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第27話 その夜

 とても長い一日だった。  エミリオはぼんやりと窓の外を見つめている。  太陽がだんだんと沈んでいき、空の色が淡く暗くなっていくのを眺めて、うっとりとため息をついた。 (ジェスさんと、いっぱいキスしたなぁ……)  あれからウィズリーは「ふたりの時間を邪魔してはいけないな」と言って去っていった。気持ちが軽くなる言葉をくれたウィズリーに感謝しつつ、彼がいなくなってからはまたジェスと唇を重ねた。 『町のみんなには内緒な。ふたりだけの秘密だ』  ウィズリーには言っちまったけど、と笑ったジェスの顔が頭に浮かんだ。  気がつけば口元が緩んでいて、エミリオはテーブルに突っ伏した。  ふたりだけの秘密という甘い言葉に浮かれている。そういう自覚がある。  誰も見ていないから表情を引き締める必要はない。思う存分、今の幸せな気分に浸っていよう。 (……いつ終わるか、わからないんだから)  始まったばかりの関係がこの先どうなっていくかなんてわからない。ずっと続いていくかもしれないし、すぐ終わってしまうかもしれない。  臆病なエミリオはこうして悪い方向に考えてしまいがちだが、心の安寧を保つためには仕方のないことだと思っていた。  今のような幸せな気分のままでいて、突然別れが訪れたらきっと心が壊れてしまう。そんなことになるくらいなら、初めから悲しい結末になる可能性も考えておいたほうがいい。  とはいえ、今は幸せな気分の方が優っているのも事実で、エミリオは頭を抱えた。  幸せなのに、不安で怖い。  相反する感情が入り混じって困ってしまう。明日からどんな顔でジェスに会えばいいのかもよくわからない。  けれど、ひとつだけはっきりとわかっていることがある。 (僕、ジェスさんのことが大好きだ――)  窓の外が仄暗い。酒場も人が集まって騒がしくなっている頃だろう。  心がめちゃくちゃになる。ジェスが大好きで、会いたいのにどんなふうに接すればいいのかわからなくて、混乱している。  こんな気持ちがずっと続くのだろうか。それは大変だけれど、幸せでたまらない。 「……はぁ」  指先で唇に触れて、ジェスのぬくもりを思い出す。  今夜は眠れそうになかった。 ***  酒場ではいつものように賑やかな酒盛りが行われていたが、主人であるジェスはどこかぼんやりとしていた。常連から心配されるほど静かで、何か物思いに耽っている。 「ジェスのやつ、なんかあったのか」 「体調でも悪いのかねえ」  そんな声が聞こえてきて、ようやく「まずい」と気づいたジェスは、慌てていつも通りの自分を演じ始めた。  そんなジェスの様子を、ついさっき来店したウィズリーがカウンターから眺めている。 (こんなことでエミリオとの関係をちゃんと隠せるのか……?)  言ってしまえば他人事だが、関わってしまった以上どうしても心配してしまうのがウィズリーの性分だった。  世話焼きな自分に苦笑しつつ、ウィズリーはジェスに声をかけた。 「ジェス、エールを一杯奢ってくれる約束だったよな?」 「あ……? ああ、そうだな……」 「……お前、そんな調子で大丈夫なのか?」 「心配されなくても、俺はいつでも大丈夫だ」  本音を言えば全く大丈夫ではない、とジェスは心の奥底で思っていた。ふとした瞬間、エミリオの唇の柔らかい感触、触れた時の温度、すべてがリアルに思い出されて仕事どころではない。 「……ほら、サービスだ」 「ああ、ありがたくいただくよ」  ジョッキを受け取ったウィズリーは、ジェスの冴えない表情を見て不敵な笑みを浮かべた。 「情けない顔をするな。お前があまりに不甲斐ないようなら――俺がエミリオを奪ってしまうぞ」  今、一番ジェスの心に突き刺さる脅しを囁いたウィズリーに、ジェスは鋭い視線を向けた。  冗談だろうと許さない。そんな意思を強く感じる視線を受け流し、ウィズリーは微笑む。 「油断大敵だぞ」 「お前なぁ……」  一瞬、不穏な空気に包まれたが、ジェスはふん、と鼻を鳴らして「やれるもんならやってみろよ」と言い放った。  ウィズリーがもし仮にエミリオに甘い言葉をかけようとも、エミリオが自分の元から離れないという自信がある。キスだけであんなにとろけた顔を見せたエミリオが、他の男になびくなんて想像もつかなかった。 

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