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0.儀式前日(4)

 やっとの思いで頂上にたどり着いた。  額が汗ばむほど体は熱くなっている。息を切らしているのが自分だけなのはとても情けない。遥は呼吸がおさまるのを待ちながら、墓のようすを眺めていた。  石碑としか見えない天然石の大きな墓石はこの墓所の主だろう。ここに眠る鳳たちはこの丘から自分たち一族の住まう地を見晴らしているのだ、亡くなった後も。その傍らの凰のための墓石と、鳳の家族の墓石は両側から鳳を支えているように見える。  これが加賀谷本家の理想の姿と言うことなのだろう。しかし必ずしも理想通りにはならないのが人間の関係だ。  遥はふっと息を吐いた。  加賀谷本家の墓のまわりはいつもきちんと手入れされている。いつも盛りの花が活けられ、塵ひとつない。  毎日瑞光院の者や樺沢の誰かが手入れに来てくれているらしい。  その墓の前で、仏教徒ではないはずの三人が線香の用意をしている。考えてみれば妙な話だ。傍目には仏教に見せかけているから、そういう部分も倣っているのか。 「着きませんねえ」  則之が言うと、達夫がため息をついた。 「風が強くなったからな」  もう一回挑戦している。三人が小さな輪になっている図は笑いを誘う。真剣にとり組んでいるのを笑ったら失礼だ。必死に堪えていたら、本当に笑えてきた。  火は何とか着いたらしい。  達夫が振り返った。 「遥様、どうぞお参りなさってください」  遥は線香を受け取り、そっとそれを備えた。それから両手を合わせて目を閉じる。  どうか隆人をお守りください。  しばらくそのまま手を合わせていたが、他に祈りたいことは浮かんでこなかったので、姿勢を戻した。  ふっと何かに頬を撫でられた気がした。驚いて振り向いてもそこには誰もいない。 「どうかなさいましたか?」  不思議そうに達夫が見ている。正直に話そうとして思いとどまった。 「いや、何でもないよ」  ここは墓場なのだから、おかしなことの一つや二つがあってもおかしくはないだろう。それをわざわざ人に話すのは怖がっているようで、何となく悔しい。  達夫は納得していないようすだが、主を問いただすような無礼はしなかった。 「では、そろそろ参りましょうか」  遥は固く引き結んでいた口を開いた。 「父さんのところに寄っていきたい」 「かしこまりました」  達夫が微笑んでうなずいた。 「あの、風が強くなりましたので、私はしばらくここで火が消えるのを待ちましょうか」  基が言った。 「それは桜谷に任せればいい」  そう言った達夫が後ろに向かって合図を送ると、スーツの男が駆けのぼってきた。  その場に桜谷の男を残し、遥たちは丘をくだった。  隆人が遥の父のために建てた墓はほぼ中腹にある。他の墓からは少し離れ、植栽で見えにくくなっているが日当たりはよい。墓標自体は背が低くこぢんまりとしているが、周囲に花が植えられたその外に境界を示す低い柵が巡らされている。  約三ヶ月ぶりに、遥は父の前に立った。  遥の本来の暮らしぶりならばこんな墓を父のために用意することなど絶対に不可能だ。  隆人はこの墓に遥の父への謝罪の意を込めている。父が遥をとても大切に思っていたことを理解しながらも自分の運命に巻き込み、世間で言われる当たり前の幸せは望めない身にしたことを、こんな形でしか謝ることができないからと。  この墓ではたして父は安らいでいるだろうか。  遥は墓の前に膝をついた。  墓標の上の文字を読む。   『慈愛』  父にもっともふさわしい言葉だと隆人は言った。自らの辛さをこらえ、遥を慈しんで育て上げた人だからと、隆人は言った。  それだけ父に慈しまれていたのに、遥は父の望まなかった方へ歩いてきてしまった。無理矢理に撓められたのだとはもう言うことはできない。  凰になることを遥が選んだ。加賀谷隆人という、遥の背に凰の刺青を刻ませた男と体の関係を結ぶことを含めて、すべて遥が望んだのだ。  隆人の前ではそのことを誇らしく言いはれるが、同じ言葉を父の墓前で言うことのためらいが完全になくなったわけではない。つらい人生を送った父の悲しそうな目や表情は忘れられるものではない。  静かに目を閉じ、手を合わせた。  父さん、来たよ。明日から年越しの儀式なんだ。俺は自分で隆人と生きることを選んだ。後悔しないように頑張るから、どうか儀式をきちんとやり遂げられるように応援してほしい。不肖の息子で本当にごめん。  涙がこみ上げそうになって、慌てて目を開けた。激しく瞬きをし、ごまかす。ここで泣けばいっそう父に心配をかけるだけだ。遥は墓に微笑みかける。 「また来るから」  そう告げてから遥はゆっくり立ちあがった。墓石を撫でてから、柵の外へ出た。 「お待たせ」  達夫たちがにこやかに頭を下げた。  遥は以前より幸せになった。隆人は遥を愛してくれている。出来る限り気を配っている。遥もまた、隆人を愛しいと思い、守りたい、幸せでいてほしいと望んでいる。隆人との日々を重ねて、遥は凰としての自分を受けいれられるようになってきていた。 「さ、帰るか」  遥は明るく言った。  坂を下りながら達夫にふと小声で訊ねた。 「随分すんなり桜木に墓参りを許したな。なぜだ」 「遥様のお決めになったことでございますので」 「それだけか?」  探ると達夫が歩みを止めて、遥に向きなおると頭を下げた。 「隆人様より、すべては遥様のご意向どおりにせよとお指図をいただいております。そしてわたくしは生まれながらに隆人様の従者。隆人様のお言葉、そして隆人様の凰であられる遥様のお言葉に従います。どうか望まれるままお命じください」  真正面から挑まれた気がした。  遥の言葉は隆人の言葉と同様となる。ということは、主としての責任もあるということだ。また遥の言葉を自分の言葉として聞けと言ったことは、遥の言葉が招いたことに隆人も責任を負うと言うことだ。 「わかった。わかったから、顔を上げてくれよ」  達夫が顔を上げた。表情は晴れやかで柔和だった。  再び歩き出す。  達夫の言葉を何度も頭の中で考えているうち、突然気がついた。  隆人からの電話とはそれを伝えるためか。  可能性はある。

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