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第5話 高鳴る鼓動

「大丈夫って……あったのか!? 俺のハンカチ!!」 「ジェスさん、あの、声、おっきいです……あと、顔が近い、です……」  エミリオはジェスの迫力に負けてぎゅっと目を瞑っていた。吐息を感じるほど近くに顔を寄せられて、心臓が痛いくらいドキドキしている。  平常心を取り戻そうと、一度唾をごくんと飲み込んで口を開いた。 「これ……ジェスさんのお名前が入っていたので、すぐに誰のものかわかりました」  デスクの脇に置いていた白いハンカチを取り、近すぎる顔の前に差し出してジェスの反応をうかがう。一瞬固まったジェスだったが、エミリオからハンカチを受け取ると息を吐き出して安心する様子を見せた。 「……助かった、マジで助かった」 「昨日利用されていた席のそばに落ちていましたよ。えっと……ごめんなさい、そんなに心配されているなんて知らなくて。すぐ渡しに行けたらよかったんですが……」  ジェスは心から安堵した表情を浮かべ、ポケットにハンカチをしまった。 「いや、いいんだ。あんたには仕事があるだろ。見つけてくれただけでありがてえ……ってか、俺のほうこそ取り乱したところ見せて悪かった」 「いえ、そんな! 僕は気にしてないですから、謝らないでください!」  真っ直ぐに謝ってきたジェスに、エミリオは慌てて首を振った。 「それにしても……素敵ですね、丁寧な刺繍がしてあって。誰かからの贈り物ですか?」  少しだけ引き攣った笑顔を浮かべて、エミリオは一番聞いてみたかったことを尋ねる。本当はさりげなく尋ねたかったが、緊張していたせいでうまく取り繕えなかった。不審に思われただろうか、と不安になる。ジェスと会話していると、たびたびこんな気持ちになってしまう。自分より目線の高いジェスを上目遣いで見ると、ほっとして緩んでいた表情がすっと真顔になるのを見てしまった。 「ああ――まあな」  答える瞬間のジェスの様子をエミリオは見逃さなかったが、これ以上話を広げるのはいけないと感じて、「そうなんですね」と短く返事をすることしかできなかった。 「仕事の邪魔したな。今度うちの店に来てくれよ、飯でも酒でもなんでも奢ってやるから」 「あ、は、はい……」 「つっても、あんたは酒が飲めないんだったな。まあ、気が向いたらなんか食いにこい。ここの本で勉強したから、メニューはめちゃくちゃ豊富だぜ?」  あんたにも食ってもらいたいんだ、とジェスは笑った。 (ああ、また、変な感じだ)  心臓の鼓動がどんどん早くなる。自分に向けられている優しい笑顔に、心まで包み込まれていると思うとこれ以上ない幸せを感じてしまう。 「……エミリオ? 大丈夫か、ぼーっとして」 「えっ?」 「体調、悪いのか?」  すっと大きな手が額に触れる。硬直した身体はぴくりとも動かず、頬が紅潮するのを感じた。息苦しくなって、ジェスの顔を見ることができない。  この感情に名前があるとしたら、きっと――。  その答えを知らないわけじゃない。けれど、認めてしまうのが怖くてエミリオは事実から目を背けようとした。 「おい、なんか熱いぞ? 熱あるんじゃ……」 「だっ、大丈夫です! これが平熱です!!」 「いや、これ……平熱なのか!? 結構熱いぞ!?」 「ほんとに大丈夫ですから!! 問題ないですから!!」  これ以上優しくされたらもっとおかしくなってしまいそうで、後ずさってジェスから離れる。きっと顔が赤くなっているだろうから、俯いて言葉を続けた。 「本当に……大丈夫、です……」 「大丈夫に見えないんだよ。体調悪いなら今日は閉めちまったほうがいいんじゃねえか?」 「それは出来ません、今日は王都から本が届く日なので……それに体調も悪くありませんし、大丈夫ですから……」 「……本当に、平気なんだな?」  最終確認だと言わんばかりに低い声で問われて、エミリオは何度も頷く。そんな様子を見たジェスは、「仕方ねえなあ」とため息をつきながらエミリオの頭に手を置いた。 「今からテオじいさんの畑の手伝いがあるんだが……それが終わったら絶対様子見に来るぞ」  ジェスは言いながらエミリオとしっかり目を合わせ、優しく頭を撫でた。 「は……はい……」 「んじゃ、約束な!」  ようやく納得してくれた。エミリオは手をひらひらと振って去っていくジェスを見送る。深いため息をつきながら受付カウンターの椅子に力なく座り込んだ。  熱くなっている顔を両手で覆って、高鳴る心臓をどうにか落ち着かせようとする。 「こんなの、一生忘れられないよ……」  呟いた言葉は誰に聞かれることもなく、宙空に浮かんで消えていった。

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