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19.加熱する

 掌の下でびくり、と体が強張る。  かはっ、って咳き込むみたいな音がしたのは叫び声を飲み込んだ所為かも知れない。ゆっくりと繰り返される呼吸は、何かに耐えるみたいに震えている。別にどうでもいいけど。  まず宮代にやれって言ったのは「声を出すな」で、その次は「動き回るな」。それで煩いのと見苦しいのはマシになるかと思ったけど、我慢してますって感じを全面に出してくるから別の種類のウザさが増した。  そんな事考えてたら余計に苛々して、おざなりに添えていた手を離す。釣られて、短い叫び声が上がった。 「はい声出したから終わりー」  わざと言葉にしてから立ち上がる。意地の悪い事でもしていないとやっていられない気持ちになるのは、色々と条件を付けられるようになっても変わらなかった。 「待……て、まだ、今日は……」 「守れねぇなら協力しないっつったよな?」  廊下まで出かかっていたのに、きちんと立ち止まって応えてやるのも敢えて。親切でも何でもない。つかえてどうしようもないものを吐き出す為の準備。半身で振り返った先に睨むような視線が待っていたけれど、ぐったりとベッドに凭れ掛かったまま動けない姿から感じるのは「情けねーな」だけで、怖さどころか、優越感すら殆どなくなっていた。 「先程、手を離したのは、故意だろう。」 「は? 意味分かんねぇ。つーか、どっちにしろ我慢しとけよ」 「鴇坂。それは、些か横暴──」 「何? オレの所為だって事?」  ぶすぶすと焦げ付くばかりで、解決する手立てが日毎に曖昧になっていく感情に目を背け、怒りを振り下ろす為の的を絞っていく。 「手、離したら声出んの? 前は当ててる時も騒いでなかったっけ? だから静かにしろって頼んだんだけど」  似たようなやり取りをした事があるのに度々突っかる学習能力の無さも、根拠のないプライドの高さも胸糞悪い。 「で、オレが悪いんだっけ」 「……違う。」 「だよな?」  だから、こうやって何度も教え込む。  悪いのは誰か。本当に酷い事をしているのは誰か。責任は誰にあるのかを、叩き込む為に相手をする。  「あぁ、あと、期末終わるまで相手してる暇ねぇから」  そう後ろに投げ捨て、悠々と部屋を後にする。玄関扉を閉めたところで大きく息を吐いた。あの部屋は空気が悪い。  四日後から始まるテストの間、宮代に構っていられないっていうのは本当だった。学年順位が二つ三つ下がる程度なら良い方。二桁単位で下がる事はないくらい、のはず。でも、気ぃ抜くと危ないかも知れない。途中で止めたのは完全に気まぐれだったけど、勉強する時間増えたし正解だったな。と、思う事にした。  ふるふるっ、とポケットに突っ込んでた端末が震える。画面を開くと、田崎から『たすけてー』というメッセージと、流行りのアニメのキャラクターが泣きながら頼み込む絵が送られて来ていた。  オレは基本、自分の事は自分でやれってタイプだ。でも、こいつの情けなさはなんか、仕方ねぇなぁって気持ちにさせる。隣で同じように困り果てながら、なんとかやる気を出させようと奮闘している奴の姿も浮かぶ。早く行ってやらないとなって嫌じゃない苦笑い零れる事も、きっと要因の一つだ。 「良かった。まだ居たのだな。」  だから、こんな凄ぇ普通な日常をあっさり踏み潰すこいつらは、どんだけ自分が特別だと思ってんだよ。 「……今日はやらねえっつったろ」 「別件の頼みだ。先程、鴇坂から提示された休止期間について考えたのだが、一切手を貸して貰えないとなると非常に危険だ。連日になってしまう可能性は高いが、一度に多くの時間を割く事が難しいのであれば、数分だけ予定を空けて欲しい。」 「勝手に決めてんじゃねぇよ」 「悪いが、全ての決定権を鴇坂に委ねる事は出来ない。これでも譲歩はしている。どの程度の時間であれば支障がないか教えてくれ。」  ふざけるな、と掴み掛かかる寸前で握ったままだった端末が震えた。『今どこ?』って送ったメッセージへの返信だろうそれが、田崎と泉の顔と一緒に必死で自制心を連れて来る。それでも、残った苛立ちがぎしりと歯を軋ませた。 「一分だってねぇよ。こっちはお前と違って遊んでる暇ねぇんだから」 「遊びではないと伝えたはずだが……まあ良い。秒単位でしか空けられないという事か?」 「あーはいはい、そうそう。半分が限界じゃね?」  何が秒単位でしか、だ。真面目に考えてんじゃねぇよ。行く気ねぇっつってんの分かれよクズ。  流れで適当に言った数字にも、どうせ大袈裟に喚くんだろうなこいつは。非協力的だーとかそんな事では世界がーとか。こんな適当な煽りに乗って醜態晒してくれたら、少しは気分がマシになるんじゃないか、って思ったから言ってみただけなのに。  宮代の戸惑ったような視線とため息に、思った通りの反応が返って来る予感を覚えた。ああやっぱな、と。どろりと腹に沈む。 「安全の保障は出来ない。……が、試してみなければ正確な答えがわからない事も事実だな。良い機会だ、一回三十秒からはじめ、減らせそうか試してみよう。」 「は?」  底へ行き着いたばかりの感情が身を捩らせる。不快なうねりの余波が顔に広がった。 「期間は一週間。万が一を考慮して、悪いが毎日来て欲しい。こちらの希望時刻は特にないが、登校前の方が後の予定への影響が少ないだろう。期間終了後、最短の拘束時間及び最長で開けられる日数を予測し、今後の方針を検討する。それで良いだろうか。」  何で、こんな時に限って思い通りに行かねぇんだよ。今はんな事を聞きたい気分じゃねぇんだよ。しかし、だからといって、固執しても絶対に満足出来る状況にはならない事も、短い付き合いの中で思い知らされていた。 「鴇坂?」 「……好きにしろ」  クソが。 声にこそ出さなかったが、自室に入ると力一杯玄関扉を閉めた。居間と間にある扉の隙間から夕陽の残りが暗い廊下にぼんやりと落ちている。弱々しい光は数分のうちに消えてしまいそうだ。夜の気配がひっそりと降りて来る中、獣の唸り声のような自分の呼吸が辺りを震わせていた。

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