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22.踏み込んだ先に待っていたもの
「何してんだよ!」
痛む頭に怒鳴り声が刺さるのも構わず乗り込むと、当の元凶はご丁寧に窓際に蹲るなんて芝居を打っていやがった。しかも、怯えた顔でこっちを見たかと思うと、信じられない事を口走る。
「来るな!」
「あ?」
「来ないで、くれ……! 今、は、駄目だ。」
乱れた呼吸の合間を縫って懸命に訴える姿は痛ましくて、特別に親切でなくても駆け寄ってやりたくなる。ように見える奴も居るかも知れないけど、オレは駆け寄ってそのまま殴り倒したい衝動を抑えるのに必死だった。
「じゃあ、何だよ〈コレ〉は!?」
入った瞬間から、とんでもなく嫌な感じがしてた。部屋に充満する気配に、その細く鋭い爪で自分の表面をさりさりと掻き崩されている。皮膚だか魂だか分かんねえけど、砂粒になって落ちた欠片が宮代の方に流れて行ってる感じがして、違和感と気持ち悪さが酷い。掛けられた言葉との差が余計にムカついた。
「言ってる事とやってる事逆なんだよ。コレも外もさっきのも、全部お前がやってんだろ!誰にも相手にされねぇのはテメェの責任だろ。うぜぇやり方で絡んで来んじゃねぇよ!」
「だめだ、鴇坂。来ないでくれ。そうでないと……。」
とろくさい動作で身を起こす宮代との間合いを一気に詰め、胸倉を掴む。咄嗟にそれを解こうとした宮代の手が、中途半端な所で止まった。だが、見えない何かが、待っていたとばかりにオレの手首に絡み付く。
ぐにゃりと視界が捻じれ、目の奧に響いた鈍痛に強烈な吐き気が込み上げる。けれど、こんな真似をしているにも関わらず、怯えた顔でこちらを見返す宮代への怒りが、手を離す事よりも握り締める事を優先させた。
「まんまと引っかかって嬉しいか? ビビって思い通りに動いて面白いか? 不幸ぶって他人を踏み台にして、そんなに楽しいか!?」
「違うっ……から、今日は、もう、帰って……」
「お前がなんとかするまで待てって? いつまでかかんだよ」
「出来、るだけ……はやく」
足先から寒気が這い上がり、悪寒が内臓を掴む。そのくせ、火照ったようなのぼせたような熱が脳を鈍らせ、心臓を急き立てる。早くなんとかしてくれ!と、纏まりのない異常に体が悲鳴を上げている。 そんな状態に堪えて聞いてやってんのに、宮代から返ってきた答えは何の確証もない。
「ふっざけんな、今直ぐだ!! 今直ぐ、このクッソ気持ち悪いのをどうにかしろっつってんだよ!!」
わかったからと喘ぐ宮代は、けれど苦し気な顔をするばかりで一向に解決しようとする素振りを見せない。不安も怒りも焦りも苛立ちもない混ぜになり、ぐちゃぐちゃに絡んだ感情が征服欲に変わって行く。
目の前の奴ごと、この不調を捻じ伏せろ、と。負けず嫌いなんて言葉じゃ済まされない衝動が命令を下した。
「お前がやらないなら、オレがやってやる」
胸倉を掴んでいた手を離して肩を掴む。すると、どぷん、と水に突っ込んだみたいに腕が宮代の肩に埋まったような感触がした。
勿論、自分の手は宮代の服に触れたままだ。なのに、水だか空気だか肉塊だか分からない、柔らかくて形も質感も汲み取れない物に手首まで浸っている感触が、無視出来ないくらいリアルに広がる。
ぞわり。
例えようのない触り心地のそこが、蠢く。
爪と肉の隙間を押し広げ、指の間を這い回り、手首の骨に噛みつき、血管に染み込もうとする。無理矢理こっちに侵食しようとする何かが動く度、映画か小説に共感した時よりもっとはっきりと、知らない誰かの感情が再生された。
許せないとか、痛いとか、復讐してやるとか。全部壊れてしまえ、とか。
どす黒いものがひしめく荒れた海を、飛沫が顔に掛かかりながらも断崖から覗いてしまうような心地がした。あと一押し、その波が高く上がったら、自分どころかこの部屋全部が簡単に飲み込まれる。
ここか。この前の凄ぇ痛いやつの出所って。絶対ヤバいだろこんなの。
何でそんな事が分かったのかも、エグ過ぎんだろって思ってるのに妙に俯瞰で見てる感じがすんのも、逃げる気にならない理由も分からない。
ただただ呆然と見入っていた頭を、より一層増した痛みが現実に戻した。
「っ!?」
腕を引くと、今度こそ宮代の体がくず折れる。頬にべったりと張り付いた黒髪が何故か、荒い息遣いよりも大変な事が起きていると訴えているように見えた。
「早く逃げろ!!」
現に、叫んだ音は今まで聞いた中で一番乱暴だった。
「また、お前の力を求めてしまう。先日のような事が、起こらないという保証はない。だから、早くっ……」
んな事、言われなくても分かってる。手ぇ離してそのまま走れてたら、さっさとそうしてた。
けど、こんな重っ苦しい空気の中でどう身動き取れっつーんだ。あと、怪物も怨霊も信じてねぇけど、お前の中に何かヤバいの居るだろ。逃げようって思った瞬間に飛びかかって来そうなのが。そんなのに狙われてる感がある状態で、外まで何メートルあると思ってんだよ。
だからオレは、薄い酸素を思い切り吸い込んで一歩、前に踏み込んだ。
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