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41.溜息は一息になって
菓子に工芸品に特産品。豊富な土産物が並ぶ店に行き交う人々が吸い込まれて行く。
地元の食材を使った定食屋とか、写真映えするメニューがあるカフェも多い。ついでに貸衣装屋なんてのまで立ち並ぶそこは、観光地らしい賑わいを見せていた。
「行きでも思ったのだが、数十分の距離でこれ程風景に差が出ると、不思議な心地がするな。」
「な。まあ、人出はマシな方じゃねぇの?」
いつだったかに見た特集では、もっと隙間なく観光客が歩いていた記憶がある。次の目的地も、確か同じ番組内で紹介されていた。名所なだけあって、そこへ向かって伸びる道は他よりも幅が広いし、脇に並ぶ店も多い。「あれ何?」「そこの店人気らしいな」と話しながら歩いた。
通り過ぎた店の一つが気になって振り返った時、ぐらりと一瞬だけ視界が揺らいだ。
勢い付けて振り返ったわけでもねぇのに。不思議に思いながらまた歩き始めると、今度は足が少し重い気がした。胃も、何か重い。
「あと、どんくらい?」
「五分少々だろう。」
それくらいなら、着いた後に一旦休めば良いか。いや。やっぱ、もうちょっとゆっくり歩いてもらった方が良い気がする。迷う内にも、気分がどんどんと悪くなった。
昼に食ったやつがまずかったのか? 火、ちゃんと通ってたはずなんだけど。
「随分と力のある者が祀られていると聞いていてな。一度行ってみたかったんだ。」
普段よりも明い気がするトーンで次の目的地について話す声へ、辛うじて反応する。そっか、と出したはずの音が周りの話し声に飲まれた。
じっとりとした汗が首筋を伝い、不快感が気持ち悪さを助長させる。多くの逸話がある所でな……と続ける遙の声との距離が、段々と開いて行った。
ペースを落としてくれたら、一瞬だけ立ち止まってくれたら、せめて、あと少しだけ頑張れたら。
引き摺るような歩幅が半歩分になり、指先程になり。少しも動かなくなった。
「……と、いった風に、祈りに応える為にか人の常識では到底収まり切らぬ方法を――」
「遙」
俯いた視線の隅で振り返った気配を感じる。不自然に途切れさせてしまった話と、十数歩分の隙間に拳が震えた。
「ごめん、これ以上…………行けない」
約束した台詞は、ちゃんと届いただろうか。
せめて顔上げろよ。楽しみにしてたんだなって、今思ってただろ。適当な店入って休んでるからって。どんな所だったか教えろよって。口も、足も、動けよ。
けれど、オレがそう言うよりも先に「わかった。では戻ろう。」と言った人は、あっさりと踵を返した。
「耐えられるようであれば、影響が出なくなった場所で知らせて欲しい。だが、確かめながら歩ける状態ではなくなったら、直ぐに言ってくれ。」
黙って頷いて、強張った足が絡れないようにして来た道を戻る。本当は、聞き慣れたはずの平坦な声色の裏側が、気になって仕方がなかった。
そこからほんの一、二分歩いた所で、すっと体が軽くなった。ここ、と知らせる。遙は距離を測るみたいに行き来した道をざっと眺めた後、人通りの邪魔にならない所まで誘導してくれた。
路地の片隅で温くなった茶を呷る。はぁ、と口から出たのは安堵よりもため息に近かった。
「悪い」
「謝るのは俺の方だ。気が付くのが遅くなってしまって、すまなかった。具合はどうだ?」
「平気」
このちょっとの距離の差で、何にも痕跡残さないで消えんだよな。嘘だったんじゃないかってくらい。
返事が足元の影に落ちる。実際、体の方は何ともなくなっていた。嵐が過ぎた後の静けさが、自分で自分を信じてやれない気持ちにさせる事を思い出した。ついでに、誰かに訴えようって考えが潰される事も。
もう少し休もう、と言った遙は、携帯端末を取り出して何か打ち込み始めた。普段は気にならない沈黙がじくじくと沁みる。今日だけだって、会話をしていない時間は何度もあったのに。
「……本当、ごめん」
「何故謝る?」
「行けなかった」
「お互いに承知していた事だ。」
「けど! さっき、行ってみたかったって──」
言ってただろ、と続く声が頼りなく萎んだ。駄々を捏ねているみたいだって事は分かってる。でも「行ってみよう」じゃなくて「行ってみたい」って遙が言ったのは初めてだった。
付き合ってやりたかった。オレじゃなかったら、簡単に応えられた。
再び訪れた沈黙を、直ぐ側にあるはずの雑踏は埋めてくれない。自分の周りだけがぽっかりと切り離されてしまったような、思い出したくない心地が首をもたげる。
その宙ぶらりんの世界の中へ、ずいっ、と遠慮なくディスプレイが割り込んだ。
