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第18話 水汲みの道
家の前に咲いているガーベラが水を浴びてキラキラと輝いている。週に一度の休みの日はじっくりと花を見ることができて嬉しい。エミリオはしゃがんで花々を眺めて、今日もきっといい日になる、と頷いた。
ジェスの酒場へ行くのは12時。まだ時間があるから井戸に水を汲みに行って、紅茶を淹れたら本を読もう。
朝食は抜いてしまって構わない。とっておきのご馳走を昼に食べることができるから、なるべくお腹を空かせておいた方がいい。
水汲みはいい運動になる。桶を持って井戸の方へ歩いていると、散歩中の老夫婦が幸せそうに話しているのを見かけた。
「こんにちは」
挨拶をすれば、老夫婦はにっこりと笑顔で挨拶を返してくれる。
エミリオはそんな平和なオルデルの町が大好きだ。
孤児のエミリオがこんなふうに思えるのも、育ててくれた教会の神父やシスターたちのおかげだった。
昔、エミリオがまだ幼い頃、両親がいないことと教会で育てられていることを理由に、町の子どもたちから「よそ者!」と言われいじめられたことがあった。騒ぎを聞きつけた神父はすぐに駆け寄って泣きじゃくるエミリオを抱きしめてくれたが、あの時のショックは今でも忘れられない。
神父が「よそ者!」と囃し立てた子どもたちを叱り、謝らせたことでその後は同じようなことは起こらなかったが、幼いエミリオにとって自分がこの町の人間ではない「よそ者」だということを自覚させられた事件だった。
(……大丈夫、今は誰もそんなふうに思ってない……大丈夫)
昔のことを思い出して暗い感情が押し寄せてくる。せっかくの素敵な日にこんな気持ちでいてはいけないと思い、エミリオは暗い感情を振り払うように首を横に振った。
「どうかしたのか」
それでも全てを振り払うことができず、少し俯いて歩いていると後ろから声をかけられた。
「あっ……ウィズリーさん」
そこにいたのは自警団のウィズリーだった。精悍な顔立ちのウィズリーは感情があまり感じ取れない切長の目でエミリオを見下ろしている。長身の彼は威圧感があって、思わず縮こまってしまった。
「暗い顔をしていたから気になって声をかけたんだが、驚かせてしまったようだな」
「いえ、その……すみません、ぼんやりしてて……」
「謝ることじゃない。水汲みなら手伝おうか?」
エミリオが手にしている桶を見て、ウィズリーが申し出る。細い腕で水がたっぷり入った桶を持つのは苦労するだろうと思われたようだ。だが、そんなことをしてもらうなんてとんでもない、とエミリオは焦って断った。
「大丈夫です! いつも自分でやってますから!」
「そうか、それは失礼した。君はあまり体が丈夫じゃないとヴァルド神父から聞いていたから、気になってしまって」
育ての親である神父の名が出て、エミリオは目を丸くした。大人になってもまだ心配されている。そんな自分が少し情けないけれど、その優しさにどこかくすぐったい気持ちになってしまった。
「神父様、またそんなこと言って……僕、小さい頃はしょっちゅう体調を崩す子どもだったんです。でも、今は本当に大丈夫ですから……」
「大切にされているんだな。いいことだ。ところで、今日はジェスの店に行くんだってな」
「えっ? どうして、それを?」
「ジェスから聞いた。メニューをどうしたらいいか、真剣に悩んでいたよ」
ウィズリーは少し口元を緩ませてそう言った。自分のためにジェスが悩んでくれていたと知って、エミリオも自然と顔がほころぶ。その表情をウィズリーは見逃さなかった。
「……なるほどな」
ウィズリーの言葉に疑問符を浮かべ、エミリオは首を傾げる。
「いや、気にしないでくれ。まあ……ジェスは本気で君に喜んでもらいたいようだから、楽しんでおいで」
「はい!」
暗かった表情が一気に柔らかい微笑みに変わったのを見て、ウィズリーは何かを確信したようだった。
「それじゃあ、失礼します」
ウィズリーに頭を下げてエミリオは井戸への道を歩き始める。さっきよりも足取りが軽いのは、ジェスとの約束の時間がさらに楽しみになったからだ。
口元が緩み、鼻歌でも歌い出しそうになるエミリオだったが、流石に人目があると思って慌てて歯を食いしばり表情をひきしめた。
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