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第73話 あたたかい

 はっとして、身体を起こしたその瞬間。  腹部に鋭い痛みが走ってエミリオは顔を顰めた。  窓の外は薄暗くなっていて、病室にはエミリオ一人になっていた。  そばにいてくれたジェスの姿はない。すっかり暗くなってしまった外を見て、ジェスは店を開きにいったのだと納得する。 「エミリオー。起きてるか?」 「あ……は、はい、起きてます」  ノックの音と同時にユーリの声が聞こえてきて、エミリオは掠れた声で答えた。  ドアが開き、ふわりといい香りが同時に漂ってくる。 「腹減ったろ? うちの嫁さん特製のトマトリゾットだ。食わないなんて言わねえよな?」  半ば脅しのように聞こえる言葉だが、ユーリの声音は優しい。ベッドに備え付けてある可動式のテーブルにリゾットを乗せたトレーが置かれて、エミリオは「ありがとうございます」と微笑んだ。 「いただきま――」 「そういやジェスのやつ、眠ったお前と手え繋いだまま一緒になって寝てやがったぞ」 「えっ」 「仲良しだなぁ、随分と」  椅子に腰掛けたユーリはニヤニヤしながら頬杖をつく。  手を繋いで一緒に眠っているところを見られたなんて、どう言い訳をしたらいいんだろうか。エミリオは焦ってリゾットどころじゃなくなってしまった。 「お熱いところを見せつけられて、どうしてやろうかと思ったぜ」 「そ、そんなんじゃ……なくて」 「酒場のことがあるからジェスだけこっそり起こしたけど、お前めちゃくちゃ幸せそうに寝てたぞ」 「だからっ……!」  顔が熱くなっていく。焦りと恥ずかしさでうまく言葉にならない。けれど、ユーリは笑いながら「焦んなよ、何も悪いことしてるわけじゃねえんだし」と言った。 「俺は嬉しいぜ? お前さんが幸せになってくれるのが」 「……っ」 「ガキの頃から自分のことより他の奴のことばっか考えてたお前が、自分の幸せを育んでるって知って、本当に嬉しいんだ」  エミリオは教会で暮らしていた頃、怪我をした幼い子どもを背負ってよく診療所を訪れていた。その頃はまだユーリも見習い医師で、簡単な手当をしてもらっていた記憶がある。  一番年上の自分が幼い子たちの面倒を見るのは当たり前だと思っていたし、自分のことは二の次だという考え方が大人になっても抜けないままだという自覚はあった。  ジェスに出会うまでは、自分が幸せになることなんて想像もしていなかった。 「ジェスはいい男だから手放すんじゃないぞ……と言いたいところだが、お前らの様子を見る限りジェスがお前にゾッコンみたいだな」 「そう、なんですか……?」 「お前はお前でジェスのこと大好きっていうのダダ漏れで面白いけど」 「っ……!!」  無意識だった。自分がそんなオーラを出していたなんて気づきもしなかった。ユーリもまた、神父と同じようにすべて見透かしているのだろう。  つくづく間抜けな自分が情けなくなる。ジェスに迷惑をかけてしまいそうで、エミリオはしゅんと小さくなった。 「そんな顔すんなって。なーんも心配することねえから」 「この事は、絶対に誰にも言わないでください……」 「んー……お前がそう言うなら黙っとくけど、そう不安がる事はないと思うぜ? この町の奴らは、お前とジェスが幸せになるのを誰も否定したりしない」  ユーリの言葉が心の奥にじんわりと染み込んできた。  もしそうだったらどれだけ幸せだろう。  あたたかい町のみんなから祝福されたら、嬉しくてどうにかなってしまいそうだ。 「臆病になる気持ちも、理解できるがな」 「ユーリ先生……」 「悪い、話こんじまった。リゾットはあったかいうちに食えよ。また後で食器取りにくるから、食ったら寝ろ」  後ろでひとつにくくった黒髪を揺らして、ユーリは背を向けた。 「先生!」  その背中を呼び止めて、エミリオは振り向くユーリをしっかり見つめて口を開いた。 「……ありがとうございます」 「はは、素直なやつだ」  手をひらひらと振って、ユーリは部屋を後にする。静かになった部屋で、エミリオはまだあたたかいリゾットを口にした。

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