「昴、これを見ろ。」
焦点が合うか合わないかの距離に画面が突き出される。思わず目が行った。
土地の名前、ハイキングコース、施設名。
見て来たばかりの場所と、今まさに行けなかった場所の名前が、そこには表示されていた。任せてくれって言ってたけど、こんなのまで作ってたんだ。
すいっ。と、細い指が画面を撫でる。すると今度は、行ってみる? と話していた店の名前が出て来た。更に下には、見慣れない場所の名前と、何町目何番地と、どこそこの隣と、目標から大凡何メートル地点と……。
「は? ちょっ、何これ?」
「向かう所のリストだ。」
「いや。そうだろうけど」
するすると指が動く度、雑多な情報が次々に表示される。どう見ても、一日で周りきれるような数じゃない。
「言っただろう。より正確な情報を得る為に、昴の感じた事に合わせて行き先を変えると。」
「だからって、これ……」
物凄く優柔不断か無計画に欲張りな奴だって、もう半分くらいには絞れる。しかも、住所だけしか書いていなかったり、大雑把な位置だったり、それ何があんの? って思うような所もちらほらあってもう無茶苦茶だ。
それなのに、昴、とオレを呼ぶ人の声は、相変わらず涼やかに平坦だった。
「何の為に、この『ぐるりんパスポート』を入手したと思っている? これさえ有れば、この一帯を自在に移動出来るんだぞ。」
呆気に取られて、ようやく視線を上げる。無表情がトレードマークの友人は、たぶん自慢気に、少しだけ口角を上げていた。その顔の横へ大真面目に掲げられたカードの中で、二台とも二匹とも言えない奴等がニコニコと笑っている。
「我々には行くべき場所も、行きたい場所も、まだまだ沢山あるのだ。」
揺るぎのない黒に、ふわりと月明かりが浮かぶ。背けたくなる程の眩しさを持たない、ただ居てくれるだけの光が、確かにこちらを照らしていた。
往来の足音が、
活気が、
午後の力強い日差しが、戻って来る。
風が木の葉を揺らすように、日常の騒めきがざぁっと辺りに蘇るのに合わせて、色々なものが込み上げる。ぶはっ、と溢れた息から蟠りだけが逃げて行った。
「……っその、顔と、トーンで! ふはっ、ぐるりんって!」
似っ合わねぇ! と、腹を抱えて言い切った声は、間違いなく笑えていた。
「似合うも似合わないもないだろう。商品名なのだから。」
「いや、けどっ、ヤバい。マジで。絶対、そんな感じで言われると思って付けてねぇよ」
「意味は理解しているぞ。周回出来る、という事を親しみ易く変換したものだろう? 導き手である『めぐりん』と『めぐるん』の名が平等に盛り込まれていて――」
「バカやめろっ、真面目に解説すんな!」
可笑し過ぎて涙が出て来る。さっきまでは、絶対に溢れた所を見せたくないと思っていた物だったのに。
完璧な不意打ちを食らい、最終的に咽せる程笑って、手にしたままだった茶を飲み干す。ついさっきと同じように、はぁ、と吐いた息が軽やかに宙へ舞った。
「お前の所為でなくなったんだけど」
「俺は何もしていない。」
「買う時間くらいあるよな?」
凭れ掛かっていた壁から、勢い良く背中を離して歩き出す。隣に並んだ遙の、勿論だ、と答える声色に何某かの感情を読み取れなくても、もう気にならない。
何せ、オレ達にはそんな事を考えてる暇なんてない。一日じゃ足りないくらいに、やりたい事が残っているんだから。
そっから後は、思った事を気にせず言うようにした。つーか、目的考えたら遠慮とか邪魔だし。
嫌、無理、好きじゃないを遠慮なく主張したし、それが何度か重なって「となると、こちらではないな……」と遙が立ち止まっても、宜しく頼むくらいな気持ちで罪悪感を覚える事もなくなった。
遙も遙で、客引きやら困っていそうな人間を見付けてほいほいと立ち止まりそうになるから、オレが適当に捌いてやったし。
田崎と泉に何か、って最後に寄ったショップなんか大変で、殆どの商品に書かれた『〇〇限定』の売り文句に「なんと……」って言ってめちゃくちゃ悩んでた。オレが店内三周し終わっても難しい顔でパッケージ見てる遙に適当な甘いやつを持たせて、オレが甘くないやつ買って、階段を駆け上がる。ホームの売店をちらりと振り返る黒髪の背を押して、出発時刻直前になんとか滑り込ませた。
迷惑かけたかもって思ったけど、トータルしてお互い様って事で良いか。ぼんやりと眺めていた夕暮れが、瞼の向こうに消える。夢も見ずに過ごした帰り道は、行きよりも更にあっという間だった。
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