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53.後にただの外出とは呼べなくなるもの #2
一国の主や上流階級の者達の優雅な微笑みに見送られ、次のエリアへ足を進める。打って変わって風景画が中心となり、時代と国境を超えられる窓の向こうに、当時の街並みが広がっているようだった。
「へぇ。記念の写真とか、ポストカードみたいだったって事か? んな手軽じゃないだろうけど」
これらの絵画が旅行や留学の際の思い出として人気を博した、という解説を読み終えた彼にああ、と頷く。
「いつの時代も、異国の風景は彩りに満ちて鮮烈だ。一人で思いを馳せる時、誰かと語らう時、あの日見た情景を映し出してくれる絵は多くの者から愛された。」
どこまでも高い空。思い思いの時間を過ごす人々。豪奢な建造物と、その装飾にくっきりと陰影を付ける程の陽光。特別な、或いは日常の一瞬を捉えたそれは、パンッと手を叩いて再開の合図を送れば、今にも風が吹き抜け、街の騒めきが聞こえて来そうだった。
「感情は目に写る物の彩りを変える。全てをありのまま描いた物ではなく、忠実と装飾を織り交ぜた輝かしいこの風景をこそ、自らの思い出の場所と感じた者も多い。」
目覚めを待つ間に垣間見た、在りし日を眩しそうに語る老人と、瞳を輝かせて聞き入る少女を思い浮かべる。優しさを増した彼の瞳も、当時の人々に思いを馳せているようだった。
その先のエリアからは、個性的なタッチが増えて行った。一般にも聞き慣れた名が数多く並び、鑑賞する側も親しみを覚えるのか、静かな活気を感じる。
特に著名な画家の作品を見ながら、彼は感心したという風にため息を付いた。
「実物って凄ぇのな。これとか、あっちのでかいのみたいな、ぼやーっとした絵って何が良いのかマジで分かんなかったんだけど……確かに、うん、凄いわ。教科書に載ってんのと全然違う」
「どう違う?」
「思ってたより激しいっつーか、明るいっつーか? 兎に角なんだろ……『これ知っとけ!』って載せもするよな。って、めっちゃ納得出来た」
歴史に触れるだけでなく、予想外の体験が出来た彼の様子を見て喜ばしくなる。来た甲斐があった。そんな彼の、この展示の中で最も有名であろう一枚への評は「みっちりしてる」だった。
「はち切れそうだったじゃん、花瓶のとこ」
「それ程の生命力を感じたのか、それとも思いの丈を詰めたのか。どちらだろうな?」
「怖ぇ事言うなよ」
展示ブースの出口はそのままミュージアムショップに繋がっていて、作品達の前よりも更に混雑していた。
人の合間を縫いながらざっと眺め、いくつか手に取りはしたが、何も買わずに美術館を後にした。お互いに、今観て来たばかりの物への満足感が高かった。
この体験は印刷された物を眺めるよりも、ゆっくりと記憶を反芻しながら辿りたい。そう思った誰かの選択が、俺に反映されたようだ。
当初の予定では、比較的近距離にある大きな図書館に行ってみようと話していたのだけれど、会話を楽しみたいという欲求と、異国の景色を更に見てみたいと感化された事とが合わさり、少し足を伸ばして大型の書店へ向かった。
この身は常に情報を取り入れているが、流行に敏感である事とは異なる。洒落た作りのその建物は、新しい時代を感じさせる作りをしていた。併設されたカフェはたっぷりと光が取り込めそうなガラス張りで、天気の良い日中は気持ちが良い事だろう。
「馬鹿みたいな感想だけどさ、知らねー本ってめちゃくちゃあんのな」
問題集とか、あとは見ても小説の所くらいだからと笑う彼と、世界の建築物が写真と共に解説された書籍を眺める。絵画の中の建物が変わらぬ姿で残っている事に不思議さと感動を覚え、近年の独創的なデザインに舌を巻いた。
「ちょっとこっち向いて」
重厚感のある表紙が目を引く一冊をパラパラと捲っていると、彼が俺の顔にするりと眼鏡をかける。どうしたのだろうかと思いながらも、促されるまま視線を手元に戻せば、二、三歩下がってこちらを眺めた彼が楽し気な声を上げた。
「めっちゃ頭良さそう」
「何が変わったわけでもないだろう。」
そう反論してみたが「貸してみ?」と言った彼が同じ道具で同じ構図を取り、真剣な面持ちを作ってみせると、とても様になっていたので納得してしまった。少し悔しい。
彼の新鮮な姿を見せてくれていた装飾品がケースに仕舞われて行くのを、何となく惜しい気持ちで見送る。だが、慣れ親しんだ横顔が隣に並ぶと不思議と安らいだ。
様々な図録や歴史文学を手に取り、ファッション誌のコーナーにも寄り道をしたが、何故か最後は推理小説をそれぞれ一冊ずつ買っていた。
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