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第75話 ジェスの存在
アイリーンが帰った後、エミリオは診察室へ呼ばれた。
「傷の具合もいいし、この調子ならすぐ退院できそうだな」
幸い傷はそこまで深くはなく、大人しく療養していたおかげもあって術後の回復は順調なようだ。診察台に寝かされたエミリオは、ユーリの言葉に安堵する。長々と入院していたら、身体が元の生活に戻れなくなってしまいそうだった。
「ありがとうございます、ユーリ先生」
「色々あったんだろうが……あんまり深く考えすぎんなよ。早く元気になって、さっさと普段の生活に戻りやがれ」
「そう、ですね……」
エミリオの性格上、あんなことがあった後にすぐ“普段の生活”へ戻るのは難しいだろう。それはユーリもわかっている。わかった上で、励ましてくれているのだ。
起き上がったエミリオはユーリに頭を下げて診察室を出た。窓の外は気持ちよく晴れている。少し散歩をしたい気分になったので、エミリオはちょっとだけ診療所を抜け出した。
玄関から外に出ると、ユーリの妻が手入れをしているらしい花壇に色とりどりの花が咲いていた。
水やりをしたばかりなのか、花弁に水滴が光っている。あたたかな空気を胸いっぱいに吸い込むと、心が軽くなるような気がした。
「よう、エミリオ。外歩けるくらい元気になったんだな」
エミリオの後ろにはジェスが立っていた。ジェスはこうして毎日午前中にエミリオの元へ来てくれる。
人の目があるので触れ合うこともできないけれど、こうして顔を合わせているだけで幸せだ。
「先生がすぐ退院できそうだっておっしゃってました。早く退院して、仕事に戻りたいです」
「すぐ仕事に復帰ってのは、ちょっと心配だがな」
「大丈夫ですよ。そんなに不安そうにしないでください」
少し表情を曇らせたジェスを安心させるために、エミリオはにっこりと笑ってみせた。
「図書館が大好きなんです。あの場所を守ることは僕の生きがいですから」
「ったく、真面目だな」
微笑んで、ジェスはエミリオの背中に手を置いた。
「ほら、ベッドに戻るぞ。早く仕事に戻るためにも、今はしっかり療養しねえとな」
エミリオは頷いて、促されるまま病室に戻った。
「そうだ、今朝アイリーンさんがリンゴを持ってきてくれたんです」
「へえ。あいつも来てたのか」
「昨日は神父様も。なんか、いろんな人に心配をかけてしまって申し訳なくなっちゃいます……」
ベッドに横になったエミリオは、ぎゅっと両手を握りしめて困ったように言った。
「そう思うんなら、お前の言う通り早く退院してみんなに元気な姿を見せてやらないとな」
「ジェスさんもお店の準備で忙しいのに、毎日来てくださって……」
「お前が俺を守ってくれたんだからな。これくらい当然だ。まあ、理由はそれだけじゃねえけど」
わかってんだろ、と小声で言って、ジェスはエミリオの頭を撫でた。
エミリオが入院してから何度こうして宥めただろうか、とジェスは思っていた。エミリオは何でもかんでも自分で抱え込もうとしたり、自責の念に勝手に押し潰されそうになったりする。それを食い止めてやるのが自分の仕事だと、ジェスは認識していた。
「……ごめんなさい、また慰められてしまいました」
「はは。なんだよ自覚してんのか。面白いやつだな」
「な、なんで笑うんですか! 真剣に話してるのにっ!」
ジェスに茶化されてエミリオは顔を赤くした。でも、それと同時に心が少しずつ軽くなっていくのを感じて黙り込んでしまった。
「ジェスさんがいたら、甘えてしまいます……」
「待て待て、それで俺にいなくなれとか言い出さないよな?」
「…………」
「黙るなよ! 怖えな!」
甘やかしてくれるのは本当は嬉しいし、ずっと甘えていたい、なんていう気持ちがないわけではない。けれど、甘えるたびに自分がどんどん弱くなっていくような気がして不安だった。
「……ジェスさんがいない生活なんて、もう考えられないですよ」
依存を認めるようなことを言ってしまったが、ジェスは嬉しそうに笑って「それでいい」と言ってくれる。その笑顔に心がとろけていく。
「リンゴ、食べるか?」
その言葉にこくんと頷くと、ジェスは果物ナイフを借りるために席を立った。
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