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第38話 想い人

「……全部、話してもいいか」  ジェスの言葉に、エミリオの身体がこわばる。  真実を知るのは怖い。けれど、知りたい。相反する感情が渦巻いて簡単には頷くことはできなかった。 「エミリオ。あんまり顔色が良くないな――一度座った方がいい」  促されて椅子に座ると、少し身体が楽になった。ジェスも正面に座り、難しい顔でエミリオを見ている。 「何から話せばいいのか、正直よくわからない。けど、聞いてほしい」 「ジェスさんがそう言うなら……ちゃんとお話を聞かないと、ですね」  上手に笑えたかどうかはわからない。だが、きちんと向き合わなければいけないと強く感じた。  エミリオは複雑な胸中だったが、静かにジェスの言葉を待った。 「――俺は、王都からこの町に逃げてきたんだ」 「逃げて、きた……?」 「王都で愛した女がいた。……婚約もしていた。だが、その人は俺の手の届かない場所に行っちまった」  エミリオはジェスの言葉に動揺した。彼のハンカチを拾った時から「もしかしたら」と思っていたが、ジェスの口からはっきり言われると、やはり平静ではいられなかった。 「小さい頃から病気がちだったんだ。でも、たくさん笑う明るい人だった。花のような人だった」  古い思い出を慈しむように、優しい声音でジェスは語る。  ジェスにこれだけ想われていた人だ。本当に素敵な人だったのだろう。そんな人を失って、どれだけ辛かったことか。想像もつかず、同時にじわじわと不安がこみ上げてきた。醜い感情でいっぱいになってしまうのを必死で食い止めようとする。気を抜いたら表情に出てしまいそうで、苦しかった。 「王都にいたら、彼女との思い出が多すぎて辛くなる。だから俺は逃げてきた。……思い出したくないから、王都には戻りたくないんだ」 「まだ、心の中にその人がいるんですね」  思わず出た言葉にはっとして、ジェスはエミリオを見つめた。 「エミリオのことを愛しているのは嘘じゃない。これだけは信じてほしい」 「…………」  疑いたくはない。けれど、簡単に信じてしまうことも今はできなかった。 「エミリオ、俺は」 「いいんです、僕のことは……気にしないで」 「……そんな顔をさせて、ごめんな。信じられなくなるよな……こんな俺の言葉なんて」  すまない、と消え入りそうな声でジェスが言う。  どう返事をしたらいいかわからなくなって、頭がくらくらしてきた。眩暈に襲われて、テーブルに手をついて項垂れてしまう。 「でも、本当なんだ。俺はエミリオのことが好きだ。この気持ちに嘘はない」  言葉が頭の中に入ってきても、するりと抜けていってしまう。信じたいのに、大好きなのに、どうしてもすんなりと受け入れることができない。  ジェスが愛した女性がいた。その事実が、心に深く突き刺さっていた。  誰も悪くない。予想だってしていたはずなのに、こんな気持ちになるなんて。エミリオはジェスの顔を見ることができなくなってしまっていた。

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