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第9話 恋愛事情

「あーいいもん見れた」 「……なんですか、いいものって」 「そりゃあ、エミリオの可愛いサンドイッチの食い方だろ」 「もうやめてください……」  甘い言葉でからかって、これ以上自分を混乱させないでほしい。エミリオは好きな人とふたりきりになっているというだけで緊張するのに、それに追い打ちをかけるようなことはやめてほしい。 「あ……気が付かなくてごめんなさい。ジェスさん、何か飲みものは……」 「お、酒ある?」 「逆にお聞きします。図書館にお酒があると思いますか?」 「……思いません」  エミリオは紅茶入りの水筒を手に持って、部屋の隅にある小さな食器棚の前に立つと花柄のカップを取り出した。  この図書館に来客などほとんどないが、念の為置いておいてよかった。几帳面なエミリオは使っていないカップもきれいに洗って保管している。 「僕が持ってきた紅茶しかないですけど、よかったら」 「おーう、ありがとよー」 「畑仕事のお手伝い、ご苦労様です」  ほのかに甘い香りのする紅茶をカップに注ぎ、それをジェスに手渡す。  ジェスの手は、大きくて男らしい――そんなことを思ってしまう自分がどうにも恥ずかしくて、渡してすぐにエミリオはジェスに背を向けた。 「紅茶なんて滅多に飲まないが、うまいなぁ」  呑気に紅茶を味わうジェスが好きすぎて恨めしい。自分はこんなにもジェスのことで胸をいっぱいにしているのに、ジェスはなんの感情も持っていない。理不尽だとはわかっているが、不公平だとエミリオは小さくため息をついた。 「どうかしたか?」 「い、いえ! なんでもないです……」  すとんと椅子に腰を下ろして、膝の上で手をぎゅっと握る。  よく考えてみれば、今までジェスとこんなに近くでじっくり話したことはなかった。いつもは本の貸し出しや返却のときに軽く話す程度だったから、こんなふうにおかしな気分になってしまうのだろう。  本当はずっと二人きりでいたいのに、一緒にいるとどきどきしてどうしようもない。律儀に約束を守って様子を見にきてくれたジェスには悪いが、複雑な思いがエミリオの心に渦巻いていた。 「なぁ、前から聞きたかったんだけどよ」 「え?」 「エミリオって好きな子いんの?」 「へ……? ええっ!?」  唐突かつ直球な問いに、エミリオは目を丸くした。反射的に声が裏返ってしまい、頭の中が一瞬で真っ白になる。  ジェスがどうしてこのタイミングでそんな質問をしてくるのかわからなかった。自分が何かそういう雰囲気を醸し出してしまったのだろうか。 「え、あ、あの、なんで急に、そんなこと……」 「おやおや? その反応はまさか?」  答えに詰まっているとジェスがにやにやと顔を近づけてきた。慌ててのけぞっているエミリオを見て、「なるほどぉ?」と意味深な顔で頷いている。 「なるほどって、違いますよ! 僕、そういうのは……」  変に勘違いされたくないが、本当のことを話すなんて絶対にできない。そもそも自分の人生を振り返ってみると、恋愛感情を抱いたのはジェスが初めてで、それ以前は恋愛ごとにまったく縁がない。 (これって、どう反応するのが正解なんだろう……?) 「ここだけの話、誰なんだ? 応援するから教えてくれよ」 「だからっ! 恋愛とか……今まで全然、縁がなくって……」 「……本気で言ってる?」  もごもごと歯切れの悪いエミリオの様子から、何かを察したようだ。ジェスは信じられないといった表情でエミリオを見つめている。 「僕は、ジェスさんみたいにかっこよくもないし……こんな頼りないやつ、誰も見向きもしないですよ」 「いや、この町のやつらは見る目がねえんだ。こんなに穏やかで優しい男、ほっとくやつの気が知れない」  真剣な顔で言ったかと思えば、ジェスは笑って言葉を続けた。 「そしてお前も見る目がない! 誰かを好きになる気持ちって大事だぜ?」  『その気持ちは現在進行形で経験しています』とは素直に言えず、エミリオは身体を縮こめて「はい……」とだけ返事をした。 「なーんてな。まあ本当に好きな人ができたら教えろよ? 全力で応援してやる」  ジェスにとっては何気ない雑談のひとつだったのだろう。それ以上恋愛の話は続かなかった。  もしもエミリオに勇気があったなら、ジェスの恋愛事情について聞き返せたのかもしれない。だが、もし「好きな人がいる」なんて言葉が返ってきたらと思うと怖くて質問できなかった。

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