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第10話 夕暮れ

 他愛のない世間話をしながら思う。どうしてジェスがあんな話を切り出したのかわからない。エミリオはまだ動揺していた。 「はー、しゃべった。お前とこんなにじっくり話すのは初めてだよなぁ」 「そう……ですね。えっと、すみません……僕、そんなに会話が上手じゃなくて」 「そんなことねえよ、俺は楽しかったぜ。紅茶もありがとな」  そろそろ行くか、とジェスが立ち上がる。もう行ってしまうのかと思うと、まだここにいてほしい気持ちが強まってしまった。ひとりは慣れているけれど、誰かと会って話をした後は寂しさを感じてしまう。 「新しい料理の本が入ったので、また来てくださいね」 「了解。じゃ、またな」  くしゃ、と巻き毛の頭を撫でられた。頭を撫でてもらって喜ぶような子どもではないけれど、きゅん、とときめいてしまうのはしょうがない。  手を振ってジェスを見送り、時計を見ればそろそろ昼休憩が終わる時間になっていた。 「よし……午後もがんばろう」  エミリオは撫でられた頭に軽く触れて、顔が熱くなるのを感じながら仕事へと戻った。  閉館時刻になり、エミリオはてきぱきと仕事を片付けて新しく整えた棚を眺めていた。新刊が並ぶ棚の片隅には料理本も数冊並んでいる。 「わあ……綺麗な空」  窓の外を見れば、夕陽が空を橙色に染めていた。もうすぐ陽は沈み、夜がやってくる。ほんの少しの間の儚い時間に、なぜだか切ない気持ちになった。  日誌を書き終えると、机の上を片付けて席を立つ。業務を終えたエミリオは、帰り支度をして図書館の出入り口に向かった。 (今日の夕飯はどうしようかな)  野菜たっぷりのスープでも作ろうか。そんなことを考えながら、ふとジェスのことを思い出す。 (そう言えば、気が向いたら酒場に来いって言われてたっけ。行ってみたいけど……場の空気に馴染める自信がないや……)  ジェスの手料理は食べてみたいが、酒場はアルコールが苦手なエミリオにとって縁がない場所だ。きっとジェスは歓迎してくれるだろうけれど、どうにも勇気が出ない。  気がつけば足は自宅の方へと向かっていて、無意識のうちに酒場から遠ざかっていた。 (……僕はずっとこうして逃げてばかりだ)  そういう性分なのだからと、全部諦めるしかないのか。自分という人間の弱さをひしひしと感じ、深いため息が出る。  落とし物のハンカチのおかげで急接近できた気がしたが、やはり自分には恋愛なんて向いてない。  障壁がありすぎて、ただただ立ち尽くすことしかできないのだ。  夕陽がゆっくりと沈んでいき、あたりが薄暗くなる。  俯くエミリオは暮れていく空にうっすらと三日月が浮かんでいることに気づかなかった。

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