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20.あの青年との関係

◆◇◆  俺の数メートル先で激しく閉じられた扉に思わず眉を顰め、小さくため息を吐いた。  好意が糧になるからと言って悪意や拒絶が毒になる事はないが、全く影響を受けないとは言い難い。否、それよりも問題なのは、あの青年に拒絶される事によって生じる回復の遅れだ。  戸口に凭せていた身を起こすと視界が揺れたので、よろめく足取りのまま浴室に向かった。脱衣所を素通りし、緩慢な手つきで浴槽に栓をしてからその真上の宙空を裂く。ざあっと小さな滝の如く流れ出た水と共に室内を満たして行く清浄な飛沫を吸い込むと、全身にまとわりつく倦怠感から僅かばかり解放された。  冷えた水がなみなみと注がれたのを見計らって浴槽に足を伸ばす。身に付けていた制服がはらはらと花弁のように剥がれ落ち、代わりに雪色の装束が体を覆っていった。足の甲を覆う程のたっぷりとした布地が濡れ、徐々に重さを増して肌を包む間、様々な人間の顔が浮かぶ。  神聖な祈りと印を込めて仕立ててくれたこの服は、初めて制御の協力を依頼した女性から。  彼女の残した技術が絶えるまで、何度か新調させてもらった。  今や欠かせない物となった清らかな水の湧く場所を教えてくれたのは、次の代の青年。  「自分はこれくらいしか役に立てないので」と遠慮がちに微笑みながら、移動もままならない日には代わりに汲んで来てくれた。  これまで以上に人に混じって生きる為に、様々な事を教えてくれたばかりでなく、名乗る際に使ってくれと姓まで貸し与えてくれた二人は三代前。  今と同じ見た目をとっていたとは言え「君は意外と無茶をするね」と子供のように扱われた経験は新鮮だった。  安定を保つ以外にも多くの人々に支えられ、この身は生き永らえて来た。彼等の助力を無駄にしない為にも、早く一人でも多くの人間を助けられるように回復せねば。  とは言え、まだ大人の庇護下に置かれているべき年頃の者に負担をかけてしまっている現状は、決して好ましくない。彼もまた、俺が守るべき未来を築く人間の一人なのだから。  関わりを持つようになって一月余になるが、鴇坂昴との関係は悪化の一途を辿っている。  出会った当初より向けられていた敵意とも拒絶とも取れる感情は和らぐ気配を見せず、先日の失態以降は苛烈さを増し、加虐的な行動が増えた。  鴇坂昴以外の学友と親交を持っていない為、正確な判断はしかねるが、高い優先順位にあるはずの[人間との友好な関係の構築]が思うようにいっていない現状を鑑みるに、制御機能の低下が対人能力に影響を及ぼしていると見て良いだろう。  或は、これが人工物の限界か。  こぽこぽと口先が泡立つ。ヒトが自律神経の働きを回復させる為に行う動作が選択された背景に、憂鬱さを吐き出す人間の姿が参照された事を認識すると、出口の見えない問いを打ち切った。  この身を構成する全てを把握出来ていない以上、仮説を立てて実験を繰り返すより他はなく、リスクが高いものは協力者を確保出来ている内に行うべきだ。  清浄な場所も、この身が留まり続ければ澱みが溜まり邪なものを呼び寄せる。  幾重もの加護や防壁を施した道具であっても、この身から滲む物を受け入れさせ続ければ、人に仇成す呪具に成り果てる。  結局は、自浄でまかなえる程度まで魔力全体を削って行くより他にない。  綻びだらけのこの身から安全に力を削ぐ為にはまだ、人の助けが要る。  仰向けに寝転がる体制で浴槽の底に身を沈めながら、そういえば、こんな風に回復を待っていた時に「儀式っぽくて凄く興味深いけど、心臓には良くないね」と残念そうに頷き合っていたから、姓をくれたあの人達の前では沈み切らないようにしていた事を思い出した。  じわりじわりと淀みが流れ出て行く気配に安堵する。今は気休め程度にしかならないが、それでも良い。  親密な関係を築く事はなくとも、愛すべき人類の子の一人であるあの青年が少しでも苦痛でない時期を過ごせればと、祈るように目を閉じた。 ◆◇◆

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