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1.大晦(14)

 昼間、凰らしくしようと考えていたことを遥は思い出した。今は儀式というフォーマルな場だ。隆人が鳳であり、遥はそのつがいである凰でなければならない。隆人は鳳として凰に気を配ってくれている。ならば遥もそれに応えなければ釣り合わない。  思うことはいろいろあるが、今は他のことは考えない。ただ鳳だけを見つめ、鳳だけを思う――それが凰のあるべき姿であり、遥に与えられている役回りだ。  遥はきちんと正座し、隆人の顔を見つめる。  隆人は興味深げに首を傾げて遥を見返してくる。 「どうぞよろしくお願いします」  深く頭を下げた。 「こちらこそよろしく頼む」  隆人の答えに、遥は顔を起こす。  隆人は障子の方を向いている。 「しばらくすると宵の禊ぎだろう。さすがに今度は別々に風呂に入った方がいいな、お前も俺も」 「はい」  素直にうなずくと隆人がまた優しく笑ってくれた。  考えてみれば、隆人とこんなに近くにいて、セックスするどころかろくに触れもしないのは初めてだった。  いつもなら隆人はすぐに遥を抱き寄せ、体をなで回してくる。遥を辱めるような言葉をささやき、遥の欲望が重みと熱を帯びてくるとからかう。  その隆人も遥をぜんらにする頃には同じように遥を欲しがっている。  高まった欲望を擦りあわせるように抱きあい、深く口づけ求める。隆人の指にほぐされれば遥はすぐに隆人を受け入れる。隆人の手と体の中に入れられたもので遥は悦びの声をもらし、腰を振る。いきそうになっては散らされると、泣きそうな声でねだりさえする。  冷静になればそんな自分は恥ずかしい。だが、隆人はそういう遥を喜んでくれる。凰として正しいと髪を撫で褒めてくれる。  だから隆人の側にいるときは、抱かれるものだと思いこんでいた。それは理屈ではなく、体がそのように期待してしまう。触れてもらえないことはむしろ苦痛だと、今日初めて気づいた。同時にそれほど自分が隆人になじんでしまったことに驚きもしている。  今夜、いずれ触れてもらえるときが来るのはわかっている。それがいつなのか、遥にはよくわからない。  もし、遥が読まなかった定めの一部に大切なことが書いてあったらと思うと冷や汗が浮かぶ。凰から取らなくければならない行動があったとしたら?  隆人からフォローをしてもらえるとは思うが、庇ってもらうばかりの自分が情けなくなる。 『俺のことが好きか?』  突然昼間の問いが思い出された。  今、隆人のことは嫌いではない。嫌いならこれほど隆人とのセックスを望まない。  だが、好きと言い切るにはまだ心のどこかにストッパーがかかっている気がする。セックスの最中ならばともかく、普段にその言葉を口にするのには抵抗がある。照れではない。抵抗、あるいは葛藤だ。  遥は隆人を見た。隆人はまた目を閉じている。  なぜあんなことを訊ねてきたのだろう。それに隆人自身は遥をどう思っているのか。  はっとした。  今まで隆人が自分をどう思っているかなど考えたこともなかった。セックスでは悦んでくれているのがわかるが、遥という人間をどう思っているのだろう。  遥自身は、隆人にどう思っていてもらいたいのだろう。  なぜこんなことを考え出してしまったのか。  鳥籠の中にいるせいだろうか。無数のともしびに照らされている、異様な雰囲気のせいだろうか。年越しの儀という特別な場にあるからだろうか。  落ちつかない気持ちに座布団の上で身じろぎしてしまう。もし粗相をしたら、大切だというこの初度の年越しを越えられなかったらどうなるのか。  遥は、初めての儀式に臨む自分が極度に緊張していると悟った。速まった鼓動で胸が痛い。ただ、それでも空腹には慣れたなと思うと、肩の力が抜けて苦笑いが浮かんだ。  そのとき遠くから聞こえてくる声が耳に届いた。何を言っているのかはわからない。「おーおー」と言っているような気がする。  それは徐々に近づいてきた。やがて「おおつごもりにてそうろう」と聞きとることができた。  次の間との境の襖がするすると開かれた。そこで額を畳に付けるほど頭を下げている羽織袴の男は、樺沢達夫だった。 「今宵は大晦の宵、除夜にございます。古き年の汚れを祓い、清き身にて新たなる年もお仕えいたしますこと、ここに誓約申し上げまする。なにとぞその大いなる御慈悲をもって一族繁栄厄災祓除(やくさいふつじょ)を賜りますよう伏してお願い申し上げまする」  隆人がそれに答えた。 「そなたらは我が眷属。そなたらの罪科(つみとが)は我と我が凰が引き受けた。もはやそなたらの身に汚れなし。新たなる年も身を慎みて、我らによく尽くせよ」 「尊きお言葉恐悦の極みにございます。我ら一同明くる年の忠義、固くお誓い申し上げ奉ります」  隆人が立ちあがり、鳥籠の入り口へ回ってきた。中へ入って、遥に手を差し伸べる。 「我が手を取るか、我がつがいたる凰よ」  遥は隆人の慈しみに満ちた表情に見とれて動けなかった。 「その清らなる心根、我をのみ見つむるしおらしさ、そなたを捕らえし折りより今現在に至るまで移ろいしことなくば、この手を取りてみよ」  遥は隆人の手にそっと手を重ねる。しっかりと握りしめられた。 「我らが身に引き受けしもろもろの悪しき事ども、この古き年の内に皆流し清め、喜ばしき新たなる年を汚れなきそなたと我の和合の(うち)にて迎えようぞ」  じっと見つめられて遥は頭がぼうっとしてくる。やっと隆人と触れあっている。それがたとえ手だけであろうとも。  隆人がかすかに口元を緩めた。よく見れば、まるでできの悪い子どもを見るような笑みが浮かんでいる。  その瞬間、突然遥の中で記憶がよみがえった。

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