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17.まだ雪は降らない

 校舎を出て澄み切った夜の空気を吸い込むと、頭にこもった熱が溶けていく。同じ疲れでも、やっぱ達成感があると違う。つっても、余韻に浸ってゆっくり帰るにはさすがに寒い。駐輪場を通り過ぎて一番近い停留所からバスに乗り込んだ。  窮屈そうに荷物を抱える乗客達の隙間を縫って、出来るだけ奥まで詰める。何人かの持つ乾いたままの傘が制服の裾を掠めた。降らないなら自転車で来れば良かった。  隣の腕を押しやってまで暇潰しの道具や参考書を出す気にもならず、最寄りまでの時間は頭を休める為に目を閉じた。  座席が空くより前の停留所で、乗った時よりも苦労せずに降りる。車内で蓄えた暖かさは、歩くと直ぐに流れて行った。  今日はバイト暇そ。そういや先輩、過去問くれるっつってたの忘れてんな。あーでも、テスト終わって今の問題集ももうちょっと進んでからのがいっか。いや、あの人忘れっぽいからどっちにしろ声かけとかないと──。 今日やった範囲と大した事でもない用事をぽつぽつ浮かべながら歩いていると、家まであと少しの所まで来ていた。数メートル先の角を曲がった先にある室内を思い出した所為でか、外の空気の冷たさが不意に増す。思わず目を瞑りマフラーに顔を埋めた。 「寒っ……」  竦めた肩を解いて、吐いた息が布の隙間から溢れて舞った視界の向こう。見覚えのある輪郭が街頭に照らされていた。一瞬、足が止まる。  偶然歩いてましたみたいな感じで「鴇坂」って呼びながら向かって来るそいつを待っててやる義理はない。無視して横を過ぎようとすると、いつかのように腕を掴まれた。 「待ってくれ、話がある。」  オレにはねぇよ、と言い返しそうになるのを堪える。反応したら喜ばせるだけだ。なのに、しれっと振り解こうと歩いた拍子に腕が突っ張った。このクソ野郎、逃げられねぇようにガッチリ掴んで体重かけてやがる。 「鴇坂、何を望む。」  しかも、やり直しだって言うみたいに聞いた事のある台詞を吐く。逃げられるような事したって分かってるから必死で引き止めてんだろ。どういう神経してんだよ。 「許し難い事をしてしまったと自覚はしている。だがその上で、挽回する機会を与えて欲しい。その為に必要な対価を支払おう。」  もう一度解こうとしていた手がぴたりと止まった。聞くな聞くなって思ってても、こういう事に限って耳が拾う。 「先日の件は、魔力の調整を優先させる機能が働いたものと推察される。だが、鴇坂の意思を尊重せず、強制的に遂行していた点は明らかに異常だ。即ち、俺の状態は自覚している以上に悪い。」  だからどうした。今までだって半強制みたいなもんだったのに何が異常だ。知ったこっちゃねえよ。 「故に、鴇坂。お前の協力が本当に必要なのだ。当初の条件と変えて構わない。可能な限りの対価を――」 「だったら、さっさと消えろよ!!」  爆発した自分の声が、わんっ、と住宅街に響いた。  こんな夜中に非常識な事をした気不味さよりも、なんなら宮代の手がやっと離れた事よりも、簡単に吐かれた言葉に意識が持っていかれる。 「何が対価だよ。一個言う事聞いてやったら何しても良いと思ってんのか!?」 「そのような事は言っていない。鴇坂の心情を慮れば、今後一切関わらないという選択をすべきだと理解している。しかし、この身は多くの人間に危害を加える可能性を孕んでおり、使命という誓約も課せられている以上、その選択をする事は出来ない。だから、それに代わるものを提供したいと申し出ているのだ。」 「なっがい言い訳だな。言ってる事同じだろ」 「結果だけ見れば、そう捉えられても仕方がない。だが、この身が下す決断に『言い訳をしたい』という人間的な感情は介在していない。