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31.四文字と三文字
「遅くまでごめんな。本当にありがと!」
「おれ史上、最高点出すからー!」
その声に、頑張れよと返して二手に別れる。笑顔で手を振った田崎と泉は、頼み込んで来た時よりもかなり気が楽になったみたいだった。教えた方からしても、手応えはなかなか。
田崎は根気が足りないけど閃きと着眼点が良い。泉は慎重な分飲み込むのに時間がかかるけど、丁寧に教えれば応用も問題なくいけそうだった。そもそも同じ学校に受かるくらいだし、勉強が全然駄目ってタイプじゃないだろ。
出来ない事への焦りと不安が減って、普段の予習復習が億劫じゃなくなればちゃんと安定させられる。って事をこめて「この先もちゃんとやれよ?」と、最後に伝えておいた。
「宮代、という姓は変わっているだろうか?」
夜はまだ肌寒さが残る道を並んで歩いていた宮代が、ぽつりと聞いた。
「田崎の言う事は気にすんな」
話の流れで、何で宮代だけ「ちゃん」を付けてるのかを田崎に聞いたら「なんか口が面白いから!」って、全然理由になってない理由を元気に答えていた。それの事を言ってるんだろう。
「嫌なら言っとく」
「不思議に思っただけだから大丈夫だ。」
「ん」
言葉のまま受け取って軽く返す。ついでだし、と浮かんだ疑問を口にしてみた。
「お前の苗字とか名前ってどっから来てんの?」
見た目はこっちの地域の人種だけど、前に聞いた出身地は国外で、言語も違う場所だった。親っつーか製造者っつーかが、そっちの名前で付けてそうなもんだけど。
「名は、目覚める前に取り込んでいた情報の中で印象的だった人間から。姓は、鴇坂と同じように協力をしてくた人達が『名乗って良い』と言ってくれたものを借りている。」
だから姓は恩人のものだ、と言う声は暖かい気がした。同じ苗字でもオレのとは有り難みが違うらしい。
「そういえば、泉は『直親』と名前で呼ばれていたな。『宮代』との共通点は四文字の人名か。だとすると、鴇坂も以前は苗字で呼ばれていたのか?」
「んなまともな理由ねぇよ絶対。一応呼ばれた事あるけど『言いにくくてやだー』っつってずっと名前だし。……苗字好きじゃねぇからちょうど良いけど」
最後に小さく本音が溢れてから、はっとする。オレを「鴇坂」って呼ぶのは、三人の中でこいつだけだ。宮代の思い出話を聞いて気持ちがかさついていたとしても、それに気を取られてたからって言って良い事と悪い事がある。
完全にやらかした。けれど、いやそういう事じゃなくて、と慌てて言おうとするオレよりも先に、納得したみたいに宮代が頷く。
「ふむ。確かに、カクカクしていて言い辛いと思っていたんだ。」
「は?」
「俺も名で呼んで良いか?」
くるりと向けられた宮代の顔は、表面だけ見れば少しも気にしているようには見えなかった。
いや、でもお前、ずっと普通に呼べてたじゃん。つーか、むしろ枕詞的な感じで結構頻繁に使ってなかったか? って戸惑いも、真っ直ぐに見つめられたら「あぁまぁうん」と曖昧な返事で頷くしかなくなる。
それに、ではそうさせてもらうと言った人の横顔はあまりにも潔かった。これじゃあ、蒸し返したところでただの自己満足で終わる。
だから、やられたなって気持ちで謝罪を飲み込んで、もう一つの思い付きを言葉にした。
「……じゃあ、オレも名前にする」
この隣人の事を心の中では〈アレ〉なんて呼んでいた頃。宮代っていう名前に対しても、同じ嫌悪感を乗せていた。
今では含みなんてゼロで呼んでるけど、ふとした時に、その響きが数ヶ月前の自分を思い出させる。胸の中に、何に対してなのかはっきりしないぐちゃぐちゃした後悔が広がる瞬間は、気分が良いものじゃない。さっきの話を聞いたら、余計にそんな気持ちでは呼びたくなくなった。
「良い話聞いといてあれだけど。オレは田崎と違って若干言い辛いって言うか、名前の方が言いやすくて良さそうっつーか……。だから、悪いけどそうする」
「それならば、好きに変えてくれて良かったのに。」
「タイミング掴み損ねた」
「では、ちょうど良い機会だな。しかし、名の方は転校初日に言ったきりで、殆ど呼ばれる事も自ら告げる事もなかったように思うのだが。覚えていてくれたのか?」
「じゃなきゃ呼ぶって言わねぇよ。遙、だろ」
周りの音全部吹っ飛ばして自己紹介されたんだから嫌でも記憶に残る。っていう事実は、言わなくて良い事だから適当に誤魔化した。
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