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43.選んだ、って言えるなら

 奥歯を噛みしめ、拳を固めて、飛び出しそうになる感情を握り潰す。顰めた眉間の奥でじんわりと熱が広がった。 「………………ポンコツ」 「え?」 「碌でもねぇ事しか思い付かないっつってんだよバカが!!」  家の方へ続く角を素直に曲がろうとする遙の腕を引っ掴んで、真っ直ぐに進む。バカか。この流れでそのまま帰れるわけないだろうが。  あんな言い方なんて、する必要なかっただろうが。 「思考機能に不具合がある、という事だろうか?」 「そうだよ!」 「……確かに、今の発言は不快だったな。せめて、柔らかい表現に変えるべきだった。」 「そうだけど違ぇよ!」  近所の公園に引っ張って行き、自販機にちょうど良く並んでいたエナジードリンクのボタンを叩いて買う。雑にベンチへ腰掛けてから缶を開け、独特な甘さを胃に流し込んだ。舌が粘つく感覚は好きじゃないが、炭酸の刺激と糖分が空腹で回らなくなって来た脳を揺り起こしてくれる。これを夕飯にしない為に、残りの分も飲み込んだ。 「昴。その……何がそれ程までに気に障ってしまったのだろうか?」 「あ゛? 全部だよ全部! こんな日にそんな話されんのも、腹減ってんのに意味分かんねぇ事言われんのも、今までの全部嘘だし、なんなら利用する事しか考えてないみたいな事言われんのも!」 「……すまない。」 「何が『恐らく根幹にある』だよバーカ! マジで自分の体が最優先だったら、尚更バラす訳ねぇだろ。クソみたいな思い込みしてんじゃねぇよ!」 「思い込みではなく、事実そうなっているのだと……。」 「じゃあ、今の状況どう説明すんだよ。こっちが疲れて腹減って苛々して頭回んねぇような時に、自分が悪く見える事ばっか言いやがって。そんな奴手伝いたくねぇよ、ってなるに決まってんだろ!」 「そうだな……すまない。」  伏せた睫毛が影を落とす。「そうなったら交渉する」ってさっき言ったばっかのくせに『謝って諦める』が選ばれた理由を、こいつはちっとも分かってない。 「取り敢えず上手く騙すよりも、不安とかこうなりたっていうのが大きかったからじゃねぇの?」 「……え?」 「だから! 『本当の事知られた後もここに居られるか聞きたい』って不安になって、他のリスクよりそっちのが大事だって急に思ったから、碌に前振りもしねぇで聞いて来たんじゃねぇのかよ!?」 「そう……なのだろうか……?」 「自分で考えろ! 本っ当、怒らせたいのか同情されたいのかどっちかにしろよ……」  怒り疲れてぐったりと項垂れたオレに、遙は何も言って来ない。どうせ、どこがまずかったか分かってなくて、おろおろしてるだけだ。  ああムカつく。自分が悪く見える事はすらすら出んのに、こういう事になると急に分かんなくなるのがムカつく。  乱暴に隣を叩いて座れと合図をすると、戸惑いながら遙は腰掛けた。 「すまない。その、タイミングを誤ってしまって。改めて考えれば、もっと冷静に意見交換が出来る状況下で話すべきだった。」 「本っ当にな」 「……すまない。」  遙は割と馬鹿正直に喋る事が多い。けど、本当に体を守る事を最優先で考えてるなら、こんなボロを出す程頭が使えない奴でもない。って事は、別の理由がある。問題は、どう自覚してるかだ。 「確認」 「なんだ?」 「お前が言う事とかやる事とかって、似たような状況の誰かの真似してるって事で合ってる?」 「ああ。特定の誰かというより、その集団における平均的な反応を選択しているが。」 「そん時参考にした奴の感情の部分って、どうしてんだよ? 行動だけ抜き取ってんの?」 「情報として受け取っている。『この状況では、こういった本能が働いたり感情を抱いたりする。よって、このような事をする』という処理がなされているからな。次の行動を選択する際の参考としても使用する。」 「最多か最適で選ぶっつってたけど、前後で繋がりなくなって破綻するとかねぇの?」 「しない。過去の言動や行動とは整合性が取れるようになっているはずだから。