかなーと言って田崎が取り出したのは、次の授業で提出するノートだ。この感じだと問いの中のどれかが分からなかったんだろう。仕方ねぇから見てやるか、と答えを書いたページを探しながらふと、最後の問題を解いた記憶が曖昧な事に思い当たる。……いや、まさかな。  けれど、楽観的に打ち消して目をやった先に「は?」と声が漏れた。 「どしたのー? ……って、おうおうマジか。終わってないとか珍しいじゃん。珍しいじゃんって言うか昴に聞けば大丈夫かも? って思ってたから、おれもやばいじゃん!」  わーわーと騒ぐ田崎に静かにしろと言うのも忘れて、呆然とその空欄を眺める。  一度書いて消したみたいに、中途半端な所までしか書き込まれていない。確かに、解いている途中で引っかかって、考え直そうと思った記憶はある。けど、放置したままにしておくなんて有り得ない。  いや。確か、最後のをやってる途中で、もう一個の飛ばしてたやつの答えを思い付いたんだ。だとしたら、その後って──? 「鴇坂、昼食の時間にすまない。今日は空いているか?」  曖昧な記憶を必死で引っ張り出そうしてる頭に、気持ち悪い声が割り込んだ。 「あ?」  ふざけんな空気読めよ考え事してたんだよこっちは。それを一言でまとめて「後でにしろ」と言い捨てかける。けれど、ぽかん、とこっちを見ていた田崎の顔に、じわじわと好奇心が広がって行くのを感じて飲み込んだ。  たぶん田崎は、教室内では殆ど誰とも話していない宮代に興味がある。目の前で適当にあしらおうとしたら「そっち先に話して良いよー」って親切心で宮代に譲るだろうし、冷たくしたら「何かあったの?」って結構真剣にオレの心配をする。田崎はそういう奴だ。 「一昨日と──」  さっさと答えて追い返すのが一番無難だ。小さく舌打ちをしてから嫌々言い掛けた口が、はたと止まった。  ……課題やってたのって、一昨日だけだよな?  そうだ。バイトの時間ギリギリだったから、手前の飛ばした問題を急いで解いたんだ。で、最後の問は一旦置いといて……。それから、バイト終わった後は直ぐに宮代の所に行った。  けど、終わったら滅茶苦茶疲れて半分寝てるみたいな感じになってて。課題持って行き忘れるのだけはヤバいと思って、鞄に突っ込むだけ突っ込んで、それで……それで──。 「鴇坂?」  ノートの空白と記憶が繋がった時、無感情に名前を呼んだ奴の身代わりになったページがひしゃげた。 「……一昨日、と、同じで」  言いかけた単語が勝手に押し出された後からぼとぼとと、溶けた金属みたいになった感情が落ちた。じゅっ、と、胃が焼ける。  良かった、ここが教室で。直ぐ横に田崎が居て。こんな奴相手に暴力沙汰とか本気で笑えない。  宮代が探るような視線を一瞬寄越したけれど、分かったありがとう、と言って直ぐに去って行った。 「なになに約束ー? 勉強会的な? おれも混ざって良いやつ?」 「……いや」 「そっかぁ。じゃあ昴のお勉強タイムはおれがもらってあげなきゃだなー」  どっちが先に終わるか競争なー! と言いながら田崎は宮代の事なんてなかったみたいに昼飯を机の隅に寄せる。田崎はアホだが馬鹿じゃない。もしかしたら、オレの反応がおかしかった事で、何か察したのかも知れない。  目の前に殴れる物か蹴れる物があったら遠慮なくぶつけてただろうけど、何も聞かずに気だけ遣ってくれた奴に当たる程終わってない。口からも手からも飛び出しそうな怒りをため息に詰めて、大袈裟に吐き出す。 「競争って。お前何問残ってんだよ」 「そこはほら、昴が教えてくれたらハンデ付くじゃん?」 「オレ、あと一問なんだけど」 「うっそ! 負け確定じゃん!」 「さっさとやるぞ」  二人してバタバタと取り掛かり、結局、田崎に構ってたお陰で終わったのはほんっとにギリギリ滑り込みって感じだった。あいつ、どんだけ不安なんだか延々と質問しやがって。一応間に合ったから許すけど。  ただ、回収担当の奴に出来上がったばかりの課題を渡した後も、消し跡が煤のように広がって黒ずんでしまった解答欄が胸に引っかかり続けていた。

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