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1.大晦(11)

 それにしても、遥が披露目の証立てを遂げ正式な凰になってから、桜木家が五家として復帰することが決まるまではたった一晩だった。遥が披露目の夜に桜木の者と会わせろと言いはったからと噂が流れたそうだが、この事実を確実に知っているのは、隆人と桜谷さえ子の二人だけだ。本家の裏事情を明かさない誓いを立てている五家のさえ子が、分家にそのような話をするはずはない。  あの夜に何があったのか。  とにかく桜木家は一族に復帰し、正式な凰となった遥の世話係に任命された。ただ一人、俊介を除いて。  俊介に与えられた役目は桜木家のみか、あるいは俊介にしかできない役目なのだろう。単なる護衛ではあるまい。それに俊介が隆人の護衛をしたのなら、則之に情報が入るはずだ。則之たちは、五家の束ねであり隆人の秘書室長件護衛の桜谷隼人が師範代を務める道場に門弟として通っている。護衛程度なら俊介の話が出てもおかしくはない。  だが則之たちは知らなかった。俊介が役目を果たして戻ってきたとき、桜木の面々は皆一様に安堵の色を見せた。その俊介がすぐに修行と称し再び姿を消してからは、時折不安げに話をしているのを遥は耳にしている。彼らは俊介の行き先を知らされていない。  桜木俊介は今どこにいて何をしているのか。本当に修行なのか。  俊介といえば思い出すことがある。披露目の次の日、瑞光院で加賀谷の墓に参った後、隆人が遥の父の眠る墓へ遥を案内した。その時、桜木家の中では俊介だけが遥の護衛を務めた。湊たちは自分たちの家の墓参りに行ったのに、俊介は桜谷や滝川とともに遥に従った。  父の墓の前に立つ遥の背後で俊介はひどく沈んで見えた。 『墓参りに行かなくてよかったのか?』  そう訊ねると、俊介はぎこちなく微笑んでうなずいた。 『私は参るわけにはまいりませんので』  理由は訊けなかった。他人が立ち入るべきことではないと感じるほど、俊介はつらそうに見えた。  隆人から俊介は遥の世話係を離れると聞かされたのはその日の朝だった。隆人は命じた役目が終われば遥のもとに俊介を返すと約束し、確かに帰って来た。だが、遥はあの瑞光院での俊介の頬の白さが目に焼き付いている。去り際の思いつめたような表情に胸騒ぎを覚えたのもはっきりと思い出せる。  そして戻ってきた俊介はひどくやつれていた。修行から帰ってくるたび、ふと見せる表情の暗さが気になっていた。そしてついにこの年越しの儀に、桜木俊介は帰ってこなかった。  遥は歯を食いしばる。  隆人は遥に隠し事をしている。それも遥の世話係たる桜木家のことで。  鳳と凰はつがいだ。信頼関係が最も大切なはずなのに、なぜ隠す必要があるのか。遥に対して行ったように犯罪が絡むからなのか。それでも真実が知りたいと思う遥は間違っているのか。  その時襖が開いた。はっとして顔を上げると、隆人が戻ってきた。  座布団に座るそのときを狙って話しかけようとした遥より早く、隆人が口を開いた。 「お前は自分の母親が今どこで何をしているか知りたいか?」  頭にかっと血が上った。 「俺に母親なんかいないッ」  反射だった。だが、たとえ考えたとしても同じ結論しか遥には出せない。  隆人の目に真っ直ぐ射抜かれる。 「本当にそう思っているのか?」  顎を上げ、その目を挑戦的に見返す。 「ああ、思っている。もともと捨てたのはあっちだ。俺を要らないとはっきり言った。自分の人生をやり直すために父親似の俺は要らないと。そんな奴を母親だなんて思えるか」  そして絞り出すように言葉を続ける。 「しかもあいつは父さんの――かつての夫の死を俺が伝えることさえ拒絶した。父さんの死を汚したんだ。そんな奴を許せるかっ」  握りしめた拳が、全身がぶるぶると震える。  隆人が深呼吸をした。 「だが遺伝的なつながりは決して切れない。法的にもお前はその女性の第一子だ」  一瞬目の前が怒りのあまり真っ赤になった。 「あいつとつながっているなんて言うなッ」  一呼吸おいて言葉を絞り出す。 「あんたがそう言うたび、俺は自分が汚れている気がする。父さんを決して助けることのなかった自分勝手な女とつながっていると思うだけで、俺は自分が許せない。この体を切りきざみたくなるっ」 「興奮しすぎだ遥――水を持て」  隆人が手を叩くと、次の間から碧がグラスを載せた盆を持って入ってきた。鳥籠の入り口に置かれたグラスを掴み、一気に飲みほす。  隆人が幾分眉根をよせ、口を引き結んでいる。まだ何か言いたげなその表情に感情を乱され、また罵りたくなる。  そもそもあの女に対して遥が悪感情しか持っていないことを知っている隆人が、なぜ儀式中の今、この話を持ち出したのかがわからない。  遥は目を閉じて何度も深呼吸を繰りかえした。少しずつ少しずつ気持ちが凪いでいく。  鳳たる隆人にこれ以上噛みつくことは許されないという意識は、凰たる遥の中に確かに根付いていた。

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