人類の平和を最優先事項とし、それを遂行する為の手段を随時選択しているに過ぎないのだ。融通が効かないように感じるのだと思うが、それだけ逼迫した状況であり『そう作られているので変えようがない』という点を理解して欲しい。」  は? 大層な言葉で飾っといて、だってそうなってるから仕方ないって何? 散々自己中な事言ったりやったりしといて、自分の意思じゃないんですってナメてんだろ。つーか、いや、そうか。 「あー。はいはい、そういう事?」  色々考えてますーって話し方してるから、もうちょいマシに見てた。こいつ、自分の思い通り以外の事は全部却下で、適当な理由もでっち上げずに『そう作られました』か『人間を守る為』でいけると思ってやがる馬鹿だ。ムカつき過ぎて頭ぐちゃぐちゃになりながらツッコんでたけど、そう思ったら全部納得がいった。 「そんなに言うなら、協力してやるよ」  ついでに、良い〈対価〉も思い付いた。 本当か? なんて、普通に考えたら絶対怪しいだろうに簡単に飛び付く宮代は、やっぱクソみたいに単純な頭してやがる。でも、だから都合が良い。 「今から言う事、守れてる間はな」 「分かった。出来うる限り応えよう。どうすれば良い?」 「まず、協力はしてやるけど、断る日があっても文句は言うな。理由もいちいち聞くな。それから、やってる最中でオレが『止めろ』って言った事はすぐ直せ」 「承知した。ただ、あまりにも期間が空きそうな場合は従えない。改善点については遠慮なく言ってくれ。」  クソが。そういう「頼む何でもする」って言ってるくせに、速攻で自分の主張入れっから嫌われんだよ。  しかも気持ち悪いっつーか苛々するっつーか。手当たり次第に色んな不快感をぶち混んでうすーく伸ばした雰囲気ずっと出してるとこもうぜぇし。本当に直して欲しいとこ全部上げたら消えるレベルで総取っ替えになんだよ。って本音は伏せて、少しだけ声色を優しくする。 「あともう一個。正直、制御の手伝いってのがお前が最初に説明してたのとかなりイメージ違ってて」 「そうだったのか。すまない。」 「だからさ、もっかいちゃんと頼んでくんない? 実際お前が何したいかっての、はっきりさせて。じゃないとスッキリしねーわ」  そう促せば、この茶番を続けられると確定したのがよっぽど嬉しいのか、わざとらしく神妙な顔をして宮代は頷いた。全然こっちの計画に気付いていないのに、納得したような察したような顔をしてるのが死ぬ程笑える。 「今回の件は本当にすまなかった。先程も話した通り、俺自身でもこの身がどういった状態にあるのか、正確に把握できないところまで来てしまっている。だが、今後は決して鴇坂に危害を加えないと約束しよう。至らない点もあると思うが、その場合には協力者として意見や要望を遠慮なく言ってみて欲しい。改めて、今後共宜しく頼む。」  ふはっ。と漏れた笑いを、ぎりぎりのところでマフラーに吐いて隠した。  あー、駄目だ。どうせ長ったらしくて的外れな事を言うだろうと思ってたけど、本当にその通りの事言いやがった。 「違くね? もっと簡単にお前のやりたい事言えんだろ?」  そう言って顔を上げたオレは、心底楽しそうな顔をしてたと思う。  宮代にとっては場違いな笑いを浮かべるオレに向かって、何言ってんだ? って顔で見返して来る鈍感さと傲慢さすら、掌で転がしているような感覚がして堪らない。 「だからさぁ、ちゃんと言えよ。『他の人間を助ける為に、お前の人生を犠牲にしろ』って」  その時の宮代の顔と言ったら。  驚愕、戸惑い、悲しみ、怒り──。  本当、嫌な感情ばっか分かりやすい。

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