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21.短くて無意味な習慣

 ピリリリリ。と、端末から流れた電子音が規定の秒数が経った事を伝える。  その後の流れは決まってる。手首を掴む指の力が抜けた瞬間に振り解く。玄関扉を開ける。あいつがアラームを止めるのは、それとほぼ同時。外へ出て扉を閉めるまで、ありがとうと言われた事はあっても、一緒に行こうと言われた事はない。  なのに今日は、テスト範囲を思い返していた頭を止めて引こうとした腕がつっかえた。  は? と宮代の方を見たら、目線を下げてどっかよく分かんない場所を凝視しながら、手を小刻みに震わせていた。 「おい」  またそういうやつかよ。うんざりしながら拘束された手を振って急かすと、宮代は今気が付いたみたいに顔を上げる。 「あ、ああ。すまない。」  少し惚けた風に謝ってからあっさりとオレを解放する。そこから部屋を出るまで、やっぱり何も言われなかった。  諦めが良いのも、これはこれでムカつく。時間が短いから自分に全部任せてもらった方が良いかも、とかいう宮代のよく分かんねぇ理屈でオレは『押さえ付けるイメージ』というやつをする必要がなくなった。ただ小芝居を見せられるだけになった所為で、本気でオレじゃなきゃいけない意味がない。  やる事なくせば、何か協力させてくれって言うと思ってんのか。それとも、オレが嫌味で言った通りの秒数守って、健気に耐えてますーみたいにしたら、可哀想だと思ってもらえるって?  バッカじゃねーの、と唇だけで唱える。んなもん、初めっからやり甲斐を感じてた奴か、学習能力ねぇお人好し以外で誰が騙されんだよ。校舎へ続く舗装路に紛れた砂利が踏み拉かれる度にガリガリと白い痕を残す。明日もくっだらねぇ鎌掛けやがったら、バレてんだよって言ってやろう。  そう、思っていたのに。 「ありがとう。もう良いぞ。」  翌日、するりと指が離れて行ったのは合図が鳴るよりも前だった。 「は?」 「昨日は多く時間を取ってしまったから。その分だ。」  今日は調子が良さそうでな。と言いながら軽やかにアラームを解除する手付きにも、一週間協力ありがとうと付け加えた顔にも、未練や恩着せがましさは欠片もなくて、意味わかんねえよどういう事だよってうっかり問い詰めそうだった。それを胸に掛かった靄ごと舌打ち一つで蹴散らして、玄関扉を開ける。 「次は明後日に来てくれ。検証結果の報告も出来るだろう。」  馬鹿げた習慣の最後に初めて背後から聞こえたのは、いつも勝手に決められる次の約束だった。  結局、何の成果も変化もないまま日数だけが過ぎた。正直、良いように付き合わされたんじゃないかって気もする。  ふるりと凍えた体に進みの遅れを知らされて、腹立たしいような恥ずかしいような気持ちが顔を熱くした。ペダルを踏み直して漕ぎ出すと、冷たい風がバツの悪さを攫って行く。それでも陽はだいぶ暖かくなって来ていて、実際、ここ数日と比べて予報の最高気温は高かった。バイトが終わるまで、この恩恵が少しは残っていて欲しい。  まぁ、流石に夜はまだ寒いか。他愛もない事を思い浮かべられる余裕が戻る頃には、もう何人かが試験勉強の仕上げに取り組む教室に着いていた。  勉強の基本は積み重ね。一握りの天才以外、努力した分しか結果は返って来ない。オレはどう贔屓目に見たって、一握りじゃない方だ。天才も努力型も居るこの学校で順位を保てるだけの事を、今回、オレは出来ていない。  休み時間の度に、「昴―!」って泣きつく田崎の面倒を見ながら次の科目の見直しをして。分かってはいても悔しさが残りつつ、期末の全部の試験が終わった。  疲れたーとか、ねぇどこ行く? とかで溢れるクラスを尻目に、もしかしてって思って早めに向かったバイト先は、案の定、同じようにテスト期間を終えた学生客で賑わい始めていた。  急いで着替えを済ませ、ありがとう本当に助かるご飯だけ食べて来て良い? ってふらつく店長から補充を引き継いで持ち場に着く。直ぐに団体客が入って来るのが見えて、そっからはあっという間だった。 ****  自室のあるフロアまでの階段を登りながら、テストお疲れ様って先輩がくれた菓子を齧る。動き回っていたお陰でいつもよりマシだけど、やっぱ朝の感じより寒い。つーか、オレんとこの外廊下だけ暗くね? 普段よりもワントーン落ちたように感じるフロアは、見た目で寒さが増していた。部屋の中も、外よりマシなだけで寒そうだ。  部屋あったまるまで風呂入ってよ。と、思いながら扉を開けた手と顔面に、ぼたり、と生温い空気が降りかかった。 「あ?」  何だ? って眉を寄せた直後に、暖房。電気代。って浮かんで青ざめる。いやでも、出る時にコンセント抜いたはず。  動揺が残ったまま部屋に入ると、記憶の通りちゃんと暖房は消してあって、奇妙な温度も直ぐに消えた。ただ、どんよりした湿り気に対する違和感が拭えない。既視感のある不快感と息苦しさの事は考えないようにした。意識したら、眠るまでのあと数時間が無駄になりそうな予感がする。  けれど、風呂から上がって勉強の為に机に向かってから十分後には、その決意が崩れそうになっていた。  頭が痛い。針で突かれている感じする。痛みの合間に寒気が走る。なんとなくの息苦しいさと気持ち悪さがずっと続いていて、体調不良が原因ではない不安と苛立ちが、べったり纏わりついてる。  考えるな考えるな考えるな。ただの風邪。テストが終わって気が抜けただけ。あと一問解いたら……いや、もういい。今日はここまでにして寝る。それで全部解決する。だから考えるな。  何が原因で、誰がやってて、そいつが何処に居るかなんて、考えるな。  瞬きすら忘れてノートの一点を見つめる。握りしめたペンが軋みを上げる。  ドンッ、と。音の消えた鈍い振動が、隣室との間を突き破った。  込み上げるものを押さえ付けていた体を揺さぶられ、煮えそうだった頭が、感情が、その振動で泡立つ。  直後に派手な駄音を響かせて壁に激突したのは手元にあった参考書だった。力なく落ちた紙束には目もくれない代わりに、ぶつかった場所を凝視する。向こう側からは、唸り声一つ聞こえない。衝動を落ち着かせる為に深呼吸をしているのに、息をする度、体の内の炎がバチバチと燃え上がった。  四度繰り返し、五度目に大きく吸ったところでに遂に耐え切れなくなった体が部屋を飛び出す。煽られるまま、隣室の扉を蹴破る勢いで開け放った。

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