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第37話 腕の中

「え……?」 「ジェ……ジェス? 何してんの? エミリオくんのうちの前で……っていうか、お店は?」  ジェスの視線が泳いでいる。夜の8時過ぎといえば、酒場が一番賑やかになる時間だ。それなのに、ジェスはここにいる。 「店は、今日は早仕舞いだ」  ジェスの様子にただならぬものを感じたアイリーンは、エミリオとジェスのふたりを交互に見て、思い出したかのように口を開いた。 「そう、なんだ……なるほど、わかった! エミリオに用事があるんだよね! あたし邪魔になっちゃうからもう帰るわ!」 「アイリーンさん! 夜道はやっぱり……」 「大丈夫だって! じゃあ、今度こそ、おやすみなさい」  そそくさとジェスの隣をすり抜けて、アイリーンは去ってしまった。  突然ジェスとふたりきりになったエミリオは、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。ジェスは、自分に会うために酒場を休んでまで家に来てくれた。そんなジェスが、なんの話をしに来たのか。不安で仕方なかった。 「こ、こんばんは……ジェスさん」 「急にごめんな。いきなり押しかけて」  ジェスの指先がエミリオの頬を掠めるように触れる。  もっと触れてほしいけど、玄関でそんなことをしているのはまずい。そんなことを思いながら、エミリオは慌ててジェスを中へ招き入れた。 「テーブル、いま片付けますね。あっ、ジェスさんもクッキー食べま――」  急いでテーブルの上のカップを片付けようとした瞬間、後ろからジェスに抱きしめられた。ジェスの熱が直に伝わってくる。急なことに驚いて、エミリオは動けなくなってしまった。 「ジェス、さん……?」 「悪い。しばらくこうしていたいんだ」  あたたかい。ジェスの体温に優しく包み込まれて、勝手に涙が出てきてしまいそうだった。  昼のことを思い出すと辛いけれど、アイリーンの言葉が脳裏をよぎる。 『恋人を傷つけようと思って隠し事する人っていないと思うんだよね』  ジェスもきっと、そうなんだと思う。エミリオを傷つけたくないから、秘密を抱えて、隠している。ジェスは優しいから、アイリーンの言う通りなんだと思っていた。  だから、自分から問いただすようなことはやめよう。エミリオの心はそう決まっていた。 「エミリオ……」 「っ、ジェスさん! あんまりくっつくと、どきどきするから……」 「ごめんな。もう少しだけいいか」  エミリオを抱きしめる腕に力が込められる。ジェスの吐息が耳を掠めてくすぐったい。ぎゅっと肩をすくめてその感触に耐えていると、ジェスはようやくエミリオを離してくれた。 「いきなり押しかけて、こんなことして、すまん」 「そんなことないです。だって僕たち……恋人でしょう?」  振り向いてそう伝えると、ジェスは難しい顔をしたままエミリオを見つめてきた。どうしてそんな顔をするの、と尋ねそうになったが、答えを聞くのが怖くて何も言えず口をつぐんでしまった。 「なんつうか……綺麗な家だな。本がいっぱいあるのも、エミリオらしくて想像してた通りだ」  部屋の中を見渡して、ジェスは言った。 「あの、ジェスさん。どうしたんですか……? お店を閉めてまで、僕の家に来てくれたのは……一体どういう……?」  言いにくそうに眉間に皺を寄せて、ジェスは俯いた。しかし、すぐに顔を上げて真っ直ぐエミリオを見る。どこかいつもと違う、覚悟を決めたような表情にエミリオは緊張した。 「……昼に話したことで、お前を不安にさせてしまったと思って」  ジェスの言葉で昼間に話したことを改めて思い出し、あの時の気持ちが蘇る。  ジェスは王都へ行くことを拒んだが、それが彼の胸の中でもしこりになっていたと知り、どこか救われたような気がした。 「理由も言わず拒んだら、傷つくよな。すまなかった。……きちんと話さないとな」 「ジェスさん……」  首を横に振って、エミリオはジェスを見上げた。辛そうな表情が目に映り、こちらまで同じように苦しくなってくる。 「そんな顔しないでください。僕は……大丈夫って言ったら嘘になっちゃうけど、ジェスさんに苦しい思いさせてまで話してほしいとは思いません」  話してほしいという気持ちの方が大きいのは事実だけれど、ジェスを苦しませるのはもっと嫌だ。今は、そう思えた。辛そうなジェスの顔なんて、見たくない。 「お前は本当に……優しすぎるのも考えものだ」  腕を引かれて、また抱きしめられた。  縋り付くような、許しを乞うような腕に包まれ、エミリオは胸が苦しくなるのを感じた。

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