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第15話 約束
エミリオは手元の本と棚の本を見比べて、本を戻す場所を確認している。
持っているのはあと一冊。これが終われば本の補修作業に移れる。
最後の一冊を正しい場所に戻すと、振り向きざまにジェスと鉢合わせしてした。急に接近されて大人しくなっていたはずの心臓が早鐘を打つ。
「ジェスさんっ!? び、びっくりした……」
「なぁ、エミリオ。それで返却最後か?」
「はい。今日は朝から返却の方が多く来られて……ちょっと時間がかかってしまいました」
「そう、か。じゃあちょっと時間もらえるか? あー……すぐ済むから」
「えっ? ええと、大丈夫です」
ジェスが少しだけ言いづらそうにするのを初めて見た気がする。こんなふうに言い淀むなんて彼らしくない。何を言われるんだろう……とエミリオは不安になった。
「エミリオ、全然うちの店来てくんねえから、ハンカチの礼ができねえなと思って」
「あっ……」
エミリオの反応を見て、困ったようにジェスが笑う。
うっかり忘れていたわけじゃない。エミリオはただ、職場に落ちていたハンカチを拾っただけで、礼をされるほどのことはしていない。しかし、酒場に行きたいという気持ちはあった。ジェスの手料理を食べてみたかったけれど、どうしても勇気が出なくて記憶を心の奥底に沈めていたのだ。
「ごめん、なさい……僕……」
「いやいや、いいんだって。エミリオが酒苦手なのも、人の多いところが得意じゃねえのもわかってるからよ」
ジェスに気を遣わせてしまった、と後悔の念が押し寄せてくる。それでもジェスは嫌な顔をせず、「気にすんな」と言ってくれた。
「んで、こっからが本題な。騒がしい店が苦手なら、明日の昼にでもうちに来て、飯だけでも食ってみねえか? 明日図書館休みだろ?」
意外すぎる提案に、エミリオは困惑した。昼間ということは、酒場が営業していない時間帯だ。そんな時間に自分を招いて食事を出してくれるなんて、本当にいいのだろうか。ジェスの言葉に甘えてしまってもいいものなのだろうか。疑問符が頭の中をぐるぐると巡って、返事ができなくなってしまった。
「えっと……えっと、っ」
「もちろん無理強いはしないけどな。味は保証するぜ。……どうだ?」
行きます、と言いたいのに余計な不安が邪魔をする。
こういう時に素直になれたらどれだけいいか。気軽に「行きます!」と返事をできるような、そんな人間になりたかった。
「やっぱ無理そうか? 悪い悪い、確かに急だし、休みの日くらい自由に過ごしたいよな! 今の話は忘れてくれよ!」
エミリオの曇った表情から何かを察したジェスが、エミリオの答えを聞く前にそんなことを言い出した。
違う、そうじゃなくて、と切り出すタイミングがわからない。けれど、このままではいけない。エミリオは揺らぐ心を必死で落ち着けようと胸を押さえて、口を開いた。
「ちが……っ! あの、僕……!」
「へ?」
「僕なんかがお邪魔してもいいんでしょうか……? もしご迷惑でなければ……ぜひ、明日……」
「――マジか!! やった、マジかよ。これは本気で店きれいにしておかねーとな!!」
ジェスがさっきまでとは違ってキラキラした笑顔を浮かべる。
こんなに喜んでもらえることだとは思ってもみなかった。お礼をするのが嬉しいって、不思議な感情……と感じたが、ジェスの笑顔が見れてエミリオもホッとした。
「なんか苦手なもんあるか? それか、食いたいもんがあったらリクエストも大歓迎だ」
「ええっと、ジェスさんが作ったものならなんでも食べたい……です」
「おま……なに嬉しいこと言ってくれてんだよ! 素直に嬉しくて照れるじゃねえか!」
「だって、ジェスさんの作る料理は全部美味しいっていろんな人が言ってたから……! それに僕、苦手なものってほとんどないので……」
「完全にやる気出たぞ。明日、12時くらいに店に来てくれ。本気でもてなす!!」
喜ぶジェスの腕が肩に回され、身体が密着する。力強く肩を抱かれてしまい、慌てて身じろぎしてもすり抜けることは叶わなかった。
こんなに近くにいると、ジェスの匂いに包まれて頭がふわふわしてくる。
「ジェ、ジェスさんっ……!」
「ん? あ、悪い悪い、痛かったか?」
「痛くないですけど……びっくりしました」
本当は“ドキドキしました”が正解なのだが。嬉しそうなジェスを見ているとエミリオにもその笑顔がうつって、あたたかくてどこかくすぐったい気持ちになった。
明日の12時が待ち遠しくて仕方ない。好きな人の手料理を食べれるなんて、どれほど神に感謝しても足りないくらいだった。
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