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第16話 あふれる想い
ジェスの誘いを受けたエミリオは、家に帰ってぼんやりと明日のことを考えていた。
帰宅途中にパン屋のナタリアおばさんから呼び止められ、「これ食べてね」とバゲットをもらった。これで夕飯には困らないと思っていたけれど、いつもならお腹が空いてくるはずの時間になっても明日のことで頭がいっぱいで食欲が起きなかった。
(……明日、12時……ジェスさんの、お店)
明日の話だというのに、今から緊張してどうするんだ。そう言い聞かせて冷静に考えようとしても、頭が勝手に考えてしまう。
「はぁー……あ……」
行きたくないわけじゃない。むしろ行きたい気持ちの方が強いというのに。
ジェスとふたりきりの時間を過ごすことを考えると、嬉しくて舞い上がってしまいそうになる。
(……ジェスさんはそんなつもりなくても、ふたりきりで食事するなんて……で、デート……みたいだ)
頭の中が沸騰して、悲鳴をあげそうになった。これを『デート』だなんて思っているのは自分だけだ。ジェスはただ、ハンカチを拾ったお礼がしたいだけで、エミリオが思うような意図はない。絶対にない。あり得ない。
(けど、あんなふうにお店が閉まってる時に呼んでくれるのは……僕のことを思ってそうしてくれたわけで……ジェスさんの中で、僕はどうでもいい存在じゃない……ってこと?)
こんなのは都合のいい妄想だ。わかっている。
エミリオはテーブルに突っ伏して、落ち着くために呼吸を整えようとした。冷静になって、今の状況を整理する。そして出した答えはこうだ。
(……思うだけなら、誰にも迷惑かけない……よね)
自分だけが『デート』だと思っているなんて滑稽でしかないが、思っているだけなら誰に咎められることもない。
誰かを好きになるなんて、これまで生きてきて初めての経験だ。その相手がまさか男性だなんて誰にも言えないけれど、いろんな小説を読んでエミリオは学んできた。誰かを愛することはとても幸せなことなのだと。
(ジェスさん……)
心の中で名前を呼ぶだけで、切なくなる。
自分が恋をしていることを改めて自覚させられて、エミリオは無意識に自分の肩を抱いた。
結局もらったバゲットには手がつけられず、濡らした布で身を清めるだけですぐにベッドに潜り込んだ。
すぐには寝付けなくて、ランプをつけてぼんやりと天井を見つめている。明日のことを思うと、読書をする心の余裕すら残っていなかった。
「んん……眠れない……」
王都で買ってきた異国風の模様が入ったクッションを抱きしめて、ため息をつく。柔らかい感触に癒されれば眠れると思ったが、それでも頭ははっきりしている。
ジェスはエミリオがこんな切ない気持ちでいることを知らない。
この想いは絶対に伝えないと決めた時から、ジェスとは良い友人としての距離を保っていようと決心していたのに、心が揺らぐ。
(僕なんかがジェスさんに好きって伝えたら……気持ち悪がられるに決まってる……)
ジェスは優しいけれど、優しいから何を言っても受け入れてくれるとは限らない。話をするだけで、笑い合うだけで、十分幸せなんだと言い聞かせるが――心は思うようにコントロールできない。
(明日は頑張らなきゃ……僕の気持ちに気づかれないようにしないと……)
今の関係を壊したくない。ジェスとはいい関係を築いたままでいたい。
思えば思うほどジェスのことで頭がいっぱいになって、どうしようもなくなったエミリオは頭から毛布を被った。
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