使命の達成やこの身の維持等、決定の基準となる優先順位も定められている。 矛盾があっても、一般的な人間に起こりうる程度のものだろう。」 「それさ、お前は納得してんの? 選ぶ時は作った奴等の基準で決められて、伝える時も他人がやった事からしか選べないって事だろ? 本当はこうしたかった、って一回くらいあるんじゃねえの」 「全く? この身はそう作られたのだから、そうとしか成りようがないだろう。今回のように判断を誤ってしまう事もあるが、誰かの所為で引き起こされたと考えた事はない。全て自分自身の選択だと認識している。」  そこまで聞いて黙ったオレを見て、何かまずかったか? みたいな顔で遙が首を傾げる。ああもう、やっぱこいつそういう奴だ。操られてるみたいで辛い、って言われたらどうしようかと思ったけど、鎌かけてこれだもんな。 「クッソ鈍感。ネガティブ。バカ」 「すまない。次からは繊細で建設的な発言を心がける」 「ポジティブさだけ今すぐ身に付けろ。……で、それ何が問題あんの? この前言ったばっっっかだけど」 「問題はあるだろう。先の昴の指摘通り、判断基準は他者に設定されたもの、表現方法も他者からの引用で、人のように身の内から出たものではないのだから。」 「身の内って。お前だって『これが一番合ってるな』『今はこいつと同じだな』って、共感してるからやってんだろ」 「感情がないので共感という表現は適切ではない。取捨選択の結果をそれらしく見せているだけだ。人間の基準に当て嵌めれば虚偽、もしくは虚構に該当するだろう。」 「その処理、こっちから見えねぇじゃん。お前の言ってる〈選択〉は〈共感〉と大差ねぇよ。『それらしく』どころか『そんだけ出来てりゃ充分 』って言ってんだけど」 「……人心掌握だとは思わないのか? 先の告白も、不利な事を打ち明けて誠実さを装い、その上でお前に協力する道を選ばせ、責任感を植え付けて簡単に放棄させない為の策であると。日々の行動も、協力者を逃さない為でしかないと。」 「はぁ? バッカじゃねぇの? そんなせっこい事、お前に出来るわけねぇだろ。つか、こっちの希望ときっちり合ってんだから掌握上等じゃね? 裏で何がどうなってるとかどうでも良いよ」 「不快では……ないのか?」  いや分かれよ、じゃ駄目なのかこれ? この前流暢に長文読解と小論文のコツを説いてた奴はどこ行った。  かつんかつん、とプルトップを弾く音だけが聞こえる。  全部言うとか無理なんだけど。でもどうせ、具体的に言ってやらないと間違った納得の仕方をするんだろう。会った頃からどう見たって人間にしか見えない『自称人間じゃないなにか』は、人間の駄目な部分まで馬鹿正直に再現するから。  指を止め、空き缶の底でベンチを叩いた。カコンッ、という軽い音に思いの外響き、遙の肩が跳ねた。 「オレが怖いっつっても馬鹿しないのも、気持ち悪いっつったら当たり前だと思ってくれんのも、田崎と同じ事言ってんのに表情追い付いてねぇのも、たまに大ボケかまして泉にびっくりされんのも。全部合ってるし悪くねぇなってこっちは思ってんだから良いんだよ!  お前が正解だと思ってやってんなら、自信持って責任取れ!」 「あ、ああ……?」  本当、何なんだよこの自己評価の低さは。掌握する気があんなら、ありがとうっつって笑っとけば良いだろ。 「そもそも、嘘って事にしたくねぇから『本当はこんなのだけど』って聞いて来たんじゃねぇのかよ」  柄にもない事を言わされた勢いから睨むように視線を送る。遙は首を少し捻ってから、珍しく自信がなさそうな顔をした。 「分からない。多くは無意識下で処理が行われており、容量の都合から選択の経緯を全て記憶してはいないのだ。ただ……。」 「ただ?」 「ただ、交際相手との件の謝罪を躊躇った際『仮にこれが虚偽となるならば、俺に纏わるあらゆる事が嘘になるな』と。その前提に対して……『受け入れ難い』という判断がなされ、後の取捨選択の基準になった事は確かなようだ。」  数秒、返事を探した後にため息だけが残った。少しだけ残っていた緊張と一緒に、はっきりと音を立てて吐き出される。 「それもう、感情とか意思みたいのがあるって事で良くね? 他人と形が違かろうが」 「自我に関しては〈ある〉と分類して良いと思うのだが……。この一連のやりとりは〈事実をお前が望む形に湾曲させた〉という事にはならないか?」  またそういう言い方しやがって。本人的には見たままを言ってるんだとしても、こっちはたまったもんじゃない。いちいち物騒な言い方すんな、って言っても許されるはずだ。 「お前の話全部分かった上での意見だからよく聞けよ。  もしお前が泣いてたら、同情で操ろうとしてるとも、嘘だとも思わない。『無いもの作ってでも、泣きたいって伝えようとしてる』って思うからな」  ここまで言ったんだから納得しろよ。と、隠さず顔に出した。見やった先の遙の眼が、二、三度瞬きしながら見開かれる。  達観したように凪いでいた黒に、一つ二つと街頭の光が映ったかと思うと、見る見る内に明るい星空へ変わった。明かりを一杯に取り込んで、子供みたいに純粋な驚きが満ちる。  戸惑いながらでも納得させられたら充分で、ありがとうって言いながらちょっと緊張が取れたら及第点、って思っていたのに。 「設定がーとかも、通用しねぇからな。他人の基準に影響されんのも、突き詰めてきゃどっかしら自分の損得が基準になってんのも、こっちだって変わんねんだから。あと……、あんまこっちが虚しくなるような事言うな」  田崎や泉だったらもっと優しい言葉をかけられたんだろうけど、オレはこれで精一杯だった。それでも、わかった、と言って落とした遙の瞼は優しい弧を描いていた。 「はっきりと理解して取り入れるまでは、時間がかかるかもしれない。だが、今後も人に寄り添って行く為には重要な考え方だ。必ず理解したいと思う。」  頼むぞマジで。重く受け止められてもまた何かありそうだけど。まあ、その時は軌道修正してやらなくもない。 「お前、変なとこで頭硬ぇよな。今までの奴等とか恩人とかに言われてんじゃねえの? 周りからどう見えてるのか考えろとか、もっと自分を大切にしろとか」 「…………あ。」  あ、じゃねーよ。前科持ちかよ。  気が抜けたところで、ちょうどエネルギーも切れた。帰宅予定だった時刻はとっくに過ぎている。そりゃ眠いし「おし、帰るぞ」って声に出さなきゃ立てねぇよな。 「昴、少し待ってくれ。」 「ん?」  振り返ると、遙がこちらに一歩距離を詰める所だった。  いや近くね? と思った直後に、掌でさらりと頭を包まれる。仄白い指がそっと輪郭をなぞって首筋を辿り、肩から腕にかけて柔らかく降りた後、手首に余韻を残してふわっと離れて行った。 「うむ、これで良い。」  頷いた遙が満足そうな顔をした。やられた方は、それどころじゃない。 「は!? ちょ、え、な、何、なんだよ!?!?」 「ん? 丸一日出かけていたし、精神的にも負担になる所に連れて行ったので、回復する術をと。」 「急にやるな! こんなん、帰ってからにしろ!」  びっくりした。めちゃくちゃびっくりした。確かにじんわり体があったかい気するけど、風呂に浸かった時みたいに疲れが出てってる感じするけど。  近かった。抱きつかれるのかと思った。感極まった奴の行動持って来たか? って過るくらい、触れられた指先が優しかった。 「魔術を使われる事は好きではないと思うが、感謝の気持ちだ。受け取ってくれ。」  さっぱりと言い切った無表情……よりも少し緩んだ顔の奴が、ひょいと荷物を持ち上げて歩き出す。待て。ふざけんな。でも突き詰めて話すとかも無理だろこれ。どうしてくれんだよ。  一言言ってやりたいのに、結局は早足で追い越す事しか出来ない。歩く度に忙しなく弁当が揺れた。最後に変なおまけが付いた感じはするけど、まあ、良いか。これをゴミ箱にぶち込まなくて済んだんだし。  新しくロック画面にした、湖畔の写真も。  窮地を助けてくれた相棒が、ガラン、と言って回収箱に去って行く。追いついた人と並んで帰る道は、夜風が暖かい季節になっていた。

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